764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 20:18:55 ID:YVctssLK0
アメリカを甘く見ていたからだろう。
>>764 色々ひっくるめて総合的にそうなんだろうね。
だからアメリカとは近寄りすぎず、かといって断絶せず、
言うべき事はハッキリと発言しながら友好関係を築いて行きたいものだと感じる訳で。
アメリカで誰が政党を取ろうが、目立った敵対をせずに友好的でありたいと願うよ。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 20:57:34 ID:FGuLXx59O
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 21:00:55 ID:27UzVP6c0
>>766 いいえ単なる交渉案です。
ハル・ノート(Hull note、正式にはOutline of proposed Basis for Agreement Between
The United States and Japan)は太平洋戦争開戦直前の日米交渉において1941年11月27日
になされたアメリカ側から日本側へ提出された交渉案のことであり、交渉のアメリカ側の当事
者であったコーデル・ハル国務長官の名前から名づけられたものである。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 21:35:02 ID:W9GpJE1p0
北朝鮮が日本に完全降伏を求めてきた。他国は干渉してこない。
ってシチュエーションが当時の様子に近いんじゃないかな?
>>760 毎日一センチずつ後退して「わが軍は撤退中である!」
…と言い張ればよかったと。
しかし、日本側はすでに甲案乙案で期限付き撤退を提案してるんだよなあ。
それを承知でハルノートを出してきた以上、アメリカは即時撤退以外飲む気ないんじゃないか。
そもそもハルノートには、「これ飲んだら石油禁輸解禁しまっせ」なんて一言も書いてないよ。
交渉してやってもいいってことだけ。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 22:47:39 ID:BTP3EKrrO
まあ41年後半に入ってからじゃ、もう戦争回避はまず絶対に無理だろう。
日本がハルノートを飲んだ振りをして時間を稼いだとしても、アメリカはすでに対日戦を決意してるから、
またハルノート以上の無理難題をふっかけて日本を締め上げるだろうね。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 23:55:14 ID:ysd3rdbY0
>>764 ルーズベルトは開戦したかったが、その党である共和党は開戦したくなかった。
パールハーバーの大合唱が起きなければ、適当に戦争を終わらせられると考えていただろう。
ルーズベルトを甘く見ていた、ということだが、
白人の黄色人種蔑視のなかで、日本が認められたのはその品性によるのだということを忘れて、
評判の善し悪しを気にしなかった。ドイツと同盟を結んでアメリカの「量産力」を甘く見たってことだな。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 01:55:57 ID:IAxQLxjO0
>>770 時間を稼ぐのは、20年12月の時点で戦争準備が整ってない米国としては
むしろ願ったり叶ったりだろうね。
じらしてひたすら自制して、先に手をださせるくらいしか思いつかない。
それだと日本の国内世論が持たないか・・・。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 10:46:50 ID:/Yx5pTyl0
● 合祀の手順の説明を 秦郁彦(日本大学講師)
従来の推定を裏付ける第一級の歴史資料
靖国神社は天皇参拝の中断覚悟で決断
日本経済新聞社が入手した故富田朝彦元宮内庁朝刊の日記とメモに、
目を通す機会を得た。
日記は1986年まで、メモ手帳は86年から昭和天皇が崩御される半年前の88年6月までで、
両者は重複していない。 日記は害して簡潔だが、メモは天皇の発病(87年9月)以降は
病状を記録する意味もあってか詳しくなり、
昭和天皇も信頼する富田氏に言い残しておきたいとの気持ちもあってか、
自らさまざまな話題を取り上げ、 秘話的なエピソードを含めて語っている。皇室の内情に触れた部分もあり、全面公開は無理だろう。
さて、論議の的になっている富田メモの靖国部分の全文についてだが、97年に故徳川義寛侍従長の
「侍従長の遺言 昭和天皇との50年」(注 岩井克己 聞き書き・解説 朝日新聞社刊)が刊行されて以来、
他の関連証言もあって、天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあったことは研究者の間では定説になっていた。
