薄穢く卑しい。
腐肉も骨も貪る。
日陰を這い蹲る。
畜生以下の身分。
三月十三日土曜日午前三時半、
その頃はマンション脇の集積所で東京都指定ビニール袋に包まれ眠る。
向かいの児童公園には延々とアルゴリズム体操を繰り返す男。
カラスの餌付けに失敗し爪で掻き毟られる老婆。
築地本願寺まで地下壕を掘る家出少女。
捻じ曲がったジャングルジム。
ブルーシートのテント。
燃え尽きた焚き木。
巨人坊を被った夏の日の小学生が中指でずれた眼鏡を直しながら、
「因果なものですね、いえ、これは僕の夏休みの自由研究の一環だったのですが」
そんな語り出しで少年は語りだし始めた。
季節は春だというのに公園の雑木林からは蝉の鳴き声が聞こえた。
少年は語る。
あれは開闢以来外敵の侵略に負け知らずであった尊き国が、
欧米の物質主義との戦いに思ったより打たれ弱く、
東京も横浜も爆弾で壊され焼夷弾で焼かれ、
そして汚辱を味わい二年程経った時分だったでしょうか。
その頃僕は、進駐軍だとか、新憲法だとか、
そんな言葉は対岸の火事、いえ、対岸どころか遥か彼方に思える、
そんな山村に住んで居たのです。
村の人間は共通して陰湿で傲慢で、且つ臆病者であった。
恐怖、特に得体も知れぬ恐怖に対しては誰よりも敏感だった。
空を真っ黒な十字の鉄の塊が飛び、爆弾を落とす。
それがどれだけ彼等を不安の底に突き落としただろう。
実際にはこんな山村が狙われる筈もないのに。
彼等は直ぐに防空壕を山の彼方此方に作るよう命じ、
それはもうこんなに迅速な仕事は、
この村始まって以来無いだろうという位のスピードで防空壕建設は始まった。。
おそらく彼等はどの辺りに幾つ作り、計幾つ作ったのか、それすら把握してないでしょう。
それ程防空壕を作るという行為に没頭していたのですよ。
結局村には爆弾どころか飛ぶ鳥一つ落ちずに終戦を迎えました。
僕には父と母と祖母が居り、二つ上の兄が居ました。
居ました、と兄を過去形に書いたのはその時は居なかったからです。
山では神隠しの噂が流れていました。
山に無数の防空壕を掘りボコボコな無様な姿にした祟りだとか。
若しくは、急ごしらえで作った防空壕は脆く、幾つか崩落が確認されていました。
そんな危険な防空壕へ子供を立ち入らせない為に作り出した怖い話だったのか、
それは今となってはもう真偽の程は定かではありません。
兄は山へ行ってしまい、神隠しに遭ったのです。
両親と祖母はさぞ哀しみ三日三晩泣き濡れ風邪をひきました。
僕はと言うと、神隠しと言う不可解な現象に興味ある年頃で、
当時愛読していた児童雑誌だかに今で言うパラレルワールドについて書かれており、
兄はきっとパラレルワールドへ行ってしまったのだ。
それは白と黒、この地球で昼の国があれば同時に夜の国もある。
日陰と日当、きっと紙一重の極身近な世界に居ると思っていました。
そう思うと不思議と淋しくはありませんでした。
やがてそれは、紙一重を行き来する事への夢見となっていきました。
山へ入り細道を奥へ行くと小さな広場の様な空間があります。
そこからは放射状に更に奥へと道が沢山ありました。
子供達はその広場から先に行く事を親からきつく禁止されていました。
怖いもの知らずの鈴木君が先日冒険と称し奥へ立ち入ったのですが、
それがばれた日、鈴木君は顔が腫れ上がるまでお父さんに殴られました。
あの温和な鈴木君のお父さんがこんな仕打ちを。
どれだけ子供が山に入るのを禁忌としていたのかが分かるでしょう。
それでも僕は山へ入りたかったのです。
そこにはきっと兄が居て、パラレルワールドの世界の話を聞き、
あわよくば僕も連れて行ってもらおう、そんな事を考えていたのです。
勿論帰って来れる保障が無いなんて事は夢にも思っていませんでした。
ある日の午後、僕は虫を採ってくると言う偽りの大義名分を吐き家を出ました。
その時にお母さんが「山は広場までよ」と言いました。
僕の「うん、わかってるよ」と言う返事は今思えば少し声が震えていたかも知れない。
それでも夏の日の景色が陽炎で揺れる様に、
僕の声も陽炎によって揺らいだだけだと思われ深く勘繰られなかったようです。
広場に着きました。
まず僕は近くの林で急いで二、三匹の虫を捕まえ虫籠に入れ、
それを誰にも見付からない様茂みに隠しました。
これで虫を採りに行ったという証拠が出来上がりました。
さて、いよいよ僕は禁じられた広場の奥へと進む事となりました。
この先はまだ防空壕が出来る前に兄と入った事がありました。
兄は植物に詳しく、この木の名前は、この草の名前は、この花の名前は、
まるで学者の如く僕に色々と教えてくれました。
その名前の一つ一つを僕は覚えていませんが、
この森の、兄のお気に入りの場所だけは不思議と覚えていました。
全てを溶かし透き通る様な小さな泉の側に大きな樹が立っていました。
僕はそこに向かう事にしました。
何故だかそこで兄が待っている様な気がしました。
もし居なかったら、親を欺いてまで山に入るべきでないのでもう二度と立ち入らない。
あの場所一箇所に兄を期待する事により、より兄が居てくれる可能性が上がると思いました。
一箇所に100%かける事の方が、全ての場所に低確立の配分をする事より賢いと言う理屈です。
その場所へ向かう道はあの日のままでした。
しかし景色は目を疑う程の変わり様でした。
まるでこの山で武士の合戦が行われたかと思わせる様に、
木の枝は折られ、皮はズタズタに刻まれ、また薙ぎ倒され、
薙ぎ倒されたまま死骸のように突っ伏し、草花は踏み躙られ、
なんだかこの景色から色彩が失われ灰色の世界に見えました。
やはり僕は来るべき場所でない場所に来てしまったのか。
何故大人達は防空壕を作るだけの為にここまでしたのだろう。
不安や恐怖を怒り、激情に変え山に八つ当たりしたかの様だ。
僕は走り出した。
以前兄と訪れたあの場所に着いた。
かつての泉には腐葉土が流れ込み、水面には枯葉が付着し、
あの美しい泉は穢く濁りぐちゃぐちゃな沼と化していた。
そして側には縦に何本も亀裂の入った大きな枯れ木が。
その横に、こちらを向いて大きな口をぽっかりと開け、
何処までも深く、暗黒の世界が続く様な防空壕が。
僕は立ち尽くしていた。
どの位の時間かは分からないが、
恐怖を通り越して脳が、神経が完全に麻痺していた。
ふと、兄が居るとしたらあの防空壕の中だ、
そんなことが思い浮かんだ途端全身の筋肉が弛緩し膝から崩れ落ちた。
僕は立ち上がり、防空壕に向かってゆっくり歩いた。
中は黒い油絵の具を何層にも重ね更に墨を塗りたくっても足りない程の、
そこに風も無く、まるで空気も無く、何者にも微動だにしない永遠の均等の深さ。
防空壕の中は暑くもなく涼しくもなく、気温と言う物はこの世に無いのではと思った。
僕の持つ熱が微塵のずれも無く防空壕の温度と一致して溶け込んでいるのだ。
中は全くの暗闇で、僕は躓きながらも壁伝いに一歩一歩歩いた。
じゃりじゃりと言う足音以外は何も聞こえない。
その足音は短い間隔の空気振動となり壁に反響に反響を重ね無機質な音になった。
暫く歩くと行き止まりになった。
そのまま壁伝いに歩くと45度程道が曲がっている事が分かった。
道を曲がるとその先に光が見えた。
天井に走った亀裂から木漏れ日が太い直線を描き防空壕の中を照らしている。
僕はそこまで無我夢中で走った。
そこでこの防空壕は行き止まりとなっていた。
防空壕の奥にはバケツに、コップに、空の酒瓶に、遺影に、仏像が置いてあった。
ここには誰か居た。
一番奥の遺影は写真があまりにも古ぼけ褪色し、
おそらく男の子の物だろう、微かに笑っている様に見えなくもない。
だがそれは、家の天井の木目の染みが顔に見える様に、
何となくそう見えると言う程度にまで劣化していた。
そしてその前には高さ10cm位の小汚い木製の仏像が置いてあった。
この子は誰?村の子供?何でこんな所に遺影が?
考えれば考える程答えが出ずに只々後味の悪さと気持ち悪さが脂汗と共に流れた。
ふと気付くとさっきまで気温を感じていなかったのだが今は蒸し暑い。
兄が居ると思っていたのに、まさかこんな物に出くわすとは思わなかった。
兄はここには居ないの?この子は誰?この子は誰?何でここに居るの?
