まじめに哲学する場所  

このエントリーをはてなブックマークに追加
例えば「哲学なんぞオナニーにすぎん」と言ってみましょう。
この一文は哲学についてのある種の知を提示しています。
ただ、「哲学なんぞオナニーにすぎんと考えるのは何故か」「何故哲学はオナニ
ーでしかないと考えられるようになったのか」を考えることもまた可能でしょう。
つまり哲学を否定する考え方とはどういう思索を背景としているのか、それを問
うこともまた可能なわけです。その場合に生じる言説も哲学でしょう。
もっと言ってしまえば、生物学者は遺伝子に関する分析を行うことはできるが、
遺伝子技術が我々の人間観にどういう事態をもたらすか、それに答えることは
おそらく困難でしょう。だから生命倫理学という形の哲学がもてはやされている
わけです。