1 :
人間国宝:
敗戦の痛手から立ち直っていない日本は、
アメリカに憧れ大量生産方式などモノの豊かさを学ぶことに夢中でした。
そうした時代風潮と袂を分け、日本の未来に新しい視点を示したのが、
宮内庁御学問所御用掛り博物学研究で昭和天皇へのご奉仕をされていた、
服部廣太郎(ひろたろう)博士でした。
学院創立者である博士は、「世界に文化で貢献する日本」を創ることこそが、
真の平和な世界を築くことになると確信していました。
この強い信念に突き動かされて、未来を創る夢を若者に託す御茶の水美術学院を構想したのです。
「世界に文化で貢献する」。この高邁な理念を引き継ぎ学院創立の中心となったのが服部親行(ちかみち)です。
モノの豊かさを追求し高度成長に向かう日本にあって服部親行はヨーロッパを学びの拠点としました。
さまざまな文化が交錯するフランスに暮らし、心を豊かにするのは、「モノの豊かさではなく美である」ことを確信。
美こそが豊かな社会を生み出す文化力であるという信念に基づき、1955年、御茶の水美術学院を創立しました。
【愛国芸術】御茶の水美術学院【第一楽章】
語ったれや!!
2 :
Cosmopolitan Airways:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN
現在の中国大陸から、朝鮮半島・韓半島を経由した、極東最後の日本神話に、初代天皇(神武天皇)が降臨(こうりん)したのは、定説では、救世主・キリストの生誕以前となる、紀元前8世紀とされる。
日本国は神が創造した人類最後の楽園、と、説いたのは、
世界政府の重要性とその意義は主張したアルベルト・アインシュタインではあるが、
かの偉人の言動は、かつてのドイツによるナチズム(ゲルマン民族による世界支配)や、
イタリアによるファシズム(ローマ・カトリックによる世界支配)などを彷彿(ほうふつ)とさせる事から、
現代の日本国民としては、ありがた迷惑な話ではある。
人類に楽園を提供するのは、他ならぬ、国際連合の使命であり責務である。
かつて「東京美術学校」と「御茶の水美術学校」は、文壇・画壇を牽引する「日本の両翼」と呼ばれた。
我が国の昭和戦中・戦後の愛国主義者には、二種類の人間しか存在しなかったのであろう。
A級戦犯・東条英機(内閣総理大臣)による大東亜共栄圏とは、
旧制・東京美術学校の岡倉天心が執筆した「東洋の理想」を濫用(らんよう)した、
反欧米列強・アジア植民地侵略支配という暴挙とも呼ばれている。
一方、対峙(たいじ)する天皇家は、昭和天皇の遺訓である「正義と秩序を基調とする国際平和」に基づき、
A級戦犯が合祀された靖国神社の公式参拝を断固拒否している。
昭和敗戦後(第二次世界大戦後)旧制・御茶の水美術学校は、国際性に富んだ皇室・皇族との所縁(ゆかり)にも及ぶ、新制・国際高等教育機関として、新たな門出を向かえる。
昭和敗戦後間も無くの昔から、昭和天皇崩御(ほうぎょ)間も無くに至るまで、
東京芸術大学付属高等学校校舎正門が、御茶の水美術学院校舎正門と、
対峙(たいじ)すべく設置されていたのは、何故だろうか。
今一度、明治時代「東京美術学校」と「御茶の水美術学校」は、江戸後期にもその起源が遡るであろう、
日本の文壇・画壇の両翼だったと、古くから語り継がれている。
その一翼を担った旧制・東京美術学校は、昭和敗戦後(第二次世界大戦後)日本国政府管轄下の新制・国立大学として、新たに使用される事となる。
おそらくは、その事から、そのもう一翼を担った旧制・御茶の水美術学校が、
対照的に日本国の象徴として終世、世界の恒久平和を祈り続けた昭和天皇の、側近中の側近、宮内庁・服部廣太郎博士直々(じきじき)の悲願により、
まさに終戦後の日本による世界貢献という、世界に殆ど類を見ない壮大な教育理念(コスモポリタン思想)のもと、
新制・御茶の水美術学院、そして、その後の御茶の水美術専門学校(事実上の御茶の水美術大学)として、新たに使用される事となったのであろう。
ともかくも、結論として「御茶美」と「東京芸大本営(だいほんえい)」が一線を画した歴史的経緯のひとつが、
グローバリゼーション(世界大戦)の中で混迷を余儀なくされた、一国家における、
その「確執(かくしつ)」に由来したのでは無かろうか・・・・。
7 :
作者不詳:2013/12/06(金) 12:40:26.50
目白の「すいどーばた美術学院(通称:どばた)」、新宿の「新宿美術学院(通称:新美)」、御茶ノ水の「御茶の水美術学院(通称:お茶美)」
以上の3校が、全国区的人気を博し続ける、日本の三大美術大学受験予備校
いわゆる「御三家」である(1990年代当時の東京芸術大学合格率順)
8 :
作者不詳:2013/12/06(金) 12:43:42.83
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
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御茶の水美術学院
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9 :
作者不詳:2013/12/06(金) 12:48:53.58
御茶の水美術学院
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10 :
作者不詳:2013/12/06(金) 12:49:35.76
御茶の水美術学院