何故?誰?だれ?ここは何処?この子は何処?この子は
その時、仏像の顔が一瞬笑った様に見えた。
それは好意的な笑顔ではなく、僕を見下しからかい嘲笑う顔。
この仏像は何か巨大な悪意の塊だ。
僕はますます気持ち悪くなり、何故か転がっていたコップを手に取ると、
一瞬で逆さにしたコップを仏像に被せると、
もう何が何だか分からなくなり一目散に防空壕を出ようと走った。
曲がり角で暗闇になり、何度も躓き転びながらもひたすら走った。
防空壕を出た、そのまま走り続け、ふと我に返ると広場に立っていた。
隠した虫籠を拾い家まで走った。
一度も決して振り返る事は無かった。
家に着くとひたすら平静を表面上保つ事に努めた。
夜寝る時は、部屋の隅にあの仏像が居たり、
天井にあの遺影が張り付いている様な気がしてならずうつ伏せで布団を被り寝た。
幸い夢に現れる事は無かった。
あれから数日経った。
あの日の出来事は忘れようとしても忘れる事は出来なかった。
何が一番怖いかと言われると、あの防空壕ではなく、
怖いながらもあの防空壕にもう一度行って見たいという好奇心だった。
さり気なく親に山の事、昔兄と行った泉の場所について聞いてみたがたいした情報は得れなかった。
防空壕と言う言葉を出すのは山の奥へ入ろうとしているのかと疑われそうなのでやめた。
あの遺影の古さから祖母なら何か知ってる事があるかも知れないと思ったが、
最近の祖母は何を話しかけても「うん」とか「ええ」とかしか答えず会話が成立しない。
僕はまた、あの防空壕へ向かう事にした。
この前と同じく虫籠を持って。
虫を捕まえると籠を隠し、道を進み、沼地へ。
ここまでの道程に恐怖心は何も無かった。
防空壕の暗闇を慎重に進み曲がり角。
この先は、光が差し込んでいる。
さすがにここまで来ると不安と恐怖に襲われた。
そっと曲がり角から顔だけ出してみた。
明るくぼんやり映し出される防空壕の奥に、
あの日と同じ様に、バケツに、酒瓶に、遺影に、仏像を覆ったコップ。
一歩一歩恐怖に打ち勝ちながら近付いた。
仏像から1m程の距離に来た時に異変に気付いた。
遺影が怒っている。
確かにこの前来た時は笑っていた様に見えたのに。
もう少しゆっくり近付いて確認するも、
染みだかよく分からないが、確かに怒った顔に見える。
顔以外の部分に特に変化は見られない。
ただ顔のみが怨んでも怨み切れない、憎悪に満ちた表情に見える。
しかもそれは、前は地面に置かれた微笑んだ遺影の視線は正面を向いており、
僕の目線の高さは1m14cm位で互いに目線が合う事は無かったのに、
今はこの憎悪に満ちた遺影の目線が上を向いており、
僕と遺影は目が合っている。
それに気付いた時、この防空壕の土が、砂が、岩壁が、
全ての自然物が戦慄の粒となり地を這い、又は空気中に飛散し、
僕の体に纏わり付き皮膚から内部に凄まじい勢いで浸入して来た。
僕は激しい動悸に襲われ、手足は動かず、寒気が走り、鳥肌が立ち、
頭の中をぐちゃぐちゃに強い力で掻き混ぜられた。
この場を離れねばならない。
何を思ったか僕は、足元にあったバケツを遺影に被せその勢いで180度ターンし走り出した。
そしてあの日と同じく思考を停止し、全ての神経を走る事のみに集中し、
気付けば広場に倒れていたのでした。
ここまで来れば大丈夫だ。
そう言い聞かせそのまま仰向けに倒れたまま青空を流れる雲を白痴の如く眺めていました。
それから廃人の様に虫籠を力無くぶら下げとぼとぼと家に帰り、
家に着くと僕は倒れ、三日程寝込んでしまった様です。
両親の話によると危うく命を落とす程の高熱で、
両親は三日三晩泣き濡れ風邪をひきつつも看病し、
祖母はその傍らで「うんうん」と頷きながら蓬餅を作っていた様です。
あれから数ヶ月、未だ子供の山奥への立ち入りは禁じられ、
僕の好奇心旺盛も困ったもので、
懲りもせずあの防空壕へ向かおうと思ったわけです。
しかしあの時の恐怖は当時の短いながらも人生の中で、
今まで経験した恐怖の中で最も恐怖な物の何万倍の恐怖であり、
さすがに一人で行くのは恐ろしいと思い、
親にばれて折檻された鈴木君と、田中君を誘い向かったのですが、
どうして僕があの場所を忘れるでしょうか、
あの防空壕への道を行けども行けどもあの沼も枯れ木も防空壕も見付からないのです。
「僕はあの時、彼等を塞いでしまった。
何だか無性に僕の居る現世に彼等は『顔』を出してはいけない気がしたんです。
そここそがパラレルワールドだったのかも知れませんね」
小学生はそう言うと再びずれた眼鏡を中指で直しつつ、
懐かしい思い出を大切にオブラートに包む様に語り終えた。
「最後にヒントです、僕の実家は茨城県、群馬県、長野県のどれかです。
それ以上は個人情報の為言えませんよ。
戦後六十余年経ちあれから実家が、あの山がどうなったか僕は知りません。
僕もまた集団疎開組みの一人だったのです」
公園の雑木林から小学生が三人、虫取り網と虫籠を持って出て来た。
こんな都会では満足な獲物が居なかったのだろう。
次はムシキングで勝負しようぜ、そんな事を話しながら公園から出て行った。
「少し話が長くなってしまいましたね。
では僕も自由研究の続きがありますので。
縁がありましたらまたお会いしましょう、では」
少年はペコリと丁寧にお辞儀をすると雑木林の中へ消えた。
二月五十八日。
大通り公園と寿町を転々とするある商人の某中年女は、
その日も福富町のカジノに立ち寄った後、
長者橋を渡り黄金町方面へ歩いていた。
途中道端に落ちている空き缶や注射器を拾い鞄に入れた。
その後の詳細は分からないが、
彼女は独り大岡川に体の半身を水に隠し浮いていた訳です。
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず。
澱みに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためし無し。
翌日の日曜日の朝は少し肌寒くもあり、
それでも雲の切れ間から覗く太陽は暖かく、
太陽は女を照らし女は太陽を見つめている訳です。
輝く太陽は常人には眩しく見えず、
女は太陽の隅々まで瞬きもせず観察が出来るのです。
そこに彼女と太陽との果てしない距離を凝縮する不思議な空間が生まれます。
栄橋の上から子供達が小石を投げ、「当たった外れた」とはしゃいでいる。
チャポン、タポンと間の抜けた音が演出します。
川岸では桜並木がハラハラと見守り散って行く風情です。
十分程して通報を受けた県警がやって来て、子供達は蜘蛛の子を散らす様逃げました。
小船でゆっくり女に近付き引き上げ、女にシートを被せたのです。
太陽と女の空間はそこで消えてしまいましたが、常人には気付くはずもありません。
そこへ偶然通りかかった人が、「こんな春うららな陽気ですもの、
川に屋形船でも出し桜並木を見上げるのも良いかもしれませんわね」
そう言いながら京急線で何処かに行きました。
何処かに行きました。
マンションの玄関は北向きでして、
マンションの北側つまり向かいには児童公園がある訳です。
マンションの東側にはベランダがありまして、
ベランダに出れば晴れの日ならかろうじて身を乗り出せば児童公園が見えるのです。
曇りの日や雨の日は駄目です、何か黒ずんでよく分かりませんね。
コンビニまで徒歩150m、走って30mなので不思議です。
それでね、私はある日、
直径20cmの巻尺を持って距離を測ってやろうと思い付いたのです。
マンションの玄関に尺の端っこを固定し、
直径20cmの巻尺を左手に持ちずるずる進んでいきました。
尺が通行人や車に踏まれても気付きませんでした。
コンビニまであと少しという所で地元の土建屋のオヤジに邪魔され、
結局計画は頓挫してしまいました。
愛してるぜ
薄穢い仏の部下の千手観音と言う奴も蜘蛛の様に姑息な奴で、
全く千の手を彼方此方所構わず選り好みせず貪欲に、
まさに千手その物が積極的にも捕獲する蜘蛛の巣であった。
「全くかの者の好色と残忍性にはほとほと疲れ呆れた」
一本の手で唇を弄ぶ時、
同時に二本の手は死体をナイフとフォークで解剖しているのですからね。
そんな姑息な千手観音が住んでる街は北千住で、
車など持ち合わせていないから、
東京メトロを利用する際は気を付けろと児童公園の偏屈爺が言います。
わしも以前、銀座駅で見た。
孫が西日暮里に住んでおり心配じゃ。
だがな、わしは入谷の鬼子母神と仲良しなのじゃ。
わしの正体を教えてやろう、鬼孫爺神じゃ。
風船売り。
毎週木曜日に風船売りがやって来る。
雨上がりの木曜は特別な風船を売りに来るのだ。
「コノ風船ハナー、毒がす入リナンヤデー」
上から黒・赤・黄色の歪んだ縞模様の風船を持った白人は、
片言の関西弁を使い人懐っこく話しかけてくる。
「勿論じゃーまんがすヤデー。試シニ少シ吸ゥテミッカ?」
「いえ、結構です」
「ナンヤー、東京ノ人ハ心ガ狭クテアカンワー。コレホンマ凄インヤデー。
ワイ甲子園デコレ使オウト思ッタケド怖クテヤメタンヤデ。
ダッテたいがーすノ選手モ間違ッテ吸ッタラアカンヤン」
あまりにもしつこく売りつけてくるので、
見兼ねた鬼孫爺神がやって来た。
「異国の者よ、その風船一つ貰うぞ。幾らじゃ?」
「オー、ジイサン、コレ一個50000円ヤデ、太ッ腹ヤナー」
「年金暮らしと知ってぼったくろうとしてるな?」
そう言い睨むと男は焦りだし、
「ナンヤ、ちんぴらカイナ?シャアナイナー。
ジャア一個500円デエエワー」
鬼孫爺神は毒ガス風船を一個買い去って行った。
するこ男はこっちを向き直し、
「ジャアアンタ、たりうむ買ウテヨー。
100mlデ2800円、安イデー」
あまりにもしつこいので仕方なく買った。
家に帰り箱を開けるとそれは香水だった。
銀座に戦前からある某デパートは増改築盛んで、
フロアマップを見ると各フロア変な形をしているのが分かる。
建物自体は長方形なのにね。
その長方形にフロアマップを重ねるとテナントの控え室にしては広過ぎる。
また、X階とY階の間にはZ階と言うエレベーターの止まらない、
高さ2m50cm程の隠しフロアがある。
そこは従業員控え室や物置として使われている。
銀座のデパートの華やかさは無くコンクリ打ちっぱなしの壁。
小さな使われていない空き部屋も幾つかあるのだが、
その中に一室、厳重に施錠された開かずの間がある。
深夜、時折その小部屋から女の楽しそうな歌声が聞こえるのである。
不思議に思った警備員が中を確認したところ、
真っ青なドレスを着た首の無い女がくるくる回転しながら踊り消えたと言う。
以後その女を目撃したものは一ヶ月以内に大怪我に遭いその部屋は封印されたわけ。
「あの、君は何故地下トンネルなんて掘っているんですか?」
「逃れる為ですよ。地獄の炎、感情の無い爆発、死骸の山、亡霊亡者・・・」
「そんな物、この現代社会に在り得るんですか?」
「えぇ、直に・・・」
「ところでこのトンネルは何処に向かって?」
「築地です、このトンネルは築地に向かって進んでるんですよ」
「築地に何かあるんですか?」
「それは私には分かりませんが、・・・知ってますか?
皇居と永田町には東京駅に向かう地下トンネルがあり、
それは銀座、築地小学校に繋がり本願寺に辿り着くんですよ。
この国が燃える時、本願寺で私は皇族や政治家に加わるんです。
これでも私は旧華族の末裔でしてね・・・」
空を見上げると厚い雲が一面を覆い、
ごごごごと重機が何かをゆっくり磨り潰す様な音が響いている。
翌日、児童公園を訪れるとトンネルは崩落していた。
二月三十七日?
