顛末記01 えら〜備前の国で仕官する
その名を「武将の名産地」国という。
私が城に上がったちょうどその時大名の人斬氏は讃岐の銀牙伝説国からの使者と
お話しされていた。今度友好同盟が結ばれるのだという。
今後のあり方、という議題で話し合いあり。
軍奉行のライカン氏は席上「北の外交謝絶国は危険。早い段階で叩くべし」と
熱弁をふるうが、この時点(1503年)では備前に戦争できる国力はなく
不本意ながら傍観するしかなかった。周りを見たところ
武将の数は十人といったところ。それがこの国の実力なのであった。
1505年秋。同盟国讃岐に南よりラウンジ教国の軍襲来の由。
私など気がつけば荷物をまとめて瀬戸内海を渡っていた。
同盟国の援助をしておけばあとあと見返りを期待できる、という下心もあった。
しかし参戦できなかった。
うっかり備前国を辞してくるのを忘れていたのである。
他国に属する人間は領内に入れないとのことで足止めを食らう。
讃岐に600人の兵士を連れてきていながら何もしない、という日々が数ヶ月続いた。
1505年12月讃岐落城。結局私は何をするでなしに帰国した。
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