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11 :
作者不詳:2013/12/06(金) 12:50:17.76
御茶の水美術学院
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12 :
作者不詳:2013/12/06(金) 12:50:58.76
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13 :
作者不詳:2013/12/06(金) 12:51:40.63
御茶の水美術学院
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14 :
作者不詳:2013/12/06(金) 12:52:22.96
御茶の水美術学院
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15 :
作者不詳:2013/12/06(金) 17:52:46.26
16 :
作者不詳:2013/12/06(金) 17:57:20.20
昔の話だが「すいどーばた美術学院」と「新宿美術学院」は、「東京芸術大学」の「入試合格」を目的とする教育システムだった。
具体的に言えば、当時の東京芸術大学好みの、マニュアル化された受験デッサンなどの、詰め込み教育。実際、どの学生の作品も殆ど同じ様に見えたものである。
それが、詰め込み教育の必然的な結果である。ただ、美術大学受験予備校は、文字どおり「入試合格」を目的とする教育機関である事から、それらの2校の教育システムにこそ正統性があった事になる。
また、当時、それらの2校の学生達の「技術的」な「レベル(言うなれば偏差値)」は、「御茶の水美術学院」の学生達のそれを、遥かに上回るものがあった。
実話であるが「新宿美術学院」の「公開模擬試験」に乱入した「御茶の水美術学院」の「優等生」の「作品」が「最下位」の採点を受けた事もある。
技術的には「単なる三流」だったと言えばそれまでだが。
それでも「御茶の水美術学院」は、それらの2校とは一線を画し、映像も含めた特にファインアートの分野などにおいて、
美術大学受験予備校でありながら、単なる美術大学受験予備校の域を超えた、学生達の将来を見据えた、
つまり、受験よりもむしろ「社会性」、ならびに「自発性」を重視する「作家の育成」を目的とする教育システムだった。
付け加える事「美術学校」でありながら「国語教育」つまり「文学」に力を注いでいる事でも知られていた。
17 :
作者不詳:2013/12/06(金) 17:59:41.39
個人的にも「文書構築」の「プロセス」言うなれば「プログラミング」は「ギリシャ彫刻石膏デッサン」と相通ずるものがあると考える・・・。
18 :
作者不詳:2013/12/06(金) 18:26:29.32
目白の殺風景な雑居ビル街にある「どばた」や、
新宿の殺伐とした雑居ビル街にある「新美」とは、大きく異なる、
「御茶の水美術学院」の魅力と人気の秘訣は、
その伝統や校風はもとより、他校とは比較にならない程の非常にリーズナブルだった授業料、
そして、何よりも、その環境と立地条件にある、
神保町の古本街については言うまでもなく。
夜にはオレンジ色にライトアップされる「御茶ノ水」のシンボル「聖橋(ひじりばし)」、
お茶美の公開セミナーで毎年使用された、日仏文化交流を目的とする「フランス政府外務省」直属の文化施設である、「日仏会館」、
ロシア・ギリシャ正教会としては国内最大級であり、我が国の「重要文化財」でもある、その名も「東京復活大聖堂(通称・ニコライ堂)」、
米国「ジミ・ヘンドリックス」愛用の「エレキギター」などを埋蔵する、
プロのミュージシャンや本格的な音楽愛好家御用達の楽器店・楽譜店・輸入版・インディーズ・海賊版専門店が軒を連ねるなど、音楽街としても国内最大級である。
日本の美術学校で一番美術学校らしかったなぁ・・・
19 :
作者不詳:2013/12/06(金) 18:30:45.99
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
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御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
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御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
御茶の水美術学院
20 :
作者不詳:2013/12/07(土) 20:56:33.53
なんなんだ一体
21 :
作者不詳:2013/12/08(日) 07:27:52.20
22 :
作者不詳:2013/12/08(日) 07:38:54.63
23 :
作者不詳:2013/12/08(日) 07:46:39.01
24 :
崎正:2013/12/08(日) 15:36:27.31
アントテオ猪木
25 :
作者不詳:2013/12/08(日) 17:31:32.77
26 :
作者不詳:2013/12/22(日) 08:32:45.09
27 :
優しい名無しさん:2014/08/03(日) 18:15:26.37
28 :
作者不詳:
ここの職員いつもリクナビで募集しているね。