いつもと違う最寄り駅からの帰り道に小学校の前を通った。
もう放課後で、防犯意識の低い学校なので、ここは母校ではないのだが、
ふと立ち寄って私が小学生だった頃に思いを馳せてみる。
校庭には誰も居ない・・・
体育館からはバスケットボールの部活でもしているのだろう。
賑やかな声が聞こえて来る。
校舎は職員室だけ明かりがついているようだ。
職員室にそっと近付いてみた。
裏の校舎の上の方から吹奏楽の、トランペットの間の抜けた音が聞こえる。
職員室を窓から覘いて見たが、電気はついているが誰も居ない。
机には飲みかけのコーヒーが置いてある。
まだねじ消されていない煙草が灰皿に乗せられ煙が流れる。
壁に掛けられた前校長先生の遺影がこっち見てる。
体育館の方へ足を伸ばし、体育館のドアをそっと開けてみた。
音がピタリと止んだ。
その隙間から中を伺い見ると体育館の床には、
死亡事故が起きた時警察が遺体に合わせ白チョークでなぞる様な、
子供サイズの人型が幾つも床に描かれ、
ボールは転がりやがて止まった。
何て気色悪い小学校だここは!
辺りは静寂に包まれ遠くからトランペットの音が聞こえる。
気にはなるが、奏者は下手だ。
行って消えても練習が出来ず不憫だ。
ここはそっと練習に励むが良い。
運動場を歩いていると死臭や髪や肉の焼ける臭いが漂って来た。
高い鼻に神経を集中すると、校庭の隅にひっそり茂る小さな森からだ。
そこだけ何だか黒い靄に包まれている様に見える。
バーベキューでもしてるんだろう。
行って消えて肉や野菜が黒焦げになったら不憫だ。
下手なトランペットの音を聞きながら学校を出た。
学校を出るとこの前公園で会った少年と遭遇した。
「おや、貴方は、お久しぶりです。また会うと思っていましたよ。」
「やぁ、ところでさっき直ぐそこの小学校へ寄ったのだが、奇妙な所だね。
君はそこの小学校の生徒なのかな?」
「その質問についてはお答えしかねますね、個人情報が重要視される世の中ですから。
ただ、貴方はあの小学校へ入ってしまったようですね・・・」
少年はずれた眼鏡を中指で直しこう続けた。
「見ての通り、あの学校は防犯と言う物に対し非常に寛大です。
良いでしょう、お答えします。貴方のご想像通り私はあの学校の生徒です。
何故答えたかと言うと、疑う事を知らないあの学校の純粋な校風への賛美、
そして生徒である者はその校風を尊重し従順であるべきと判断したからです。
貴方はこの学校について色々と知りたいようですね?違いますか?
YESかNOでお答え下さい」
「え、・・・YES」
「成る程、では明日の午後二時に、学校にいらして下さい。
僕はこれから学習塾へ行かねばなりませんので、では」
二月三十八日?
午後二時、少年との約束通り学校へ向かった。
運動場では体育の授業が行われており、教師のホイッスルの音に合わせ、
六年生位の体躯の子供達が一周100mの輪を駆け足で回り続けている。
流石に今学校に入れば不審者だろう。
筋骨隆々の体育教師に捕まるかもしれない。
だが、不審者とピザ尾配達の区別も出来ない校風と少年の言葉を信じ足を踏み入れた。
教師も生徒も私の存在には気付かない。そのまま運動場の中心へ進んだ。
100mの輪の中心まで歩いてみた。
誰も私に気付かず私を中心にマラソンをしているではないか。
教師も時々こっちを向くがそれは走る生徒を目で追っているだけで私と目線は合わない。
脳まで筋肉ってこういう人の事を言うのかなと思っていると、
突如、目の前が灰色になった。
地面や、空や、周囲が、
透き通った灰色のスクリーンに包まれた感じで、
景色はそのスクリーン越しで見えるには見えるが灰色に見えるのだ。
子供達の動きが止まった。
カタカタカタと言う騒音が辺りに響き、上空に大きな黒い影が現れた。
B29の低空飛行だ。これは、上空のスクリーンに投影される活動写真だ。
上空にモノクロの爆撃機の編隊がゆっくりとゴロゴロ音を立て進み、
キューンと言う風を切る音を立てて爆弾や焼夷弾をぼろぼろ投下する。
それは学校に直撃し、運動場で炸裂し、その度にドゴンドガンと、
腹の奥まで響く衝撃の効果音を立てる。実際にはただの映像なのだが。
私は本当に爆弾が落ちている様な錯覚に陥り、
爆発音がする度に恐れ、どこか巨大なスピーカーでも在るのだろうか、
衝撃を含む轟音に心臓が握る潰される様で耳を塞ぎ蹲り怯えた。
「もう・・・やめてくれ!」
ジェットコースターの急降下の際の様な苦しみが断続的に襲ってくる。
子供達はマラソンの走り出す姿のまま止まっている。
我慢出来ずに地面に倒れた。
爆発の衝撃音に併せ地面も微かに揺れている。
これは単にスクリーンに投影された映像に合わせ、
音と揺れを加えたディズニーランドのアトラクションの様な物なのだが、
まるで催眠術にかかったかの様に、戦時中に、当事者として居る様な。
子供達を見ると、相変わらず微動だにせず居るのだが、
よく見ると、子供達と同じ大きさの、全身真っ黒な影の様な者が、
ぞろぞろと、多くは俯き、ある者は片腕が無く、ある者は地べたを這いながら、
二列になり校庭の隅の小さな黒い森に向かっている。
そう言う事だったのか・・・
それを理解すると気を失った。
気が付くと学校の外の通学路に座り込んでいた。
「ああ・・・あ、何て恐ろしい事だ」
学校を見ると気を失ってた間に授業が終ったのだろう、
もう運動場には誰一人居なかった。
途中自販機でジュースを買い児童公園に向かった。
家出少女はまた地下トンネルを掘っていた。
「やぁ、この前トンネルが崩壊してるのを見たよ。大変だね」
「よくある事です。子供が悪戯で壊したのか、彼等か」
私はベンチに座り少年がやって来るのを待った。
夕方になると少年が公園の前を通った。
私は少年をベンチに呼び寄せた。
「おや、貴方は、お久しぶりです。また会うと思っていましたよ。」
「君の言った時間に学校に行ったら凄い事になったよ。
あれは・・・いや、つまりあのトランペットは空襲警報だったんだね?
で、黒い影達、そしてその向かう先の森と言うのは・・・
影と森、黒の象徴は・・・」
「ちょっと、ちょっと待って下さいよ」
少年は慌てて叫んだ。
「そんなに急に色々言われましても、さっきから何の話ですか?」
「何って、昨日会って明日、つまり今日の二時に学校に行けと言ったじゃないか」
少年は怪訝そうに私の顔を覗き込みながら中指で眼鏡を直し、
「僕はさっき『お久しぶりです』と言いましたよね?
つまり久しく会っていなかったから『お久しぶり』と言ったのです。
もし昨日会っているのなら『お久しぶり』なんて言わないでしょう?」
そう言うと不機嫌そうな表情を浮かべ去っていった。
「僕はこれから学習塾へ行かねばなりませんので、では」
平成十八年五月十九日
嫌な季節になった、例年こんなに早かっただろうか?
まだ五月中頃なのに。秋冬春は聞こえない筈である。
あれ、電磁波の音なんですかね。ジーーーーってやつ。
蝉やコオロギみたいな羽を擦り合わせた音みたいな。
それが途切れる事無くジーーーーってずっと続いて。
夜にしか聞こえない。
家を出て、突き当りのT字路の中心が一番うるさい。
耳元で音が鳴ってるみたいにうるさい。
ちょうど目の前に街灯があり、その両端にも少し離れて街灯が在る。
そこから離れると音は聞こえなくなる。
その先にまた街灯が在るけどこの街灯の近くでは音は聞こえない。
実家では夏の夕方にリビングとバスルームで聞こえた筈。
両親にこの音何?って聞いてもそんな音しないと言われた。
蛍狩りに行った田舎の山でも聞こえた。
うざいです。
CATVの市バスからの車窓を映す番組が好き。
乗車口横の席から正面を撮影してる。
だからバス停に着くと乗ってくる人の顔も映る。
後部の席から撮影された映像では車内の様子や降りる人も見れる。
時々泣き叫ぶガキが居る。
バスだから揺れる。
映像も揺れる。
勿論ハイビジョン映像じゃない。
その安っぽさが良い。
エンディングも良い。あの歌は好き。
映像も、あの駅からのバスでこんな長閑な景色が在るんだと、
そう思わせるエフェクトに、あの某心霊スポット下も。
二年前三月十八日
その日、前日から100km程離れた所に住む友人宅に泊まりで遊びに行き、
朝の内に帰る事になり快速電車に乗った。
電車は田舎景色を走る。
その辺りは快速なのでノンストップで進む。
途中、周囲は一面田んぼに包まれ、奥には山が在る。
「駅」と言う程の建物も無く、
ただコンクリートの細長いホームが黄金色の田んぼの中に在るだけ。
この電車の通過するホームの向こうにもう一つホームが在る。
そこに一人の女子高生が長閑な景色を背景にぽつりと電車を待っていた。
快速電車はその駅を通過し、その光景は三秒程度しか見れなかった。
それ位ノスタルジック。
九月三千六百二十八日羽曜日
ロッカー上部の「角」で左手首の皮を抉った。
血が滲むので舐めて鉄分補給。
鬼孫爺神さん、千手観音は銀座線万世橋駅に居ます!
