その日が鰍が人間として生きられる最後の一日だった。
松嶋には前日の午後遅くに着いた。
松嶋海岸への小旅行にゴーサインが出て以来、
基地内の書店で『まっぷる/杣台 松嶋』を手に入れて遠足の計画をあれこれ練っていた鰍は、
現地にはどーしても遊覧船で行くのだと主張し、
しかも遊覧船に乗る塩窯港までは
わざわざ杣台から電車で――杣石線で行くのだと言い張ったのだった。
だから、柊准尉の運転する目立たない車で基地を出発したふたりは、
そのまま塩窯港なり、松嶋海岸なりを目差すのではなく、
一度、杣台駅前まで出た。
駅に直結するホテルメトロポリタン杣台の地下に駐車すると、
エレヴェータで2階まで昇り、杣台駅のペデストリアンデッキに出る。
デッキに出ると――
背中には、いま出てきたホテルメトロポリタン杣台がすっくと立ち、
右手には杣台駅が横たわる。左手にはいくつかのビルの群れ、
前方・奥にはすらりと背の高いアエレがガラス張りの表面に青空を映して立っている。
太陽の下、ふつうの人々が沢山行き交っていた。
ふたりは足早に歩いて杣台駅構内に入った。
歩みが速かったのには理由がある。お忍びだ、というのもひとつだが、より大きな理由は、
ペデストリアンデッキに軍用芋虫人が一台埋め込まれていたからだった。
いまは休止状態のはずだとはいえ、
自らが製作し威力の程を良く知る兵器の砲門の前を暢気に歩く気には、鰍はなれなかった。
いずれ軍用芋虫人システムはこの国に、
はっきり物理的に隔離された支配者と被支配者の棲息領域をもたらすことになるのだろう。
軍用芋虫人システムを実戦配備した都市は「被支配民」の棲息領域と化し、
支配する人間たちは不用意に都市を出歩いたりしなくなるのだろう。
改札をくぐったふたりは長い長いエスカレータで地下まで降りた。
杣石線のホームは地下にあるのだ。