徳川氏は松平永芳宮司とのやりとりを、「天皇の意を体して」とあからさまには書いていないものの、
関係者や研究者はそのように読み取ってきた。
したがって、私は富田メモを読んでも格別の驚きはなく、「やはりそうだったか」との思いを深めると同時に
「それが私の心だ」という昭和天皇発言の重みと言外に込められた哀切の情に打たれた。なぜか。
応対した徳川氏がA級合祀に疑問を呈したところ、「『そちらの勉強不足だ』みたいな感じで言われ、押し切られた」
(「侍従長の遺言」)という。また、当時の靖国神社広報課長の馬場久夫氏によると、「こういう方をおまつりすると、
お上(天皇)のお参りはできませんよ」(21日付毎日新聞朝刊)と宮内庁の担当者から釘を刺されたという。
つまり、当時の松平宮司は天皇の内意を知らされた時、今後の天皇参拝が不能となってもかまわないという覚悟
のうえで合祀に踏み切ったことになる。それは「私は就任前から『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しない
かぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました」という松平氏独特の歴史観に発していた。
しかも、合祀を期待していなかったはずの遺族(と本人)の事前了解もとらず、神社の職員に口止めしてこっそり
まつったため、半年後に共同通信がスクープ報道するまで、国民も知らされていない。松平路線を継承しているかに
見える現在の靖国神社は、当然の手順を踏まなかった理由を説明する責任があると考える。
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 12:12:12 ID:hiokXNDJ0
マッカーサー回想記 (訳文)
(昭和天皇のお言葉)
「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する
、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたず
ねした。」
私は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸
事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。この勇気に
満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人
の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。
(付記)
マッカーサー元帥は、側近のフェラーズ代将に、「私は天皇にキスしてやりたいほどだっ
た。あんな誠実な人間をかつて見たことがない」と語ったと言う。(当時外務大臣であった重
光葵氏が、1956年9月2日、ニューヨークでマッカーサー元帥を尋ねたときの談話によ
る。)
他にも、「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。彼の人間常識で
は計算されない奥深いものを感じたのだ」〈中山正男氏、日本秘録98項〉
「この第一回会見が済んでから、元帥に会ったところ、陛下ほど自然そのままの純真な、善
良な方を見た事がない。実に立派なお人柄である」と言って陛下との会見を非常に喜んでい
た」〈吉田茂、回想十年〉などの記録がある。
マッカーサー元帥は、陛下がお出での時も、お帰りのときも、玄関までは出ない予定であ
った。しかし、会見後、陛下がお帰りの際には、思わず玄関までお見送りしてしまい、慌て
て奥に引っ込んだ事が、目撃されている。〈吉田茂、回想十年104項以降〉。
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 12:12:58 ID:hiokXNDJ0
マッカーサーは、終戦後、9月27日に初めて天皇陛下と会見し、この時の模様を、Re
miniscences(マッカーサー回想記)の原文P288において、以下のように述
べている。
当初の、「天皇は命乞いに来た」というマッカーサーの予想に反して、昭和天皇は、「戦
争遂行の過程において取られたあらゆる政治的、軍事的決定に対して、自分は、唯一の責任
を負う者として(マッカーサー)閣下が代表する権力に自分の身をゆだねる」とおっしゃた
。陛下の勇気あるご態度に、元帥は文字通り、「骨の髄まで揺さぶられた」と書き残している。
つまり陛下は、責任があると言っておられないが、「責任を負う」と言っておられるので
ある。
陛下のご態度は、自分が助かりたいために東京裁判で嘘をつき(嘘をついたことは、後に
自身が認めている)、責任を一方的に日本になすりつけた、満州国皇帝、溥儀の態度と18
0度異なる。Reminiscencesが出版されたのは、1964年であり、戦後20