そこが奴の根城です。
はやく毒ガス風船で毒殺して下さい。
某村では昭和三十年代初頭まで姥捨てが行われておりました。
捨てられる者の戸籍等については事情を知った役人により、
上手く改竄され役所ぐるみで行われていたと言っても良い。
深沢七郎の『楢山節考』では老父老母を家の者が背負い、
山奥に安置し、また暴れるなら谷に突き落とすと言うものであるが、
この村では牛が老人を引き摺り山奥に連れ去って行くのだ。
牛は田畑を耕す神聖な動物とされ(現地の民俗信仰?)、
やがて死をも扱う存在となったのである。
それは死を齎す物でなく、完全な聖により死の穢れを浄化する存在と言う訳である。
老人を捨てる山は忌み山とされ立ち入りは禁じられる。
山へ立ち入れるのは牛と村のある一族(穢多的な身分)だけである。
その一族は農作業等は禁止され主な仕事の一つに、
牛を連れ老人を捨てるポイントへの道を覚えさせる事でした。
これにより牛は山奥へ一頭で向かい帰って来れる様になる訳である。
老人を捨てる牛は、村の中で二番目に長寿の牛でした。
捨てられる老人は両腕を体の前で縛られ、両足も縛られ、
口には猿轡をし縄で牛に繋がれ引き摺られ山奥に向かいます。
その姿は山の入り口から行われるので村の中で引き摺られる姿は見れません。
老人は引き摺られガサガサの肌は土や石で削られ山の一部になります。
やがて牛は一頭で村へ帰って来ます。
老人と牛は縄でしっかり繋がれており、牛が帰ってくる際に老人の残骸も持ち帰りそうなのですが、
老人を引き摺った痕跡は無く、縄も途中で千切れている訳でもなく、
牛に繋いでいた縄そのものも消えてしまってます。
その謎を知っているのは穢多一族と村長のみです。
ある僧が村を訪れた際にこれから老人を引きに行く牛を見ました。
その牛の無人の鞍の上には高さ30cm位の薄汚れた仏像が数体、
ある仏像は回転し、また二体が頭をコツコツぶつけながら遊んでいた。
おそらくこの邪悪な仏像が牛を山奥へ誘い老人と牛を繋ぐ縄を外すのだと思う。
村人は誰もその仏像は見えないらしい。
六月六十八日現代死刑制度極論
死刑の目的は犯罪の予防、つまり重罪を犯せば自らの命を失う、
そう言う威嚇により犯罪を起こさせないと言うわけである。
だがこれでは死をも恐れず犯罪を犯す者への予防にはならない。
そう言う者へは積極的に死刑を遂行すべき必要がある。
現代死刑制度の問題点 冤罪、非倫理、更正・・・
冤罪の可能性がある場合は死刑は行わない。
現行犯、また十分に犯行の証拠が認められた場合のみ死刑を行う。
死刑の非倫理性だが、これは死刑宣告を受ける者こそ非倫理者であり、
目には目を的に非倫理には非倫理で妥当である。
更正について、更生の可能性があれば何人殺しても構わない訳は無い。
では遺族が更生を望んだ場合は?遺族の個人的感情と社会秩序のどちらを優先するか。
遺族に選択を委ねた場合、更生を選んだ後に再犯を犯した場合遺族への非難が集まる。
また関係者により更生を選ばせるよう遺族への脅迫等が行われる危険性もある。
よって遺族に選択権は与えない。
死刑には満たぬ、だが無期懲役では軽過ぎると言う場合について。
終身刑導入、これにより無期懲役と違い一生社会から隔離する。
田舎の広大な土地を買収し巨大施設を作り収容する。
そこでは農業を行い自分達の食料を自給自足で賄う。
三月三日仏滅
テレビを見ていると視界の上の方が微かに輝いている。
何だろうと思い見ると、天井を突き抜け何かがズルズルゆっくり下降して来る。
それは黄金の後光を放つ薄汚れた小さな仏で、天井から20cm程の空中で静止した。
私は机から殺虫剤を手に取ると、仏に向かい噴射した。
仏は薬剤の霧に包まれ壁にこつこつぶつかりながら暴れ、
壁に張り付いた。
そこを、ゴキパオで徹底的に攻撃した。
内容量の半分程使い仏の全身を分厚く包み込んだ。
抵抗する様子も無いので暫く様子を見て、そっと剥がし、
小さなダンボールの箱に放り込み蓋をして念の為布製ガムテープでグルグル巻きにし、
ビニール袋に包んでゴミの日に出したのです。
それがそもそもの事の発端でした。
後日、國學院大學神道文化学部の知人と駒澤大学仏教学部の知人を呼び、
先日の事件の事を事細かに説明しました。
と言ってもあの時は無我夢中でゴキブリ駆除の様な物でしたが。
彼らにアドバイスを乞うと、教授に相談してみると言ってくれました。
そして「廃仏毀釈」と書かれたお札と、色取り取りの折り紙の束を呉れました。
さすがに國學院の知人の「廃仏毀釈」のお札に駒澤の知人は眉を顰めましたので、
「まぁまぁ神仏集合で仲良くやろうよ」と適当に宥めましたが。
この折り紙こそが、見た目は普通の折り紙ですが凄い折り紙らしいです。
私には普通の折り紙となんら変わり無いのに。
帰宅すると、ふと見るとPCのキーボードの上に2cmの仏が立ってるんです。
私に気付いてないのか無視してるのか、微動だにせずPCの画面を見ている様です。
画面を見ているのか、単に画面の方向を向いてるだけなのかは分かりません。
その方角は北です。
鞄から例の折り紙を取り出し、虫を捕まえる様に勇気を出し仏を捕まえてみました。
小さい蜘蛛をティッシュで捕まえ潰すとプチっという何とも嫌な感触がしますが、
仏は握り潰すとアーモンドを砕いた様な感触でした。
それ以来、極小サイズの仏は虫を潰す感覚で駆除出来る様にはなりました。
十三月六十九日
時々何の前触れも無く動悸、
無性に苛々し焦燥感に襲われる。
何処かから視線を感じる。
心臓の鼓動が強く、より強く、
不快感と共に自分の内側から壊れる様な危険な快楽も伴う。
いい加減極小仏にも慣れて来たのでいつもの様に、
折り紙で握り潰した後、開いて確認してみた訳です。
仏の内部は空洞になっている様で邪悪な感じがします。
キーボード上の仏を叩き潰した後、パソコンの画面を見ると、
「散り乱れ有り難き仏罰離別の三叉路」
とメモ帳に書かれていました。
「この公園の下を掘っていると、沢山人骨が出て来るんですよ。
つまり、この公園の下には沢山人骨が在るんデス。
30年位前まで此処、診療所だったらしいですよ。それと人骨は関係無さそうですが」
「人骨を見つけた時はどうしてるんですか?」
「どうもする訳ないでしょう」
三十二年前十月八日
「えーい、もう診療所経営やーめた!!」
二十八月九百七十二日或るカップル
公園には貧相な池があり、その池からは、
小川と言うにも貧相な、言わば水の道が流れ、
それは近くを流れる川に注いでおりました。
池には小さな島と言うにも貧相な陸地があり、
枯れた柳の木が一本立ちその下にベンチがありました。
若い男女がベンチに座って居る。
「昨夜、少し考えていたんだ、あの事を」
「それで、何か良い案は浮かびましたの?」
「まず僕達の遺伝子を引き継ぐ子を産んで、
そしてその子に僕の脳と、君の心臓を移植するのさ」
「出来ますの?そんな事」
「今はムリさ。だけどいずれは表の医療では不可能、
いや、タブーであってもある筋ではね、知り合いからその手の話はよく聞くんだ」
「これで一つに成れるかも知れませんね」
九月九日区役所
「貴方の祖先は穢多か何かで?」
「いえ、この戸籍謄本で証明出来ます」
九月十日
壁に小さなゴキブリの子供が這っていたので、
ティッシュで掴んで潰そうとしたんですが、
間違ってすり身にしてしまいました。
処理したんですが残骸を処理しきれず、
ふと目を放した隙に仏が死骸を食い漁ってるんです。
ね、浅ましいでしょう。
ゴキブリホイホイに引っかかってる事もありました。
餌(=ゴキブリ)を食い散らかした後も、
粘着シートを這いずり回った痕跡がありました。
少なくとも奴等、ゴキブリ以上の生命力はある様です。
仏は分裂で増えるようです。
ええ、奴等の性行為や出産など見たくはないですから。
五月二十二日寿町レポ(1
関内駅を境に横浜の光と影がある。
北には横浜スタジアムがあり、歴史あるレンガ造りの建造物。
山下公園、氷川丸、マリンタワー、ベイブリッジ、中華街、
少し足を伸ばせば赤レンガ倉庫、コスモワールド、ランドマークタワーと、
まさに港の街横浜のイメージ通りの町並みがそこにある。
だが南には横浜の闇の部分がある。
ある意味南側にこそ横浜の面白味があるのかもしれない。
違法カジノのある福富町、かつての繁華街伊勢佐木町はアジアの異国語が飛び交い、
イセザキモールの一本裏を通ればハングルで書かれた看板が目に付き、
曙町には風俗店が犇き、旧赤線地区の黄金町にはちょんの間、
そして今回注目したスポットが寿町。日本の三大ドヤ街の一つである。
五月二十二日寿町レポ(2
今回は探索でなく足を踏み入れた程度なので多く書く事は無いが、
午後五時頃、関内駅より南下。
交差点で右奥に真っ赤な鳥居が見え厳島神社前を左折、次の道を右折。
突き当りを左折すると水の広場に辿り着く(ここから南下すれば伊勢佐木長者駅)
そのまま直進し不老町へ。この辺りで一人二人と労働者の姿が見える。
扇町、この辺りはまだ普通の町並みなのだがその先の細い道路を越えれば寿町。
寿町に入ると空気が変わった。町並みもがらっと変わる。
左手には魚やらを売る老朽化した店が並び匂いが漂う。
薄汚れた服を着た日焼けした中年、老人達。
それをチラチラ見ながら進むと労働福祉会館がある。
この近辺にもやはり多くの日雇い肉体労働者がさ迷い、
会館一階部分には何人もの労働者が座り込んで居る。
この町を歩く人は皆味のある顔をしているが格好から全て同類項である。
自分の姿と見比べると全く場違いな場所に来た事を痛感する。
会館前を右折する。右折した理由は前を四、五人のスーツ姿のサラリーマンが歩いていたからである。
この町にスーツのリーマンはある意味最も不似合いの姿かもしれない。
彼等はニヤニヤしながら周囲をキョロキョロしながら歩く。
日本の底辺に近い人達、彼等を見れば多少は自分達も優位に思えるだろう。
歩いていると子供たちのはしゃぐ賑やかな声が聞こえてきた。
小さな幼稚園(保育所?)があるのだ。何故こんな場所に、これが率直な感想だ。
左側には小さな飲み屋が幾つか見える。
やがて寿町を抜け長者町へと出た。それはもうごく普通の町並みである。
今回は扇町3と4の境の道から寿町3と4の境に入り、
会館を右折し4丁目を突き抜けるという寿町南端をかすったに過ぎない。
次回計画としては扇町公園から寿町1丁目に入り、
家裁前を通過し右折、Lプラザ前を通過、
教会前を通り寿町2丁目を通過し、そのまま3丁目も通過。
会館通過後に左折し中村川沿いに松影町を通り石川町駅へ向かうルートを検討。
87 :天之御名無主 :2005/11/15(火) 14:16:24
恐怖の人食い大観音。
それは、天保の飢饉に喘ぐ貧村に突如として現れた。
カラーン!カラーン!乾いた鐘の音と共に、
身の丈、三十丈はあろうか、ゆっくりと歩む青銅の観音。
おお!有り難い事じゃ!観音様が現れなさった!
