名古屋人がいつの間にか関東弁になった件

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630名無す
武蔵守
引田祖父(703年〈大宝3年〉〜)
当麻桜井(708年〈和銅元年〉〜)
大神狛麻呂(715年〈霊亀元年〉〜)
多治比縣守(719年〈養老3年〉〜)
布施国足(731年〈天平3年〉〜)
多治比広足(738年〈天平10年〉〜)
紀清人(746年〈天平18年〉〜)
平群広成(752年〈天平勝宝4年〉〜)
石川麻呂(754年〈天平勝宝6年〉〜)
高倉福信(756年〈天平勝宝8年〉〜)
石川人成(764年〈天平宝字8年〉〜)
巨勢公成(766年〈天平神護2年〉〜)
藤原雄田麻呂(768年〈神護景雲2年〉〜)
高麗福信(770年〈宝亀元年〉〜)造宮卿 従三位
藤原浜成(774年〈宝亀5年〉〜)刑部卿 正四位下
笠王(778年〈宝亀9年〉〜)従五位下
石川真守(781年〈天応5年〉〜)正五位下
高倉福信(再任:783年〈延暦2年〉〜)弾正尹 従三位
石川垣守(785年〈延暦4年〉〜)宮内卿 従四位上
阿保人上(786年〈延暦5年〉〜)従五位上
石川豊人(788年〈延暦7年〉〜)中宮大夫 従四位上 大蔵卿
多治比宇美(791年〈延暦10年〉〜)右中弁 正五位下
藤原内麻呂(806年〈延暦25年〉1月28日〜806年〈延暦25年〉4月18日)従三位中納言
藤原真夏(807年〈大同2年〉6月20日〜807年〈大同2年〉4月26日)従四位下
春原五百枝(806年〈大同2年〉8月20日〜807年〈大同2年〉8月26日)従四位上
安倍鷹野(808年〈大同3年〉7月9日〜809年〈大同4年〉2月28日)正五位下
礒野王(809年〈大同4年〉3月11日〜 )従五位下
吉備泉(810年〈大同5年〉7月16日〜814年〈弘仁5年〉閏7月8日)正四位下→正四位上参議
大伴国造(825年〈天長2年〉1月11日〜826年〈天長3年〉1月21日)従四位上参議
藤原綱継(826年〈天長3年〉1月21日〜826年〈天長3年〉3月3日)従四位上
大伴国造(826年〈天長3年〉3月3日〜826年〈天長3年〉8月28日)従四位上参議
石川河主( 〜830年〈天長7年〉12月27日)正四位上
道野王(836年〈承和3年〉〜 )従四位下
正道王(840年〈承和7年〉1月30日〜841年〈承和8年〉6月11日)従四位下
源信(841年〈承和8年〉7月8日〜 )正三位参議
田口佐波主(842年〈承和9年〉8月11日〜 )従四位下
林常継(843年〈承和10年〉1月12日〜 )従五位下
佐伯利世(845年〈承和12年〉1月11日〜845年〈承和12年〉8月25日)正五位下
(権守)丹墀門成(846年〈承和13年〉2月11日〜 )従五位下
※丹と門の間の字=土へんに、犀。

橘本継(849年〈嘉祥2年〉1月13日〜 )従五位下
丹墀石雄(850年〈嘉祥3年〉1月13日〜 )従五位上
※丹と石の間の字=土へんに、犀。