351 :
1:
およそあらゆる表現活動は、人前に出て恥をさらすところから始まる。
なんだこりゃ、と罵声を浴びせられ、出なおしてこい、金返せと
ぼろくそに言われる。言われる本人はものすごく辛い。辛いから考える。
自分のどこが悪かったかのかと眠らずに考える。もう辞めてしまおうかなんて
あきらめが頭をよぎることもある。
だからこそ再び頑張れる。過去の自分よりは少しでもましになろうと努力を重ねる。
試すこともせずに修行を口にするやつは自分を甘やかしいるにすぎない。それが
楽だからだ。隠れていられるからだ。そしてその根本は、恥を恐れるという意識にある。
恥をおそれる人間は、恥のない状況を修行後の姿を考え、そうなってからが出番だと
勘違いしている。ところが恥をかかない状況は、かなり恥をかいてから、そこから
這い上がってからでしか生まれない。つまり現場に飛び込まないと、本当の修行は
ひとつも始まらないというのが俺のいいたいことなんだ。
〈略〉
答えはひとつだ。
自分がやりたいと思ったら、その日から行動を起こすことだ。俳優になりたい人は、
そう思ったときから俳優業を始めればいい。歌手になりたい人は、修行なんてことを
考えず、いきなりオーディションにぶつかってみるべきである。
ちょっとそれはきついよ、なんて言ってはいけない。始まりはそこにしかいないのだ。
あとは恥をかいて悩み、恥をかいて泣き、恥をかいて悶絶し、恥をかいてちょっぴり
ましになることの連続である。
そうやって表現者は誕生していく。これは本当の話だからね。
隠れミノの言葉は破棄せよ。
〈某ミュージシャンの本より〉