おおーい!村の者、広場に出るのじゃあ!
ざわざわ・・、おお、観音様じゃ!観音様がこっちにいらしゃるぞ!どうかわしらを救って下され!
手に印を結び、どこか狂おしい笑みをたたえた大観音が、ゆっくりと地面を滑るように村人に接近する。
カラーン!カラーン!とうとう、村人の所までやってきた。
ありがたや、南無〜。地にひれ伏す村人達。
ぎぎぎっ、観音は身をかがめると、フフゥ〜とやさしく村人達に息を吹きかけた。
グエ、グフッ!たちまち強烈な腐臭と死臭があたりにたちこめる。
動転する村人、その瞬間、観音の巨大な手が目にも止まらぬ速さで、村人を掴む!
ブチッ!ブチッ!ギャッ、ギャーッ!次々と手にかかりその狂った笑みをたたえた口で、思い切り貪り食う。
あたりは、血と飛び散った臓器の海、悲鳴と絶叫がこだました。
とうとう一人残さず食べ尽くすと、鐘の音と共に観音はいず方へと去って行った。
八月二十七日児童公園裏
「この辺りは1962年の住居表示まで地蔵塚と言う名前でしてね、
しかし地蔵と名が付くわりに地蔵など何処にも無い。
一体どういう由来で地蔵塚という名前が付いたんだろう、
子供ながらにそんな事を考えていた時がありましたね。
あまり良い印象の地名でもないですし、
ちょうど新興住宅地の開発も始まりここら辺は今の地名になりました。
ここが地蔵塚と言う名前だった事を知ってる者はもういい歳ですね、私を含めて。
ただこの付近に住む中高年は大体他所から来た者なので、
この事を知ってるのも古くからこの辺りに住んでる一部の人のみです。
それにしても、ようやく地名の由来が分かりましたよ。不思議な事もあるものです」
多くの野次馬に新聞記者、区の職員が集まる中、
古くからこの辺りに住む一人の老人はそう語った。
あの日、午後から厚い灰色の雲が上空を覆い、
その奥からごろごろ鈍く重い音が響く肌寒い夏の日でした。
その人は朝から何も食べず腹がごろごろ鳴り懐も寒かった。
児童公園の歪んだジャングルジムの中に入り眠かった。
「雨が降りそうだな・・・」
やがて昼にも拘らず外は真っ暗で、その人はお先真っ暗で、
降り始めた雨は大雨になり雷が光りバリバリ凄まじい音を放った。
「ああ俺は今日死ぬのかな?こんな住宅地の中で豪雨に打たれ。
どうせなら雷に全身引き裂かれれば良いのに。
こんなつまらない街。死ぬなら暖かい自然に包まれ死にたかったな。
海が良い。しかし東京湾は味気ない。東京は嫌だ」
雨は強風で不規則に強く砂場に打ちつけ、少女の地下トンネルは水没する。
光る滑り台の金属部分に歪んだ自分の姿が一瞬映る。
物凄い一瞬の閃光にブランコに揺れる妻子が映り消えた。
「ああ・・・ああ、嫌だ。砂場に潜ろう」
豪雨と雷鳴は午後三時から一晩中続いた。
誰もが外出を避け、街には誰の姿も無くやだてその人も公園から出て行った。
翌日は嘘の様な快晴で、太陽が全てを照りつけた。
夏だがこの世の春、冬眠から覚めた熊の様に窓から顔を出しては、
「やっと雨が止んだか」と人々は思った。
あの雷雨で蝉はみな死に絶えたが、
新しい蝉が地中から現れ木に登りうるさく鳴き始めた。
子供達は長靴を履き我先にと外へ飛び出し、
アスファルトの水溜りをパシャパシャ音を立て公園へ向かった。
暫くして、公園裏の小高い丘の方から悲鳴が聞こえた。
児童公園裏の小高い丘
そこは地層が弱いらしく危険地区とされていたのだが、
案の定土砂は崩れ道路に土が流れ込んでいた。
その先に、丘の上へ続く道の両脇に、列を成して並ぶ地蔵群が発見された。
昨日までこんな物は無かったのに。
すぐに大人達が集まり、やがて区の職員や地質学、考古学だかの専門家もやって来た。
ぬかるんだ土に足をとられながら色々調べた結果、
「ははぁ、この地蔵のデザイン、これは相当古い物ですね。
江戸時代、特に徳川綱吉公の御代の物と思われます・・・」
「左様、この丘の土ですが、丘の土と昨夜の雨で流れた土、これは別物です。
おそらくこの丘に件の地蔵があり、それが他所から持って来た土で盛り土された。
つまり地蔵ごと生き埋めにされた、そういうわけですな。
そしてその上部の、盛り土された地層が昨夜の豪雨で流れ、地蔵が現れたわけです」
「実はこの土地は昔は地蔵塚と言う地名でして、
前々から地蔵も無いのに何故地蔵塚と言う名前かと不思議に思っていました。
地蔵塚の地蔵とはこの地蔵の事というわけですね?」
「古い文献があれば良いのですが、まぁおそらくそうでしょうね。
塚とは土が小高く盛り上がっている所と言う意味があり、また墓を意味する言葉です。
地蔵塚と言う地名がいつから使われているのかが分かれば良いのですがね。
小高い丘に地蔵達があり地蔵塚となったのか、
それとも丘の地蔵達を生き埋め、土葬し、その墓として地蔵塚になったのか・・・」」
十一月二日
昔成城に住んでいた頃の思い出。
私の家庭は母子家庭であり、母は小学校の教諭をやっていた。
私が小学校二年生の頃に私達は世田谷区成城に引っ越した。
新大久保といえば朝鮮人が多く住む街であり、
成城は名古屋出身者が多く住み、
屋根には金色のシャチホコが付いた大きい家が沢山あった。
この街はなんだか異常な雰囲気に包まれている気がした。
私は転校先の学校で誰一人として打ち解ける事が出来ず永い永い孤独な時を過ごした。
私の母は真面目を通り過ぎ厳しく、一人で子を立派に育てると言うプライドもあったのだろう。
そして自分が正しいと思った事はどんな困難にも立ち向かい貫く人だった。
今思えば精神疾患がそうさせたのか、そういう性格であるが故に患ったのか。
分からないが私は母に対し酷く嫌悪感を持っていた。
忘れようとしても忘れられない名前、それは母と一緒に考えた名前。
色々考えた結果覚え易いのが良いと言ってそれは「葉書レター」と言う名になった。
それは交換日記の様な物で、主に私が今日の出来事を母に伝える為の物だった。
だがそれはやがて機能しなくなり、勉強ノート、そして洗脳ノートへと姿を変えた。
当時は冷戦末期で、母は日頃からソ連に対し多くの暴言を放っていた。
それは母の私への教育であり、ソ連は非共産圏を核で皆殺しにする、近付くと殺される、不潔だ、
私にそう言う事を植え付けようとしていたが、
私は子供ながらに母はソ連を恐れる弱者と言う事を感じ取っていた。
弱い犬ほどよく吠える。
私が高校一年生の時に母は死に、私は逃げる様に成城の町から出て行った。
児童公園のあった場所
そこには昔から大月診療所があり周囲には木造家屋が密集していた。
その大月と言う男は変わり者で、医者になる前は浅草の演芸場に居たらしい。
この男は医学知識こそ豊富とは言えないが人の心を掴み和ませる天性の才能があり、
薬が足りなくなり始めると患者に適当な薬を飲ませ「治療薬だよ」と言ったり、
その日の気分で「本日の報酬は魚と味噌汁で頂きたい」と言ったりし、
少しいい加減なところもあるが、だが良い先生だと近所には専らの評判だった。
やがて戦争が始まり、近所も一世帯二世帯と疎開を始めた。
周囲は木造家屋の為、焼夷弾で焼き払われては一溜まりも無い。
そう思った大月は近所の無人の家を無断で破壊し始めた。
大月先生は気でも狂ったかと不安がる町内の人々の前で彼はこう演説した。
「これから言う事は大きな声では言えないが、かと言って小さな声では届かない。
よし、軍部に届かない程度の中位の声で話そう。
今この町はとても危険な状況下にある。
今に敵国の爆撃機が翼を広げこの東京の空を飛び回るだろう。
そして焼夷弾の雨を降らせる、だから皆、家を捨て田舎に疎開している。
こんな木造家屋の密集地ではすぐさま火の海だろう。
皆逃げる事に必死で火を消すものは誰も居らん。
だから私は空き家をぶっ壊す!そうすれば火の勢いは弱まる。
自分の町は自分で守ろうではないか。
そしてまた、来るべき食糧難に備え空き家を壊して出来た空き地に畑を作り芋を作る。
さあ、分かったら皆手伝ってくれ、ノコギリをもっと持って来てくれ」
人々は呆気にとられたが。確かに先生の言う事は理にかなっているな。
そう思うと次々に家壊しに参加し始めた。
その結果、大月診療所の周囲は空き地となり、
大月は暫く診療所を休み農作業に明け暮れた。
泥に汚れた白衣を着た男が鍬を振りかぶり土を耕しているのだ。
その間は患者が来ても「ここで出来る芋を食えば直ぐ治る。暫く待て」と言い、
診察もせずに診療所から適当な薬を持ち出し与えた。
またどういう術を用いたのか、空き地の隅には木を植え小さな雑木林も出来ていた。
幸いこの辺りは集中攻撃される事無く、焼夷弾は落ちてきたのだが、
町内会一丸となり火を消し止める事に成功した。
やがて戦争も終わり、疎開先から家を壊された人達が帰って来たが、
そこは大月先生の天性の才能で和解に成功した。
日本は次第に景気を回復し、もはや戦後ではないと言う言葉が流行った。
「もう食糧不足に怯える必要は無い。これから新しい時代が始まるのだ。
新しい次代を担う子供達には夢と希望を与えなければならない」
そう考えた大月は畑を潰し診療所の周囲に公園を作り始めた。
その公園にはダヴィンチに感銘を受けた大月の作った不思議な遊具が置かれ、
子供達は学校が終ると公園に集まり遊び、遊具で怪我をしては診療所へ通った。
今から三十年程前、大月は診療所をやめた。
直ぐに診療所を自ら叩き潰すと、その場所に穴を掘り始め小さな島のある池を作った。
島にはベンチを置き、何処かから広葉樹を持ってきて植えた。
こうして現在の児童公園に至るわけである。
アン!