年近くたってなお、マッカーサーが、作り話までして昭和天皇を弁護する理由は何もないであろう。
昭和天皇のお人柄は、非常にまじめであり、政教分離の原則に忠実であった。このため
、大東亜戦争を阻止できなかったという道義的責任を問う考えがあることは事実であろう。
しかし、それは憲法に則った立憲君主として御決定の結果であり、当時の憲法(大日本帝国
憲法)においては、その御決定は輔弼者たる臣下(開戦決定の御前会議に列席した東条首相
以下の政府・軍首脳)の実質的な責任において御裁可を仰いだ結果であったことは先に述べ
たとおりである。また、戦禍に倒れた人々に対するお心の痛み(内的、道義的責任)は、陛
下ご自身が折に触れ述べられている。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 12:26:55 ID:hiokXNDJ0
>>773 徳川氏がA級戦犯合祀に反対なのはわかる。しかし、その文章の中には昭和天皇の考えについては
何も書かれていない。徳川氏と昭和天皇が同じ意見であるならば、昭和天皇がA級戦犯合祀に反対
だったとも言えるが、徳川氏と昭和天皇が同じ意見であったと言える根拠は何も無い。
というかメモ自体が本物かどうか怪しいしな。
これで日本のマスコミがおかしいことに気づく人が増えることを祈るばかりだ。
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 00:56:53 ID:d+mKpG5B0
41年のパールハーバーまでアメリカ議会と世論は孤立主義を支持して開戦に反対してたはず。
戦争をやりたがってたのは経済政策の失点の挽回と不人気の打開のため
必死になって世論の矛先を変えたがってたルーズベルトと、ドイツにボコボコにやられてたイギリス人とユダヤ人。
アメリカ国内の非戦派を支援してルーズベルトを失脚させるか気を変えさせるということは出来なかったんだろうか。
まあ、無理だろうな。アメリカのアジア人種差別もえげつないし。世論は日露戦争前からずーっと反日だし。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 01:38:49 ID:DmG9aPGW0
ロシアの方が白人社会の層が厚いよ。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 11:26:35 ID:PDurb4220
昭和26年に、マッカーサーが「日本は自存自衛の為にやむなく開戦した」
と言ったことを日本国民及びに、中・韓などの国々は知るべきである。
781 :
ムフフ:2006/08/30(水) 15:01:54 ID:NKHXsmiK0
>754-759 の皆様方
日米開戦必至...とか、日米開戦必然、よくて日米開戦当然とのご意見が並ぶので、
チョッと茶化した書き方をしてしまいました。
また、日米開戦は既に起きてしまった事実なので、偶然を含めて、何らかの必然が
有った為であります。 過去の事実を全て日米開戦の必然要因として、我々に誤りは
皆無とした所から、進歩は出てくるのでしょうか?
何度も書いていますが、「太平洋戦争を回避できなかったか? の切り口は適切では
なく、何故、その様な道を選択したのか? 選択しない道はあるのか? で考えるべき
と思っております。 少なくとも、勝算や日本が置かれた状況打破・解決の見通しが
無いまま、米国に「先制攻撃」を掛けた無謀さを総括すべきと考えます。
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 15:05:40 ID:d+mKpG5B0
いや、日本は自存自衛のためにこそ、やはり開戦すべきじゃなっかったんだよ。
そこをこそ反省しないといけない。自存自衛のためになら戦争してもいいというのは非常に危険な考えだよ。
戦争した結果、日本は破滅したわけでしょ?
そこを忘れて戦前の日本は間違っていなかったって言う人が多くなってるのに非常に危うさを感じる。
>>782 自存自衛以外で何のために戦争するんだ?侵略か?
×自存自衛のためになら戦争してもいい
↓
○自存自衛のためには戦争するしかない
ということだ。全レス読み直せ。
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 17:45:34 ID:ItfHxZgPO
>>781 つまり歴史は進歩すべきものであり、その進歩の為には批判が必要である、と。
つまりあなたの意見は批判の為の批判という訳だね。
まあ、それならそれでよい。
その歴史の見方の是非はとにかくとして、何かが失敗したから戦争が始まったんだっていう見方には同意しない。
それは歴史を見る場合必ず偏向を生じる。
ハワイやタヒチがアメリカに併合されたのも彼らが歴史的に失敗したからだろうか?
インドやアフリカがイギリスの植民地にされたのもインド人やアフリカ人が失敗してたからなのか?
