とんがり

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228名無しちゃん…電波届いた?

【始原】

まず、魔王スレ発祥の母胎となった人生相談板及び2ちゃんねるの前史については粗略な関説にとどめよう。
1985年4月、電電公社の民営化は電話回線を用いたパソコン通信の途を開いたが、2ちゃんねると比すと、
「草の根BBS」といった電子掲示板は未だ実名での書き込みが中心であり、本質的に別種のものであった。
1990年代半ばに差し掛かり、インターネット網の発達を俟つことではじめて匿名掲示板の文化が勃興し、
1999年5月30日、「あめぞう」を前身とする2ちゃんねるが一時的な避難所として開設されるに至る。
以後、日本最大の掲示板群へと成長した2ちゃんねるの管理人「ひろゆき」は、2000年の初頭、
その知的な質の向上を期し、学問系の板の設立に尽力していたとされるが、他方、かかる時代情況の中、
人生相談板においては同年1月22日、立花隆を自称する者が「よろず駆け込み寺」なるスレを設立した。
>>  を一読して分かる通り、あらゆる話題に開かれた対話の場を理念とする点では魔王スレの先駆であり、
劈頭の書き込みにある「なんでも結構」は、魔王スレ初の一文たる「何でも書け。」に通じる響きを孕む。
とはいえ、同スレの「クレーム」なる者が喝破した通り、立花隆は物事の本質に踏み込むことを避けており、
安全な高所において多様な知識と戯れる批評家に過ぎず、未だダイモンの近傍を周遊するのみであった。

>哲学的なことに興味があるならもっと真正面から
>ぶつかっていったらどうか。
>その結果気が触れても構わんじゃないか。
>人間の精神の限界というか闇みたいなものに
>限りなく近づいていくようなことをやってもらいたい。

と、いみじくも言い得たこの者が剔抉した一つの欠損は、単に立花隆という人物の浅薄さのみならず、
「人生」という最も根源的な問題を扱うこの板にあって、切実に希求されている或る要素の存在をも示唆し、
かかる不足を補い得る未見のスレの出現が望まれた。時代は魔王スレの始動まで残り1年と迫っていた。
ここで、魔王の行った初のフクハンたる芥川龍之介が、正にこの狂気や「闇」と対峙する存在として登場し、
>>213に引用された『暗中問答』の作中で、「僕等を超えた力」「僕等を支配する Daimon 」等と指呼される、
或る「語り得ないもの」との苦闘の歴史を引き受けようとする態度表明が見られたことは一顧に価する。

魔王スレを別の視角から捉えるならば、人生板において閉鎖的と揶揄される雑談に明け暮れたあげく、
「人間関係の実践」が熾烈な愛憎劇を招き、他の板への移転を余儀なくされた「深夜スレ」シリーズ、
キャラクター性を強く打ち出した仮面劇の如き戯れという点では>>209上の「マゾーンの人生相談」、
これらを魔王スレの登場する下地を醸成した先蹤と呼ぶべきスレと見做すこともできよう。
とりわけ魔王自身が直接のモデルとしたとされる後者には、後の魔王スレ住人も既に多数登場していた。
尚、金融屋は移転後の「深夜スレ」系統の住人であったことから、当面、魔王スレとは没交渉であった。

さて、魔王スレの創生を可能にした時代的条件、人生相談板の情勢としては下記の4点に要約できる。
a.パソコン通信時代を経たインターネット網の発達から生じた匿名掲示板がフクハンの可能性を開いた
b.かかるフクハン遊戯を許容する場としてのマゾーンスレといった見本が、人生相談板に登場していた
c.人間関係の実践を以って人生相談に代えるとする発想に先鞭をつけた深夜スレが既に存在していた
d.人生相談板において、狂気も闇をも恐れず物事の本質と格闘し得る知性の登場が夙に望まれていた
かくして、魔王スレ始動の機は熟したのである。
229名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/20(火) 02:15:33
【黎明】