大月診療所のあった場所の池の島のベンチに男女が座っている。
この場所こそこの男女が産まれた場所なのである。
大月診療所が無くなる一年半程前の雨の日の夜、診療所に一人の女が訪れた。
女は雨に濡れ、既に妊娠十月を超えており、意識も朦朧とし足元も覚束なかった。
大月診療所には産婦人科はないのだが、
このまま危険な状態で放って置くわけにはいかないと入院させた。
大月は馴染みの助産婦を呼び、女はやがて双子の男女を出産した。
しかし女はその後、感染症により死亡した。
感染症で死んだ女
この件に関しては大月先生は多くを語らなかった。
産まれた双子は一年程大月が育て、
やがて養子縁組だか施設だかで双子は別々の道を歩む事になる。
近所の住民は非常に噂好きで、
「あの女は大物政治家の愛人で、子供は政治家に引き取られた」
「いや、俺の聞いた話では政治家でなくヤクザの大物だ」
「いや、あの女は口封じに殺されたんだ。大月先生が感染症で死なせるわけない」
「いやいや、実はあの女は生きてて、今では先生の愛人だよ」
噂は噂を呼び噂を捻じ曲げ、最終的に「大月診療所は産科を始めた」
そんな噂で噂は一段落した。
折りしも第二次ベビーブームの最中。
多くの妊婦が診療所に殺到し、大月は疲労困憊した。
そして大月は嫌気が差し診療所を潰したのである。
だがそれもやはり「大月先生が診療所を辞めた真の理由」について噂が噂を呼び、
近所が噂の嵐の中、台風の目の如く大月は黙々と公園を作り、
やがて風のように大月は町から姿を消したのである。
児童公園は今でも通称「大月公園」と呼ばれている。
愛読してます
先生がんがってください
或る男
私には血の繋がった母はもう居ないんですよ。
生まれて一年程診療所で育ち、それから江東区の家庭に預けられました。
両親に大事に育てられ、特に大きな事故も無く成長しました。
やや大人しいながらも真面目な性格でした。
大学受験は東大と慶應を目標に自分では頑張ったのですが受からず、
浪人するにも予備校代は安くないので滑り止めの法政大学に入学しました。
本音を言うと誰一人として浪人する友人は居らず、
自分一人浪人し彼らより一年遅れる事が嫌だったのです。
これは私の人生の中で最初の挫折と言うか屈辱でしたね。
実家の最寄り駅から市ヶ谷まで電車で15分程度でしたが、
私はわざわざ神楽坂辺りのアパートを借り一人暮らしを始めました。
やがて自堕落となり軽いノイローゼになり自暴自棄になりました。
そんな時です。
私は両親に私の出生の話を聞かされたのは。
まさかそんな三流芝居の様な運命が私に用意されてるとは思いもよりませんでした。
本当の母は私を産み直ぐに死亡。父親は正体不明、生死も不明。
更には姉だか妹だか分からない双子が居るとは。
こういう場合ドラマだとどうなるんでしょうね?
いつか本当の両親がやって来て、しかも資産家の、
そして育ての親に感謝しながら本当の両親の元へ行くのでしょう。
しかし私は、本当の両親に興味はありませんでした。尤も母は他界してますが。
幾ら本当の父が資産家だろうが政治家だろうが、
まぁ私の誕生のシチュエーションからしてろくな男でない事が容易に想像出来ますが、
私にとって両親とはこの育ての親である両親以外にないのです。
それはもうただただ両親には感謝の念で涙が溢れ出ました。
得体も知れない子の得体も知らない私を我が子の如く十九年間育ててくれたのだから。
本当の両親に興味は無い、ただ姉だか妹の存在については年頃でもあり密かに興味はありました。
この両親が私の真の本当の両親だ、それ以外に何を求めようというのだ。
私はそれ以上話を追求、また話させるのを止める事にしました。
何故両親は私に真実を語ったのだろうか。
一つの区切りとして告げたのか、それとも何か、本当の父についての情報を得たか。
「お父さん、お母さん、あなた達が本当の僕の両親です!血の繋がりなど関係無い。
この血は十九年で酸化し誰の血でもない。ですから、
どうか僕に貴方達の血を半分ずつ輸血し僕の中の血を全て入れ替える、
そんな気概で居て下さい!!育てて頂き有難う御座います!!」
そんな言葉が無意識で出ました。
思考が停止し、心がそのまま何一つ飾り立てる事無く口から飛び出したんです。
私達は三人で泣きました。喜びの涙です。
それから私は生まれ変わった様に勉学に励み区役所の職員になりました。
両親への感謝、恩返しの想いが全ての原動力なのでした。
79 :
名無しちゃん…電波届いた?:2006/06/08(木) 19:01:25
良く分かんないけどage
私のことを馬鹿にしていいのは、私のことを好きな人間だけだ。
母が他界したのは、冬中の暖かい日だった。細い三日月とその側に寄り添うようにひっそりと輝いていた小さな星を、自分にしがみついてくる小さな弟に「あれがお母さんだよ。」と言いながら。小さな悲しい物語みたいに。
何処に行くのだろう、買い物かな。この道ならきっと何時もの八百屋さんだろうな
しかし車は予想外の場所に停まったまま動こうとしない。
父はこう言ったのだった。
「母さんを殺したのはここの奴だ。行って罵ってこい。」
何を言ってるのだろう、この人は。
確かに母はこの家の者にひかれたのかもしれない。でもだからって、こんな。
血の繋がりもあるし、こんなに近くにいても、考えている事は全く違う。お互いが自分の事しか見ていない。悲しいとか寂しいとか考える余裕がなかった。悲しみを共有出来なかった私は、ただ強く「あぁはなるまい」と誓うだけだった。
子供だったという言い訳は通用しない。それは人間性の問題だった。私は自分が思う程綺麗な人間ではない という事がその時漸く分かった。
子供だったからこそ出来る気遣い方だってあっただろう。子供らしいと言われる無邪気さを装い、母のいない辛さを嘆き泣けば良かったのかもしれない。容易に泣けない人達の代わりに。
けれど私はそんな子供を演じるには余りにも傷付いていたし、何より今よりもっともっと未熟だった。
そんな小さな傍から見れば馬鹿らしい事の積み重ねによって、私と父は益々話をしなくなっていた。
そして私は、 自分はいらない子なんだという、少し心地の良い甘い感傷に浸る事で自分を温床で甘やかしてきた。
>>78続き
それは仕事帰りに所用で新宿へ行った時の事でした。
新宿駅東南口を出て階段を下りている時一人の女が視界に入りました。
その女は一言で言うと温和なお嬢様風で、海外旅行に行く様な大きなキャリーケースを持ち、
それを細腕で持ち上げ階段を一歩一歩上って来ました。
ちょうどすれ違う、その時何かを感じたんですよ。
シンクロと言うか、何かの直感?上手く説明出来ませんが流石双子だなと思いました。
思わず立ち止まってしまいました。その女も同じ物を感じ取ったのか立ち止まりました。
多分この人が双子の片割れかも知れない。相手の名前や特徴一切の情報は無いのに。
ただいざ話しかけようにも何から話し始めれば良いのかも分からず戸惑っていると、
女の方から微笑み話しかけて来たのです。「どうも、お久しぶりですわね、永い時を・・・」
「永い時でしたね、顔形は覚えていませんが、
その心臓の鼓動、動静脈のせせらぎ、脳波、全てにおいて覚えがあります。
万が一忘れたとしても、自分と同じ波長であれば良いだけですけどもね」
そう言うと女はスズランが風に揺れる様に笑った。
「取り敢えず、ここではなんですし、喫茶店でも行きませんか・・・?」
私達はコマ劇に向かう通りにあるよくある絵画系の名の付く喫茶店に行きました。
正直まだ半信半疑なとこがあり宗教の勧誘やキャッチだったらどうしようと思ってましたが。
二階の窓際の席に座りアイスコーヒーとミルクレープを頼みました。
隣のテーブルには東南アジア系の女が二人母国語でうるさく話していました。
簡単に彼女の経歴を聞きました。
あれから彼女は品川に住むデザイナーの夫婦に引き取られ、
わりと何不自由無い生活を送り、一時はデザイナーを目指し、
その夢を諦め切れなかったのか第一志望に美大を受け失敗し、
どうでも良くなりお茶の水女子の文教育に入り現在大学院に居るらしい。
受験失敗と言う共通点に笑えました。
彼女は小学生の頃に事実を知らされていたようです。
同じく両親に興味なく、私の存在が気になっており、
今日運命の再会を果たしたのは予知夢のおかげだとしきりに言っていました。
その後連絡先を教え合いアルタ前で私は営団線、彼女はJRに向かい別れました。
彼女に対する印象は不思議ちゃんでした。
C+
大和朝廷の頃の話、今の京都南部だろうか、
あの辺りには大和朝廷に従わない集団が居た。
彼等は地面の窪んだ所に村を作っていた。
人口も200人程で支配服従させようと思えば簡単に出来る。
彼等は大和朝廷の支配下に入る事を頑なに拒んだ。
彼等はその村に大雨が降ると水が溜まる為「雨室(あまむろ)」と呼ばれた。
雨室と言う名は大和朝廷が名付けた名であり、彼等には本当の名があった。
雨室は武力を持たぬ代わりに古代から呪術を用いると言われる。
それが朝廷が迂闊に雨室に手が出せない理由の一つであった。
雨室の本当の名を火で語れば水が穢れ、水で語れば火が穢れるのである。
だが業を煮やした朝廷は遂に武力を用い、
それでも屈服しない為村も人も全て焼き尽くしてしまった。
そして他所から大量の土を持ってきてその灰を埋め窪地を平地にした。
居場所など、何処にも無い。
誰が狂わせた?誰の手によりどの様な意志で何の為に、
自分の想いとは塞がれた。何故塞ぐ、誰のせい?
何がしたいのか、無限に増殖する細胞みたい。
動けない椅子。沈殿する意識とゴキブリ。
眠気覚ましの痛み、まだ眠たいから。
通信遮断は空気の密度の影響か、
潜在意識で群れる棘の森。
死臭、換気無き部屋。
誰が狂わせた?