785 :
749:2006/08/30(水) 21:25:23 ID:DDcjx0bm0
>>752 >
>>749 >>ウィキペディアによると、通州事件の前日に華北で全面的な衝突が始まっている
>ウィキペディアを見たけどそんな事はどこにも書かれていない。
ごめん、見た記憶では、28日に攻撃が始まっていたはず。
しかし、「日中戦争」で見直すと通州事件と同じ29日だった。履歴を見たが、最終書き込みが2月だから、始めから29日だったことになる。
他の項目だったかもしれないが、とにかく同日に攻撃開始となっているのを確認した。
なお、749で書いた他のことについては、他の情報源による記憶。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 21:32:25 ID:PlrTFHfI0
>>781 とりあえず日米開戦の引き返し可能地点と避戦できそうな人間がいたかを考えたら。
787 :
749:2006/08/30(水) 21:34:34 ID:DDcjx0bm0
>>785、
>>752 いや違った。
「盧溝橋事件」の項目だ。
『<7月12日以降>
19日、蒋介石はいわゆる「最後の関頭」演説を公表して、中国の抗戦の覚悟を公式に明らかにした。以降、25日の郎坊事件、26日の広安門事件を経て、28日、ついに北支における日中の全面衝突が始まることになる。 』
これと、「日中戦争」の年表の通州事件の日とを比べて書いたわけだな。
「日中戦争」の表とは微妙に書き方が違い、通州事件とは別の理由が前日にあって事件当日に日本の攻撃が始まった、と取れる。
788 :
749:2006/08/30(水) 21:37:29 ID:DDcjx0bm0
日中戦争の表では、
『7月29日 通州事件(中国{冀東防共自治政府}保安隊による日本人虐殺)、天津駐留日本軍は中国軍攻撃開始。 』
789 :
横レス:2006/08/30(水) 22:03:54 ID:NT5NPkHf0
世界が帝國主義・植民地搾取時代に「黒人、黄色人」は「奴隷の動物以下」
の国際認識時代の戦争を、今、語って罵倒し合う事がムモウの論議だ。
今、ネットしてるけど昔は、電気もなく、自然の生活(動物)が、当たり前
時代だったよ。 赤ちゃんでも「カタワ・未熟児」なんか、どこでも
埋め殺してた時代だよ。
祖母・祖父なども、自ら農作出来なくなったら「姥捨て山に祈願」!
だから、生きたまま、カツイデ捨てに行った(涙ながら)
「ワシより、生まれて来る孫に・・」って「穀つぶし」志願!!
明治の始めでも、年間2000〜6000人餓死 してた時代だよ
大東亜戦争する前でも、今も「7000万人」が自給国家なんだよ
だから、ブラジル・満州・ドミニカ等、海外移住を促進した時代よ。
歴史を語るときは、「時代背景」を勉強してから語るべきだね!! 激
日米開戦必然論、自分も良くわからない。
なぜ、アメリカは日本と戦争したいのか?
戦争したいのなら理由があるはず。
自分は、三国同盟を利用した対独戦への迂回参戦が、日米開戦の主要因である
と考えてますが、同盟抜けたってだめだね、って言われると、じゃあアメリカ
は、なぜどうしたって日本を叩きたかったのかがよくわからんです。778さんの
仰るような論点でならわかりますが、歴史の必然だ、みたいにいわれるとどう
も、、。
個人としての行動の結果について「こうすれば良かったなあ」って反省する訳
だから、国家の行動についても「ああすれば良かった」って反省が出てくるの
は当然だと思いますがね。それはムフフ氏に同意。個人の選択についても勿論
時代の流れで制約が出てくるのは当然ですが、その流れの中でも多少は努力し
て、結果を良くしようとするわけだし。784さんの言う「失敗」は「原因」に置
き換えればどうでしょう?
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 06:07:17 ID:59m3PKnG0
>>790 「原因」は米国の領土拡張主義=帝国主義の為。
米国は米国本土の東部で独立以来、西部に向かって領土拡張を続けインディアンから領土を奪い、
米墨戦争でテキサス、カリフォルニアを奪い、ハワイを併合し、フィリピンを植民地化してきた
その流れから見ると次は日本、中国だったのは明らか。大東亜戦争は偶然起こったものではない
米国は日清戦争から二年後に対日戦略プログラム=オレンジ計画を策定していた。
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 06:16:11 ID:59m3PKnG0
だから彼らはそのプログラムに従って大東亜戦争を起こしただけ。中国大陸で利害が衝突
したからではない。もし日本が中国に進出しなくても米国はなにか理由をみつけ日本と
戦争をしただろう。インディアン、ハワイ、フィリピンの例をみればわかる。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 06:17:05 ID:59m3PKnG0
メキシコも
794 :
ムフフ:2006/08/31(木) 09:25:35 ID:I4+QFXj/0
色々なレスや意見の書き込み、ありがとうございます。
で、もう少し議論を深める為に、緻密なやり取りをしたいな...と考えます。
>783 さん
「自存自衛のためには戦争するしかない」という事だ...との解説、ありがとうございます。
それでは、日本の自存自衛と「日本からの対米戦の宣戦布告」と「先制攻撃」は、
どの様に結び付くのでしょうか、見解、宜しくお願い致します。
>784 さん
私も、「何かが失敗したから戦争が始まったんだっていう見方」には賛成できません。
基本となる価値を何処に置くのか(例:その当時の世論?政策目的?現代のコンセンサス)
で、成功・失敗は変わってきます。
ですので、>790 さんの提示のように、因果関係で議論した方が良いと考えます。
>791 さん
>「原因」は米国の領土拡張主義=帝国主義の為。
とありますが、共和党・民主党でも政策は違いますし、ユダヤ・ロビーも1つだけでは
なかったのですから、もっと掘り下げた見方は、有りませんか?
