まじめに哲学する場所  

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なんかこう、「宇宙の真理」とか「人生の意味」とかを追求するものとしての
哲学というのはもう役目を終えているという印象はありますな。
少なくとも「悟り」だとか「悟ることを学ぶこと」とかとは別のものになりつつ
あるでしょう。悟りは宗教的実践、悟ることを学ぶことは宗教学になるでしょう。
ただし、悟りとは関係ない(または悟りというものをも含めた)人間の知的営為
そのものに関する知的営為としての哲学は、生き残るでしょう。生き残るという
か、ほぼ避けられない問いについての学問として存続せざるをえないのではな
いか、とも思います。