2001年1月5日深夜、初代魔王スレ「魔王の相談室」は突如として2ちゃんねる人生相談板に出現した。
これに対する人生相談板住人は、また一過性のネタスレが立ったという呆れを以って迎えたのだが、
これが以後の人生板の歴史に深く根を下ろす宿痾とも呼べる特異点となろうとは、誰も予見し得なかった。
魔王とかつを=ぶぶとの接触は>>209下において見られるものの、この時はまだ仮面劇の域を出ておらず、
りむりむ、ゴム人間、ボンゴ田中=さきっちょ、旅人=マンゴー皇帝等とも表層的な交流に終始していた。
ここにおいては125=白昼夢と魔王との馴れ合い等、今となってはとうに風化した挿話も見ることができる。
また、当初のスレ住人がsage進行をしなかったこともあり、先述の深夜スレの再来として糾弾された経緯は、
>>210等に見られるのであるが、当のスレ住人の誰もがその深夜スレを知らなかったという齟齬からして、
既に当時の人生板における急速な世代交代は、金融屋等を埒外にして進行していたことを物語っていよう。
加えて言えば、急速にユーザーを拡大しつつあった当時の2ちゃんねるにあっては、
運営システム自体が未だ脆弱であったために、アクセスの輻輳する時間帯にしばしばその許容量を超え、
連夜、所謂「板がとぶ」という情況を呈していたことも、魔王スレの黎明期を叙述する上では見逃せない。
これまで存在したスレが一挙に消え去り、白紙の板へと全住人が投げ出されるというこの非常事態は、
かえって、当時のまだ小規模とも言える人生相談板住人の連帯と混交とを促したと見ることもできる。
こうした際の臨時の避難所として誰ともなく立てるスレとして定番の名称となっていた「dj」といった風物も、
今となっては目にすることがなくなった。現在の住人からすれば往時の災害の体験談を聞くが如きであろう。
230名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/20(火) 02:30:36
【開闢】

魔王スレの実質的開闢とも呼べる事件は、その設立から約10日というタイムラグを経て発生した。
>>212に見られるフクハン・ネカマ疑惑が全ての悪夢の始まりであり、魔王の眩暈を惹起する原因であった。
この疑惑そのものに関しては、魔王とりむりむとの電話という手段によって意外な解決を見たのであったが、
それはまた一方で旅人を中心とした人間ドラマ、他方で魔王=芥川を中心としたフクハン活動へと発展する。
そんな中、第4代魔王スレにおいては、>>214の通り、魔王とマゾーンの接触という椿事も実現していた。
>>216の魔王によるネタバラシ以降、そのフクハン活動は一個人中の別人物という特異な公認を受けるが、
この一件の与えた衝撃は、ボンゴ田中=さきっちょによるはるか=アルプケット=ちゃむ=ぷるんといった、
新たな本格的フクハン活動への機縁ともなり、金融屋をして万難を排しても会ってみたいと言わしめる程の、
非常に個性的なキャラクターの活躍として人生相談板に一時代を築くまでの波及効果をもたらした。>>219
魔王もまためーすけ、金龍、キスミ、迷える仔猫と、キャラクターを横断しつつ哲学的思索を深め、>>223-224
更にはみ〜=ののという本来的な体質による別人格までがフクハンとの区別なく活動するに至り、
そして魔王のフクハン活動はその最終形態として、>>225の薔薇といった純粋に趣味的な境地へと達した。
231名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/20(火) 02:34:46
【考証】

我々の見るところ、魔王の哲学的思索と人間関係の実践の総決算として糾合された領域を超えた知性は、
>>148-189における「頭の良さ」論へと集約されたのであるが、それが未完であることは先述の通りである。
果たしてここまでの魔王の試みは、かの「よろず駆け込み寺」の「クレーム」を満足させるものであったか?
少なくとも「学歴」批判を受けた>>208の立花隆のレスと>>148-189の魔王スレの議論とを比較すれば、
ほぼ同一のテーマを巡る議論の深度、物事の本質へと迫る鋭さとしては格段の飛躍が認められよう。
しかしそれでも尚、この未完の議論は東海ガールが引き継ぎ、完成を目指すべきであるのか?
我々としては、この問いに対して力強く首肯したい。とはいえ、魔王と東海ガールとの関係はもとより、
魔王スレの真相なるものも未だ公表されていない現状に鑑みる限り、今一度原点へと立ち返り、
魔王スレの本義を改めて闡明せんとする我々の検覈にも幾分かの意義が存するものと信じる次第である。