で、私の疑問は、指導層の何処までが、「日米戦は成算の無い戦い」ととらえていたのか?
それなのに、何故、日本からの宣戦布告と先制攻撃に踏み切ったのか? それは、
現実主義外交の結果なのか? ...というものです。
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 11:24:05 ID:59m3PKnG0
>>794 指導層の何処までが、「日米戦は成算の無い戦い」ととらえていたのか?
日米戦は全く成算の無い戦いではなかった。日露戦争のがもっと成算はなかった。当時の
国力を比較してみればわかるはず。例えばミッドウェー戦で勝っていれば講和に持ち込める
可能性もあった。日露戦争でも日本は一度もロシアには攻め込んでいない。
何故、日本からの宣戦布告と先制攻撃に踏み切ったのか?
強い相手に勝つ為には先制攻撃しかなかったから。
現実主義外交の結果なのか?
当然そう。言うまでもない事。
796 :
陽之介:2006/08/31(木) 12:08:39 ID:E+aN96wI0
日本の対米英開戦の直接動機とされるのは、ハルノートです。
日本の仏印進駐は、直接、シンガポール、フィリピンへの侵攻につながるので、
ここまで来たら、あとは、開戦しかないでしょう。
ただし、この中の「石油輸出禁止」は、実は抜け道があり、「石油製品」ならOKだったらしい。
つまり、日本の政策決定によって、これが「最後通帳」と判断されたわけです。
最大の開戦論者は、海軍なので、石油を理由して開戦を進めた責任は重大でしょう。
さかのぼると、日米の利害対立は、最も大きいのが、(1) 中国問題。
次に国民感情としては、(2) 日本人移民禁止の問題、だと思います。
特に(2)は、当時の人種問題に直結する大問題で、日本人の反米感情を高めた面があります。
また、開戦にいたる状況認識で、「ドイツは、対ソ戦、勝利間近」があります。
1941年後半段階で、ドイツ軍は、モスクワ、ペトログラードに迫りつつあり、、
日本軍部は、ソ連崩壊を予測していました。
これを導いたのは、日独の同盟と、枢軸の形勢です。
したがって、日米開戦の直接責任は海軍にあり、
前提条件としては、日独同盟を進めた外務省の松岡洋右などにあると思います。
つまり、上記二者のような判断、決定がなければ、日米戦は、防げたというのが、
私の感想です。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 12:34:32 ID:RyWA12cIO
結果として先制攻撃だが実は計画段階では先制攻撃じゃなかった。
というのも在アメリカ日本大使館に宣戦布告文が暗号通信で送られたが、その解読を先送りしたため、先制攻撃になったと言われている。
また、日本の目的はあくまでも大東亜共栄圏を名目とした日本本土防衛だと言われている。
そのため、韓国をたった三十年ぐらいで今の北朝鮮農村部以下の環境【それは首都ソウルでも同じ】を近代化させ、識字率が1パーセント以下だったのを教育により向上させた。簡単にいえば明示維新を韓国でしてあげたわけだ。
こんなのでどうかな?
