人格者橋本龍太郎@偉大なる道 素晴らしい人生

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112名無しさん@お腹いっぱい。
1990年代初頭にバブルが崩壊したことに起因する日本の長期不況は、1929年の株価大暴落
に端を発した30年代のアメリカ大恐慌と性格が酷似している。

 経済の収縮が収まったのは、1933年3月にF. ルーズベルトが大統領に就任してすぐ、1週間の
バンクホリデーを実施し、1933年銀行法で預金保険機構を創設するなどして、金融システムを
安定化させたからである。このあと1936年まで経済は回復の動きを見せた。しかし、1937年に
ルーズベルト政権が早過ぎた引き締め政策を実施したため、回復の芽は摘まれ、経済は再び
恐慌に陥った。偶然にもこれと類似の経過が60年後の日本で再現している。
http://www.iuk.ac.jp/~itoh/point8.htm

1929年の末、米国のバブル崩壊 → 1937年、早すぎる経済引き締め。

1990年初頭、日本のバブル崩壊 → 1997年、早すぎる経済引き締め。


これは単なる類似ではない。米国が計画的に日本人エージェントを動かして
日本経済を叩き潰しにかかったんだ。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/26(火) 01:43:03 ID:ABiybQFC0
>>112
 “…「総量規制」は橋本蔵相や海部首相が、当時の土田正顕大蔵省銀行局長の反対を
押し切って強行したものだった。
 「僕(中井省大蔵省銀行局調査課長)の上司だった土田正顕さんは、実は総量規制に
反対だった。ところが、橋本大蔵大臣に呼ばれて『総量規制をやれと、日本中が悲鳴を
あげている。お前何とかやれ』と直接言われ、それでも渋っていると海部俊樹総理に
官邸に呼ばれて『やれ』と強く指示された。大蔵大臣と総理に直接言われたのでは
やらざるを得なかった。バブルが潰れた後、『潰したのは土田正顕』というのが定説にな
ってしまっているので、あえて擁護しておきます。」”

 やがて橋本は、一九九六年一月に総理大臣に就任する。その時に、橋本自身の「政治生命」
を終わらせることにもつながる、第二回目の政策的な失敗を犯す。すなわち一九九七年における、
「消費税の増税」、「特別減税の廃止」、「医療費負担の増加」からなる九兆円規模の増税策である。

 (…)「大崩れ」につながったわけではないが、長期デフレからの脱却の妨げとなった橋本の
第三番目の政策的な失敗として、一九九八年三月の速水優日銀総裁の任命を挙げたい。こうして、
九〇年代の日本経済にとり大事な節目の時期には橋本が現れ、毎回、誤った選択をする。(…)

 まさに凄まじい「疫病神」ですね。こういう経済のことを何も理解していないずぶの素人が、
世界第二の経済大国の蔵相と首相を務めることができたというのも驚きですし、日本の大きな
悲劇でもあります。
http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/6674724.html
総量規制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E9%87%8F%E8%A6%8F%E5%88%B6
 そして、ようやく未来に負債を先送りする財政の大盤振舞いによる施策で景気回復が見られ
始めた97年に、時の橋本政権は消費税のアップと医療費負担を大幅に増やした。
http://www.apa.co.jp/appletown/fujiseiji/fuji0001.html
1999年1月を底に景気は回復しはじめ、日銀は政府の反対を押し切って2000年8月にゼロ金利
政策を解除した。しかし、米国でITバブルが崩壊すると輸出の鈍化から2000年11月をピークに
景気は急速に悪化し、2001年3月には再び実質的にゼロ金利政策に戻らざるを得なくなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E6%99%AF%E6%B0%97