とんがり

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426「魔王スレ総括」実行委員会
>>415
「デモーニッシュ」とは、「悪魔、鬼神」を意味する比較的一般的な語彙である「デーモン」の派生形であり、
即ち「悪魔、鬼神にとりつかれたようなさま」と、一応の辞書的・語義的な説明を与えることができる。
そしてその「デーモン」、「悪魔」を統べる「王」の名を冠した第1フクハンこそかの「魔王」なのであったが、
これをキリスト教における善なる「神」と対立的に規定される「悪魔」=「デーモン」と解すると本質を見誤る。
魔王スレの黎明期においては、「魔王」と「神」の対立というこの矮小化された仮面遊戯も認められはするものの、
我々としては本来、この「デーモン」とはその語源たるギリシャ語の「ダイモン」と読み替えるべきであると見る。
そしてこの「ダイモン」への言及は、芥川龍之介から小林秀雄にまで及ぶ古往今来の作家・評論家に幅広く認められ、
とりわけ魔王の真の第2フクハンと呼べる「芥川龍之介」が>>213において引用している『暗中問答』の原作中では、
芥川龍之介という実在の人物と「僕等を支配する Daimon 」との苦闘が生々しく綴られており、
ここに、ダイモンに滅ぼされた「芥川龍之介」と、ダイモンを従えようとする「魔王」という、
「神」対「魔王」という構図では見失われる、ダイモンを巡る本質的な対立軸が明らかとなる。

かの名コテハン「本屋の店員」は、魔王スレを「一つのデモーニッシュな脳髄の映し出した幻影の宴」と総括したが、
我々としては、ここにおける具象的な意味での「一つ」という数の限定に関しては異を唱えたい。
少なくとも、この「デモーニッシュな脳髄」の持ち主、即ちダイモンに憑かれた者は魔王スレにおいては複数おり、
第一に魔王が挙げられることは言うに及ばず、やや広く解するならば実架や人肉、不明までを含めることができよう。
そして無論、枢要な第二項たるみ〜・かつをに代表される「ゴムファミリー」の存在を閑却することはできない。
およそ、第46代魔王スレにおいて追究された魔王スレの真相、「黒幕」の正体などというものは、
これら複数の者達の中で一体誰が最も推理小説的な驚きを与えうる、謂わばネタバラシをし得たかといった、
相対的にして非本質的な事柄に過ぎないものと思われる。本件に関し、我々として大方の予想がつきはするものの、
ずばりそれは誰であり、真相はこうであったと確言するまでの資料は当然ながら2ちゃんねる上には存在せず、
明確な裏づけを示しての回答は結局のところ不可能であり、またその必要性も希薄であると考える。

が、やや穿った解釈として、魔王スレの「呪い」の正体、その真の「黒幕」を「一者」と表現する余地はある。
そうした解釈のもと、「魔王スレの呪い」の正体を解明するうえで第一に考えねばならないことは、
そもそもこの「呪い」とは単数であるのか複数であるのか、それともその数を問うこと自体が無意味であるのか、
という、>>325において「めーすけ」がジャック・ラカンの精神分析を巡って行った議論と類似した問題であり、
有の比喩としての「1」のみしか許容しえない不可算の「象徴界の穴」と「魔王スレの呪い」との同型性である。
それは即ち「ダイモン」と呼んだとしても何ら差し支えはなく、また同時に如何なる言葉によっても語りえない。

結論としてただ一つだけ言えることがある。魔王の引用したジャック・デリダの言葉になぞらえて。
・魔王スレの呪いとはXであるという全ての言明は偽である。
・しかし、魔王スレの呪いは実に魅惑的であった。

今や、「魔王スレの総括」の機は熟した。
その最終的なステージへと移行する予備作業として、我々は次に掲載する「魔王論」を用意しているが、
総括それ自体の遂行にあたっては、場を改め、以下のスレッドを利用されたい。
「魔王の相談室」総括スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1235203986/