鎌蒼駅で下車した首猛夫は
改札をひとまず若営大路のある東側へ出たが、そこから輪を描いて歩き、
踏切を渡って線路の西側へ出て、
佐肋稲荷の方へ住宅街の坂道を登って行った。
隧道を抜け、舗装された道路から脇の細道に入り、
草を掻き分けながら丘の上に至る。
ここに元会頭の隠居所がある。
榎少佐に追い込まれて自慰を表明した市場委員会の柊元会頭は、
鎌蒼の古民家に80歳の老母と暮らしているのだった。
「いやぁー よく来たね、首君。最近はどうだい」
元会頭は陽気な声を出したが、眼は鋭い警戒心を表わしている。
第一に、失脚したいまの彼の身の不安定さから見れば、
極めて多くのことが脅威でありえたから、
第二に、首猛夫といえばあの××がらみの話に決まっているからだった。
「××」のなかには禁忌のあまり念頭に置くことさえためらわれる想念――
「形而上物理学」とか、「フダラク市」とか、「NOVA警察」とか・・が入る。
首猛夫はおもむろに鞄から本を2冊取り出すと卓の上に置いた。
『同一カオスにおける多重コスモス場の理論』の復刊版と
鰍の『モヨコ双対モナドのモジュライ構造について』だった。
「ちまたでは、いま、ちょっとした形而上物理学ブームです。」
「形而上物理学」という単語を聞いて柊元会頭の顔に緊張が走った。
「だま出版かい? 恐いもの見たさなのかねー」
「いえ、オカルト系の出版社もブームに乗ろうと出て来ていますが、
基本的には学術的な再評価です。英知出版ですよ。」
「ふーん・・」