>>349 マジレスするとハードウェアが肉体ならば、自我はそれらの上で動くソフトウェア。
ソフトには、ハードの状態を管理することも出来るが、ハードウェアは何も見ていない。
過負荷でストップする物理的な回路があったとして、この説明がソフトウェアだ。
動いているかどうかを判断すること、管理すること、それこそがソフトウェアの役目であり、
物質がハードウェアであるかどうかを判断すること、それこそがソフトウェアだ。
ハードがスクラップにされようが何だろうが、それが粒子として存在することには変りがない。
自我は肉体に表れるパターンとして捉えられるが、
そのパターンを生み出す概念はどこにもない。
どこにもない概念を、そのパターンに見出すものが自我であり、概念でもある。
その概念は間違いではないが、そもそも存在しないという事実もある。
幾何学が無くても雪の結晶が幾何学的である様に。
認識される限りあなたはいる。
今のあなたという概念が消えたところで、別の概念がある限りそこにパターンは見出され、
あなたとして認識され続けるし、新しいあなたの概念も概念としてあり続ける。
ただ、あなたも他人も、その概念は最初から存在しない。