僕がやりました
分かってた。
お前には実体が無い。
開かれる三面鏡の中で増え続ける虚像の様な者。
双子の女と出逢ってどれくらいの月日が経った頃だろう。
女の芳香、スタイル、玉眼、仕草、それらは男を惑わす物で、
次第と男は女の異常に知らず知らず引き込まれて行くのである。
無意識に歩き続け、ふと我に返ればもう夕闇で振り返れば何も見えないのだ。
どれくらいの距離を歩いたのだろう、向こうはもう黒くて分からない。
「ねぇ、明日の朝、凌雲閣に行きません?」
「凌雲閣って?」
「浅草の、十二階です」
「それは関東大震災で崩れたじゃないか」
「いえ、それが・・・あるんですよ」
彼女は素で、悪気無く人を傷つける事を言ってしまったり、
全然的外れな事を本気で言っていたりしていたので、
今回もその類だろうとは思っていたのですが。
その日が彼女の持つ、若しくは彼女の周囲に存在する空間の様な、
上手く言葉で説明は出来ないが魔力の様な物を実感する日となるのです。
翌日、日比谷駅で合流し午前10時頃に入谷駅着。
そこから千束方面へ向かい二人で歩いた。
浅草と言う町は子供の頃に一度行った事があるがもう記憶に無く、
浅草と言うからにはレトロな町だと思っていたが違った。
町が異様と言うほどにレトロ過ぎる。
歩いている人達は普通で、
街並みのみが明治、大正期の街並みなのである。
まるで人々が町を置き去りにして自分達だけ進化した様にね。
やがて私達の前に浅草十二階、煉瓦造りの凌雲閣が聳えていた。
「本当にあったのか、いつの間に復元したんだろう・・・」
入場料は大人800円、子供400円。
内部にエレベーターがあったが故障中で稼動しなかった。
仕方なく螺旋階段を上る事にした。
各階の店を覘きながら階段を上り八階で一休みした。
螺旋階段を上るのは疲れる。
上り慣れてないせいもあるが、直線の階段ならたいした事ない距離も、
螺旋だとグルグル何倍もの距離を歩かされる気がする。
グルグルグルグル何処までも天に向かい上る。
三半規管が壊れ平衡感覚が狂い落下しそうな気分になるのだ。
一休みすると最上階まで一気に上った。
そこには木造の展望室があり景色を見渡す事が出来た。
今の東京では高層ビルに阻まれ視界に期待出来ないと思っていたのだが、
意外と東京ドームや皇居、微かに東京タワーまで見る事が出来た。
12階、ちょっとした高層マンション、
更には都庁展望室に比べれは遥かに劣る眺めのはずなのだが、
不思議と景色に見入ってしまった。
「是非夜に来て見たいね、夜景は綺麗だろうな。
冷たい闇夜に灰色の雲が群がり銀色の満月が輝く。
眼下の池には映った月が揺らめき、
千束の迷路の様に密集した家々の屋根の凸凹を照らし、
路地に光と影を作り出す・・・
その後に神谷バーで電気ブランでも飲み、
フラフラと公園六区の怪しげな世界に浸るのも良いね」
そんな芥川の「浅草公園」や谷崎の「魔術師」の世界を空想した。
子供のようにはしゃぐ私の横で女はニコニコと笑っていた。
その後浅草の町を歩いた。
ふと「この辺りもいずれ太平洋戦争で焼け野原になるんだな」
そう思うともの悲しくなってきた。
何気なく立ち寄った定食屋で昼食を食べている時に、
「鶯谷に行きませんか?」と女は言った。
鶯谷と言えば吉原なのだが・・・この女の言う意味は違うのだろう。
この女と居れば新しい世界が見える様な気がし、
私達は言間通りを西に向かい、入谷を越え鶯谷に着いた。
およそ渋谷から原宿に向かうくらいの距離だろうか。
さほど徒歩でも苦労はしなかった。
「この辺りはあまり詳しくないでしょう?」
確かに井の頭からお茶の水、秋葉原を通る神田川、
神田川の北側にはあまり行く事は少ない。
「案内してあげますから」
そう言うと女は人力車の車夫を呼び止め乗り込んだ。
鶯谷駅に着くと車は駅の南側へと向かった。
寛永寺霊園の中をガラガラ音をたて突き進むと止まった。
「ありがとう、ここで良いわ」
女は車夫に金を渡し、車夫は来た道を、
再び車をカラカラ鳴らしながら駅の方へ帰って行った。
目の前には、国立博物館や平成館のある場所だが、
そこには鶯色に淡く染まった小高い山があった。
「へぇ、上野の裏は小奇麗に整備されてると思ってたけど、
こんなに原型に限りなく近い自然の山があったんだね」
女は一人山へ向かい歩いたので慌ててついて行った。
春の陽気に山一面が浮かれているようだ。
足元は芝生のように若草が生い茂り柔らかく、
梅の木が花を咲かせ甘い匂いが漂う。
時折鶯が梅の枝に止まり啼き、
その囀りは静寂に包まれた山に何処までも深く吸い込まれるよう響いた。
「何だか江戸時代みたいだ、俳句の世界にありそうな風景だね」
女は笑うも先へ急いでいた。
暫く歩いて女は立ち止まる。
「歩き疲れてませんか?大丈夫ですか?
あともう少しですけど、疲れているなら厳しいかも知れませんね」
よく意味が分からなかったが「大丈夫だよ」と答えた。
女の立っている向こう、そこは桜が犇くよう無数に立っていた。
どれも枝が変な方向に捻じ曲がり花弁を散らし、暗く陰鬱な空気が充満している。
女は試すように笑い向こうへ行った。
それを追うと、
視界が赤、黒、桃色の三色になった。
地面と桜の幹と枝が赤色に、空と景色の薄暗い所が黒色に、
そして桜の花と散る花弁がどぎつい桃色に。
視覚、脳裏に焼き付き立体感を失う。原色は目に刺激を与え、
突如立体映像のように目の前まで膨張し迫ってくる。
私は気を失った。
「やはりまだ、早かったのかもしれませんね・・・」
六月六十六日
梅雨の時期には雨が多く降る。
梅雨の時期の外出は控える。
それは雨粒一つ一つにうじゃうじゃ細菌が含まれているからである。
雨に濡れると呼吸により、また皮膚や粘膜、傷口から菌が入り、
そして免疫の弱い人は熱を出し風邪をひくのである。
幸いなのは梅雨と言えどそれが梅毒の雨でない事である。
もし雨粒に梅毒トレポネマが含まれているなら、
もしかしたら芥川龍之介の自殺はもっと早かったかも知れない。
梅雨が終れば台風の季節が来る。
台風は豪雨と共に暴風で細菌を吹き飛ばし撒き散らすのだ。
そして雨上がりの日差しの強い日も注意する必要がある。
細菌を含んだ水溜りが日光で蒸発し、
地表から50cm位の高さまで細菌がうようよ浮遊しているのだ。
だから雨上がりの日差しの強い日は野良犬や野良猫が不健康そうにさ迷うのだ。
97 :
カナリエ:2006/06/26(月) 08:01:00
六月十七日密な遊びの馬鹿馬鹿さ。
少し硬いベッドに俯せで倒れた時の方法。
胸部と腿部と左右どちらかの頬をベッドに密着させる。
心臓のリズムと呼吸のリズムの違いに気付けば良し。
後はそのズレから来る横揺れを感じひたすら増幅すれば良し。
六月某日エアコンの異音に想ふ
エアコンと白壁の隙間の黒カビは誰。
いつしかエアコンの中に逃げ込んだゴキブリへ。
ゴミ収拾車の様に弾き飛ばされ内部の溝にはまっただろう。
身動きとれず息絶えたか。
茶色の腹には白カビが噛り付き、
森の様に広がり繁殖繁栄した。
全身白カビに覆われたゴキブリはホワイトチョコレートみたいに。
産毛の生えたホワイトチョコレート。
甘くてスカスカなホワイトチョコレート。
削り散らして粉雪ねぇ肺まで深く吸い込んだなら。
上記の理由により我が家のエアコンからはマイナスイオンが出ます。
十月五十二日(水)
ベッドに仰向けに横になり目を閉じる。
赤黒い瞼の裏。
すると真っ白な光りに包まれる。
あー、来たな・・・
気付くと16時間経ってた。
飛んだ!それは飛んだよ!!
どうして火事で死んだ人が見てるの?どうして火事で死ん
だ人が天井から見てるの?どうして何も言わないの?おばあちゃんメザシ美味しい?どうして天井の火事で死んだ人は
真っ黒焦げなの?どうして目が無いの?おばあちゃん聞いてる?ど
うしてどうしてどうして髪の毛が無いの?窓ガラス
七月知日
公園のベンチで一休みする。
鮨詰めで携帯覗き込むオヤヂが嫌い。
近所の総合病院ナースがエンジェルボックス我が子の様に大事に抱え、
ショーとカットか公園をパタパタ走り抜ける。
新人さんかな?
あんなに無我夢中で走って危なっかしい。
あ、こけた。
予想通り内臓ぶちまけてこそこそ拾い集めまた走り出した。
鈴虫の音みたいなの波状に広がる。
カラスのおばさんの焚火のポタポタ人間焼きを眺めてた。
焚書坑儒な砂場が眩しい暗いに輝いていた。
ポタポタ人間焼きについてご質問頂きました。
ポタポタ人間とは目薬をさす人です。
おばさんは左眼に緑内障を患っているのです。
ポタポタ人間焼きとはおばさんの地元の呪術的民間療法らしいです。
おばさんは薪を十二本放射状に並べ、中心に紙を置きます。
その紙には人の目が描かれています。
おばさんは墨と筆で二重の目、虹彩、瞳孔、血管までリアルに描きます。
その絵の上にブルーベリーを乗せ焼きます。
三月四半日の謝肉祭
チンドン屋や仮装した人達が公園の前を通る。
槍の刃先に庭には二羽居た鶏を串刺して、
踊り念仏、青白赤の風船。
「これはフランス革命だ!」私は思わず叫んだ。
その行列に一人、血に飢えた人斬りの目をした男。
「俺がクビナシ地蔵を作った!地蔵の首斬りだ!