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 12:40:21 ID:59m3PKnG0
>>796 「石油製品」では飛行機や船は動かないので無意味です。
日本の仏印進駐は援蒋ルートを遮断する為に行われたものです。その援蒋ルートにより物資
を輸送していたのは米国です。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 12:44:29 ID:59m3PKnG0
>>797 宣戦布告文は攻撃の直前に米国へ通達される予定だったので実質上先制攻撃と同じ結果に
なると思います。
800 :
陽之介:2006/08/31(木) 13:37:31 ID:E+aN96wI0
>>797 さん
暗号解読の遅れによって宣戦布告文をわたすのが攻撃後になったのが、
よく、「先制攻撃」として問題視されるが、これはそれほど重要だとは思われない。
通常、宣戦布告(の文書)を、在外公館が相手国政府に渡すのは、開戦後、
つまり、先制攻撃後であって、国際法上では、問題ないのではないか。
戦後、アメリカの宣伝で、いかにも日本が「不法な戦争」をやったかのような教育が行われ、その影響で、このような誤解が広まったと思う。
801 :
陽之介:2006/08/31(木) 13:38:17 ID:E+aN96wI0
>>798さん
「石油製品」とは、ガソリン、軽油等、石油から精製されるものを指す。
船、飛行機は、みな石油製品で動いている。
仏印進駐の最大の目的は、南方資源の獲得のための、侵攻作戦基地ではないだろうか。
援蒋ルート遮断は、次の段階の、ビルマ作戦、さらにインパール作戦がそれに当たる。
アメリカは、日本がドイツ側に立って参戦するのを、基本的に恐れており(イギリス敗北を防ぐため)、また、日本の中国での権益を認める可能性があった。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 14:21:14 ID:59m3PKnG0
>>801 同時米国等の石油輸出禁止によりガソリン、軽油等の在庫が減り入手が困難になってきて
いたもし、ガソリン、軽油等が自由に輸入出来るのであればそのようにはならなかったはず。
いずれにしても仏印進駐をしなければ援蒋ルート遮断は不可能。地図をみれば解る。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 14:24:04 ID:59m3PKnG0
続き
イギリス敗北を防ぐため日本がドイツ側に立って参戦するのを、基本的に恐れていたと
いうのはあり得ない。日本の占領地域にはイギリスの植民地はわずかしかなかった。
イギリスにとって殆どダメージはない。
804 :
陽之介:2006/08/31(木) 17:54:14 ID:E+aN96wI0
>>802さん
ドラム缶入りのエクソン製軽質油、と言った形では輸入が可能だった。
それを意図的に無視して、開戦に持っていたのが海軍だと思う。
ハルノートは最後通告ではなく、交渉のための条件提示だった。
「仏印進駐をしなければ援蒋ルート遮断は不可能」
これは、目的、結果が逆転している。
援蒋ルート遮断は、国民党政府と日本が有利な条件で交渉するために、
国民党政府の軍事力を低下させ、戦闘で有利に立つため。
目的はあくまで戦後交渉で日本が有利な果実を獲得するためである。
戦争が目的で戦争をするのは、近代国家ではあり得ない。
日本政府内には、拡大派よりも、不拡大、早期講話派も多かった。
(昭和天皇が、日支事変の拡大を憂慮されていたのは事実である)
第二次上海事変の時点で、蒋介石政府は講話を望んでいた。
これは、蒋がドイツの援助で近代化した軍をつかい、上海周辺で決戦を企図していたが、
日本軍の敢闘によって逆に、敗北し主力を失ったから。
しかし、近衛内閣はこれを拒否、これがその後の解決を難しくした。
それ以前も、二次上海事変の時点も、日本に有利な講話のチャンスはあった。
それが日本の戦争目的であり、満州の承認と中国での利権を獲得すれば、
援蒋ルートの遮断はおろか、日支事変自体も必要が無くなる。
805 :
陽之介:2006/08/31(木) 17:59:56 ID:E+aN96wI0
>>803さん
イギリスの継戦能力は、当初はアメリカの援助が少なかったので、
インド、それにシンガポール、香港などが支えだった。
なぜ、アフリカ戦線でイギリスががんばったかというと、スエズ運河、
つまり、インドとの通商路を奪われるのを恐れたため。
別にキレナイカの砂漠を守るためではない。
日本が対米戦を行わず、英蘭にもを相手に開戦し、シンガポール以西、
インド洋を支配すれば、イギリスは決定的な打撃を受けただろう。
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 21:37:49 ID:ShrVQUlj0
明治維新以前から欧米のスパイが浸透していて、日本には最初から主権がなかったんだよ。
なんで欧米の視点から見れないんだ?
黄色いサルが欧米の都合の悪い方向に向かうわけが無いんだよ。
そんなことすれば核兵器でやられるよ。
もうやられちゃったか・・・。
で、なぜ日本外交は太平洋戦争を回避できなかったか?
なぜ、どういうふうに、だれが日本を利用し続けるのかを追及しなければ答えはでないよ。
ちなみに、ソ連もいわゆる「西側」の人たちが作ったシステムですよ。
もちろんナチスもね。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 22:17:23 ID:59m3PKnG0
>>804 山本五十六(海軍のトップ)は対米戦争には反対だった。理由は勝ち目がないため。
当時のイギリスはまだ経済大国だったので米国の援助は必要としていない。
インドには日本に力は及んではいなかったし、香港、シンガポールは小国である。
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 22:43:01 ID:YSMAgTdJO
>>783 だから日本は「自存自衛の為」に無謀な戦争を始めた結果、自存自衛どころか国が破滅した訳じゃない。
つまり如何なる理由であろうと戦争という選択は大失敗だった。
結局それは自存自衛という目的を全く達していないんだから。
つまり日本という国は自存自衛の為にこそ戦争をしちゃいけない国だったってことだよ。
戦前の日本の戦略や選択は結局失敗だった。それを色々と理由をつけて支持したり
「自存自衛の為なら戦争をしても良いんだ」という考え方をとったりするのは危険であるように感じる。
懲りずに同じ失敗を犯す可能性が高いからだ。
指導層の何処までが、「日米戦は成算の無い戦い」ととらえていたのか?
