愛子様の『美人』度が銀河系を超えて計測不能な件27
噂の真相 1989年11月号
礼宮婚約報道の舞台裏秘話 出会いのサークルへの疑問
皇室PRのヤラセ説もあり
しかし、それにしても、ちょっと「話が出来すぎ」なのである。そもそも「中流家庭」という
が、紀子嬢の父親は学習院大学教授で馬術部の部長でもある。馬術部は毎年、
天皇一家も参加する「初乗り会」なる行事を主催しており、学習院内でも皇室とは
もともときわめて近い関係にある。
また、宮内庁の正式発表によれば、礼宮がはじめて紀子嬢を知ったのは、紀子嬢が
学習院大学に入学して間もない4月。大学内の書店で書店主に紹介された事になっているが、
実際には、彼女が学習院女子高時代に家族ぐるみで顔を合わせてことがあるとの
証言もある。つまり、紀子嬢の存在はかなり早い段階で礼宮や皇室・宮内庁の視野に
入っていた、と考えた方が自然なのである。
さらに、例の「自然文化研究会」なる同じサークルで顔を合わせているうちに親しく
なった、という有名なエピソードになると、全くのつくり事といわざるをえない。
紀子嬢は、それ以前に’85年6月の段階で礼宮の主宰する「パレスヒルズテニスクラブ」と
いう別のサークルに入部しているのだ。このサークルを知るある学習院OBによると
「この時、礼宮さまは取り巻きの女性を通じて、紀子さんを勧誘させたらしいですね。
このサークルは他にも礼宮さまのお気に入りの友達だけを集める形でつくられたようです。
当然、入部される方の身元に関しては侍従なり宮内庁なりが事前に調査はしていると
思いますよ」
つまり、このサークルは、礼宮サイドが気に入った複数のお妃候補を入部させる
一種のお見合い機関だった、と。そしてその中で最終的に選ばれたのが川嶋紀子嬢で
あった。事実、同年の12月、礼宮がくだんの「自然文化研究会」を設立した時には、
すでに二人は交際中であり、紀子嬢は設立と同時に入部している。
そして、この「自然文化研究会」のほうは、どうやら二人の交際・デートの隠れみのとして
設立されたフシがあるのだ。