事、ここにいたると、この当時の歴史の一番悲惨な所だったと思いますね。
指導層、軍人・政治家とも勝ち目のないことははっきりわかってた。
軍部内の真の実力者である中央の中堅幕僚だって、情報扱うわけだから、
国力の絶望的な差なんて百も承知。
日米諒解案なんて、松岡以外は大賛成だったわけでしょう。その実現性の話
は別としてもね。
戦争やっても勝てません、なんて軍人は思っていても言えないのです。
そういう風潮ができたのはなぜかっていうのはここでは触れませんが。
陸軍は海軍が戦争できません、って言ってくれれば若手を抑えられると言い、
海軍は近衛に任せますと言い、近衛は責任取るのは怖くて逃げちゃう。誰も
やりたがらなっかったのに勢いで日米開戦。だからこの歴史は難しいのです
ね。いろんな要素がごっちゃ混ぜになりすぎて、因果関係が全くハッキリし
ない。「個人」に着目しても、立場・状況によってその発言をコロコロ変え
るもんだから「誰が何派」なんて簡単なレッテル張りすらできない。
ただ、私個人は日米戦の回避可能地点はもっと前だった思ってるんで、この
時点の指導層のことをとやかく言うつもりはないですが。
808に全く同意。
現在の価値観からの判断ではなく、当時の日本の政策目標からいって日米開戦
は失敗以外の何者でもない。全てを失ってほぼアメリカの属国化したわけです
からね。結果として、経済的繁栄をもたらし云々つうのはそれこそ現代の価値
観からの判断。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:49:44 ID:/CBOQ1AKO
>>807 1940年のバトルオブブリテンの最中に既に大英帝国は事実上破産してて、イギリス大蔵省がそういう報告書を出してる。
そもそもバトルオブブリテンで戦ってた戦闘機の部品はほとんどアメリカ製だし、武器貸与法でアメリカがイギリスを支援してなかったらとっくにドイツに敗戦してた。
それでもイギリスが闘い続けて軍を引かずに日本の挑発まで続けてたのはチャーチルの超タカ派的性格にもよるが
徹底的にアメリカに借金しておけば、アメリカもイギリスを見捨てられなくなって参戦するだろうという狙いがあった。
(当時アメリカの財界はどちらかというとドイツ寄りだった。親ナチスのアメリカ人も沢山いた)
また、ナチス嫌いでアジア嫌いの人種差別主義者ルーズベルトを利用するには、日本も戦争に巻き込めばよいと考えていた。
チャーチルがパールハーバーの計画を知っており、ハルノートの提出をルーズベルトにけしかけた事は良く知られている。
そうやってアメリカを戦争に巻き込んだ結果、イギリスは一応戦勝国になった。
だが、戦後ほとんど総ての植民地を失い、食料輸入にすら逼迫して食料事情が敗戦国のイタリア以下になり、戦後もかなりの間配給制が続き、莫大な対米借金を抱えて事実上アメリカの属国となった。
Standard石油のドラム売りが可能って、何処の資料?
リンク呈示求む。
それは対米戦争責任を海軍に押し付けたい陸軍出身者の意見では?
日米対立の原因は満州・日華事変ですよ?陸軍が燃料の対米依存も考えず走った
だけでしょう?
第一ドラム缶で輸入して済むような数量じゃないでしょうに?
軍用機の揮発油も軍艦の重油も。「陸軍の戦闘機燃料だけなら蘭印進駐せずとも
なんとかなったかもしれない」と言って、米国との対立の原因を作り、政府の不拡大
方針を無視した責任を回避しているだけですよ。軍艦の重油がドラム缶輸入で済むわけはない
のは誰にでもわかるから、「軽質油」と言っているんですよ。でも、軍艦も輸送船も動かなくなったら
中国戦線への補給は何で運ぶのですか? 要は責任の海軍への押し付けでしかないよ。
ハルノート時点では米の戦争決意は相当固まっていたのでは?ただ日本から仕掛けられるのを待っていただけで。
だからこそ、石油禁輸・屑鉄禁輸したんでしょうに。
リットン調査団の日本軍の満州からの撤退と国連統治を陸軍は飲めなかった
でしょうに。
石油禁輸の原因は南部仏印進駐。
満州事変や日華事変が原因ならもっと早くに禁輸されている。
何故、日本外交が太平洋戦争を回避できなかったのかといえば
シビリアンコントロールではなかったから。
軍法会議と人事が軍内部のお手盛だったから。
この二つが基本要因でしょう。
米英の推した直隷派が蒋介石の北伐で壊滅したあと、米英の援助の金に目がくらんだ
張作霖が日本を裏切って米英側に乗り換え、北京制覇に出かけて蒋介石に負けて
逃げ帰ってきた。 河本大作ら関東軍将校は裏切った上に負けて逃げてきた馬鹿な張作霖を
見限って爆殺した。昭和天皇は怒って真相究明を命じ、田中義一(陸軍大将)首相は真相究明を
確約したが陸軍内部の反対でうやむやにせざるを得なくなり、天皇の怒りを買って辞職
要は、統帥権とか言いながら、関東軍将校は内閣だけでなく、天皇の意向にも逆らって
勝手な事をしていた。なぜなら張作霖爆殺は失策であり満州軍閥を敵にまわしてしまった、
(中国側要請のもと駐兵と言う形にしないと駐兵正当化できないのに)その結果外交的には
満州から撤退せざるを得ない状態に陥っていたが、関東軍将校はその指示に従うと
自分らの張作霖殺害が原因で満州を失った事になり責任が発生するので中央の指示に従わなかった
これが日米開戦の主因であるし、
軍法会議が軍のお手盛だったため、クーデター未遂の三月事件十月事件は
陸軍首脳部が噛んでいたため隠匿不問。5.15事件もクーデター参画者への
甘い処分を招いた。 政治家も
怒った張作霖の息子張学良は満州鉄道に平行鉄道を敷設して
営業妨害しようとしたりし始めた。そこで石原莞爾等が勝手に満州国創設。張学良駆逐・・・
で・・この場合、外交的には満鉄営業権維持を条件に満州を国連統治に後退させてでも
米英と修復を図るのが外交的正解だったでしょうし、事実政府はそうしようとしたが
関東軍は統帥権をたてに言う事を聞かなかった。
なぜかと言えば、そうすれば、関東軍の張作霖殺害という失策(現地政府/軍閥
の要請がないと日本の駐兵を正当化できないから、腹立たしい事があっても外交的には
現地軍閥と揉めてはいけなかった)のため満州を失う破目になったのを認める事になり、
責任を問われるから。(石原莞爾は全然偉大ではなく、戦犯扱いすべき馬鹿と思う。
石油も鉄鋼もなしにGNPの差も考えず、何が最終戦争か?張作霖とは忍耐強く付き合わねばいけなかったし、
殺したら素直に撤収しなければいけなかったのに、自らの失策を取り返そうとして政府の制止も
陛下の意向も無視し、日米関係を酷くこじらせてしまった関東軍の中心人物の一人であろう)
その後クーデター未遂の三月事件、十月事件について陸軍は存在を隠蔽し
処罰もしなかった。5.15事件では海軍は軍法会議に手心を加え甘い判決で済ました。
軍の意向に反する政治家が殺され、マスコミも口を噤まざるを得なくなった。
暴走は止まらなくなった。戦争中、東條は人事権を乱用し、反対者や、竹槍迎撃を批判した新聞記者を
赤紙召集して最も危険で死亡率の高い前線に送った。
陸軍だけでなく海軍も5.15の責任はあるが・・
シビリアンコントロール。軍法会議なく、一般法廷での裁判とクーデター首謀者の確実な死刑。
人事権の制服組みからの分離・・・は戦訓として死守すべきでしょう。
防衛庁の省昇格があっても、軍法会議は要らない。他国では機能するかもしれないが
日本では過去軍人がクーデター参加者を死刑にしないで、クーデター頻発を招いたから
軍法会議復活は許してはならないし、クーデター謀議を察知すべく公安警察を浸透
させるべきでしょう。
高級軍人人事が政治家の手にないのと、大本営発表をやった場合の苛烈な罰則が
決められて無いのは現法律の不十分なところだが・・