神は死んだ!仏もしかり、ニヒリズムだ!超人だ!ルサンチマンだ!」
「何を望む?」
「人間主体、そして精神主義の跋扈とカオス、創造だ!!」
六月一日象徴
「ジャングルジム夫」と言うのは勿論彼の本名でなく小学生が付けたあだ名だ。
なるほど、単純なれど彼を観察するとそれはシンプル・イズ・ベスト、最も的確である事が分かる。
彼は児童公園のジャングルジムの中で体育座りをし俯き一日の大半を過ごす。
雨の降る日も晴れる日も槍が降る日も。
20代後半、ぼさぼさの髪に不精髭、白のTシャツに紺のジーパン。
言いたい事は言わずとも分かる。
テレパシィ、もっと単純な共振の残像だ。
分かるだろう?闇を抱き縋る子供達の多さの証拠。
そして俺と、子供達と、「お前」のトライアングルな同類項を・・・
なあ聞いてくれよ、カビが生えてしまったんだ何時からだろう。
雨に濡れっぱなしだったからだろうか。
俺は正直な掃除機だ、こうしているだけで、周囲の虚しさ哀しさを全毛穴が勢い良く吸収する。
物凄い量の虚しさ哀しさが俺の中に入って来るんだ。おかげて動けない。
ピラミッドパワーなんて信じない方が良いぜ、そして俺は杞の国の民が皆殺しに合えば良かったと思う。
彼等の望むべき事態へ走れ、お前に分かるだろう自他に向ける破壊衝動ですら晴らせない、
虚しさ、哀しさ、切なさを少し分けてやろう。お前に根付いたカビの深さをな。
彼は私の方を頭だけ向けた。
私は拒み、地面を蹴り彼に砂をかけた。
「違う、違う、まだ分からないのか?
分かっていての不親切か?
そんな一時的な強烈なものはすぐに冷めてしまうから。
ここはジャングルジムだ、天を目指せ。
上る子供達の靴の裏の泥が、一歩、また一歩上る度に俺にパラパラ落ちてくる。
目に見える形有る屈辱を優しく、そして長く欲しているのだ。
生憎俺に近づく奴は誰も居ない。
俺は目に見えない形無き屈辱に蝕まれている。
それが辛いんだ。屈辱の原因は何だ!正体を現せ!お前もそう思っているんだろ?」
私はジャングルジム夫の話しを聞くと無性に腹が立った。
古新聞でこの愚者の全身を包むと丸め潰し、
骨を砕き原形を留めないほどにグシャグシャにしてやりたい衝動に駆られる。
?!
なるほど、これも一つの手掛かりなものか、
私は児童公園を捨て地蔵塚へ走った。
地蔵はどれも首が切られていた。
切断面は見事に真っ直ぐに、そして焼け焦げている。
あのフランス革命のパレードの男の仕業に違いない。
私はシャベルで直径1mほどの穴を掘り始めた。
地蔵塚は地蔵の土葬ではない、地下の弔いのこの地蔵達だ!
そして地下にこの地蔵を投げ込み再び埋葬しなければならない。
首は切られた。
そして、噎せかえる切なさの産出。
穴に入りシャベルを土に突き立てえぐり土を放り投げる。
暫くすると雨が降り始めた。哀しみの雨だ。
土は雨水を含みドロドロに重くなり体力を奪う。
2m60cmくらい掘っただろうか、地層の変化に気付いた。
冥府の扉をこじ開けてやる。
その時、地下から何か出て来た。
ぶくぶくと気泡が沸いたと思うと、重油の様な、
臭く何処までも黒くそして表面は歪み輝いている。
半液体のそれは次第にドロドロと土から染み溢れ私の足首まで浸かった。
逃げなければ、しかし上を見上げれば高くてはい上がれそうにない。
更に足が絡み付かれた様に重くて仕方がない。
見上げれば空にぽっかり開いた穴から大きな眼球が見ている。
瞬きしながら不思議そうに涙を流している。
私は足元から湧き出る黒い虚無、非力と無謀に溶かされ焼かれ沈んだ。
そんな夢を見た六月一日象徴。
眠って一時間の目醒め。
午前、二時半後前。
久々の金縛り。
豆球も消したのに部屋がやや明るい。
開きっぱなしのノートパソコンの光りか。
隣の部屋に訪問者。
声からして、女か。
暫くして微かに玄関をKnockする音。
骨でコツコツ叩く小さな音。
気のせいかと思うとまた聞こえた。
耳を澄ますがもう聞こえない。
Bedの下からビニール袋をがさがさ振り回す音。
子供が振り回し遊ぶ姿が連想される。
「五月蝿い」と心の中で叫ぶと音は消える。
眠る。
起きるとノートパソコンは閉じておりました。
真性電波ですか?
それとも
それとも明日の市民死亡数を計算するお役所勤め。
この季節は嫌だ、海の風に当たりたい。
隣の部屋から微かにテレビの音が聞こえる。
その反対には以前外人が住み日曜の朝から音楽のベース音で壁響かせやがって、あの昔のアイドル、
向こうが煽るからこっちもついついアクセル踏み込む感じに、あぁ戦争。
冷房気持ち悪いよね、冷房、気持ち悪いよね。
冷房無いと顔の皮膚がイライラする。
つけるとケダルイし曇り空がムカつく。
今日はおしまい。
六月四十二日
友人を尋ね石川県多摩市を訪れる。
駅前大通りを歩いていると右手に小高い丘があり、その上に多摩市役所と隣接し多摩城がある。
人口12万人程度のわりに手の凝った事をしてますね。
実はこの市役所を見るまでここは金沢市だと思っていました。
するとドラマのロケをやってるので見に行こうという事になり木が沢山生えた暗い公園に行ったんです。
今まさに、刃物を持った中年親父にバスがジャックされ運転手の若い女性が脅されている。
リアルなわけだ、周りには本物の警察が手に汗握りこれはドラマでなく事件なのだから。
事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ、私は友人にコンビニの場所を聞き向かった。
公園から東に向かい交差点を左折、交差点を二つ直進すると左側の道沿いにコンビニ「ピカデリー」があった。
レジに居るのは白人で、アメリカのコンビニだろうか、私はプラスチック製の三輪車とタバコを買った。
さすがアメリカだけあってタバコ一箱600円するのはいかがなものか?
友人にコンビニの話しをしてると黒人男性がこう言うわけです。
ピカデリーがお前みたいな日本人にタバコを売るわけない!、と。
かなりの勢いで怒っている。
反論すると黒人はショットガンを取り出し私に銃口を向けた。
唇を噛み締めプルプルしていつ撃たれるか分からない状況だ、暴発するかも知れない。
私はもう直立し小刻みに震えるばかりで近くの警察に目線を向けるもビビって逃げやがる。
一分ほど長い硬直状態が続いた。
一か八か公園入口門の壁の裏に走った。撃って来た、かろうじて避けた。
散弾が三輪車をバラバラにした。私は壁の裏で体育座りで半泣き。
それにしてもなんでこの町はいろんな所にDJ.OZUMAのチラシが貼ってあるんだろう。
気が付くとあの黒人と警察と市民が仲良く談笑しながら壊れた三輪車を直しているのだ。
四月使日武士道とは死
ある1600年の武士がひょんな事から百年後の世界へタイムスリップした。
ちなみにひょんな事のひょんの意味が分からない。
武士が辿り着いた世界1700年、あまりにも変わり果てた世界。
武士は海辺に居た。細く長いコンクリートブロックの道の上。堤防の上。
直ぐ下は海である。見渡せば海水である。とても深そうな海である。
明らかに海面が上昇している。駿河も堺も何処も海に沈んでしまったのか。
黒と水色の空に夜で湾曲した街灯からオレンジの光りを眩しく照らす。
海は小型漁船などが物凄いスピードで走り回っている。
武士は混乱し、コンクリート堤防の道をひたすら走った。いったいこの世に何が起こってしまったのか。
全速力。堤防が途切れてる。このままでは海に落ちる。ブレーキをかけた。草履がずりずり滑る。
かろうじて停止に成功。が、武士の居るコンクリート堤防の先端のブロックが分離し海に流れ始めた。
武士は焦り自らの推進力で元の場所に戻った。
やがて武士は維新派武士達に出会い彼等の半分水没した木造の屋敷に招待された。
武士はこう思った。百年後も武士の世で良かった〜。
前八月一日
暑い、熱いし吐き気で吐き気の掃きだめより。
細菌の生温さと腐る肉と、公園の噴水の水を腹一杯に飲み干すのは誰か。
硝子の砂場、地下壕は熱光線の乱反射なプリズム。
せめてプリズンにして頂けないでしょうか。
鉄分が不足しちゃいそうです。
昼休みもとても食欲など要らん、水分を呉れ。
自販機のジュースが温い!日蔭の湿った土が憎い!
そういえば関西の大学生がキノコでラリって飛び降りて死んだニュース聞いて思い出した話なんだけど、
この辺で15年くらい前に「同じような」事件があって、
そこにそいつの幽霊が出るって話なんだけど、
友達の友達の友達が昔その現場に夏の蒸し暑い夜に肝試しに行ったって話なんだけど、
現場はもう廃アパートになっててなんか雰囲気出てるなーと思い胸がドキドキしながら一歩一歩近付いて行ったんだけど、
そしたら薄ぼんやりした男が倒れてて、みんなウワッ!ってビックリしたら、
その男がぼんやり起き上がってヘラヘラ笑いながら辺りキョロキョロして、
あっ、こっち向いた!と思ったらその男が、
「わっ!ドラえもんの幽霊が居る!!」
ってビックリして叫んでぼんやり消えて行ったのね。
いやいや幽霊はお前の方だろ、と。
幽霊になってもキノコでラリってんのかいって話なんだけど。
↑の話しは犬井ヒロシ風に読んでな。
今日はここまで。
七月二十六日
白い朝に思うは直線、平面の如きである。
バスルームの床に桃色の小さな芋虫がうねうねと回転している。
よく見るとそれは半透明であり、更によく見れば見間違いである。
あの「固定」した床とうねうねとした「動き」の関係はいかに。
目を覆う涙の流れでせう。
やたら酷く軋むベッドがコッコッコケッ、コッコケッと鶏に成りきり喚く。
苛々し頭を掻き毟るほど尚うるさき。
新しい朝が来た!馬鹿を言うな昨日の延長だ。
吐く息寒きSHERBETになった公園の池の前、
しゃがみ込み震える彼女に誰が背後から優しく暖かいコートで包むでしょう。
トレンチコートの変質者を除いて。
あー、御仏の仏罰を鈍器で打ち砕き後は割れた貯金箱の豚と同じく。
石灰岩のカスの様な物を一つ積み上げ自己の為、二つ積み上げ自己の為。
風化との闘い。
東急ハンズでGasバーナーなんぞを買って来た。
早速繋いで小学校の頃を思い出し捻る。
ゴォーーと言う音とオレンジ色の炎。
私は一辺10cm厚さ5mmのガラス板を手に持ち加熱した。
やがてガラス板の中央に黒い煤が出来、次第に拡がる。
ガラス板には表面に蝋が塗ってあり、それが溶け始め、
ガラス板を傾けると私の指、手を伝い肘まで流れポタポタ落ちる。
やがて冷めて私の腕は蝋で白くボロボロとガサガサするのだ。
その上を新しい蝋が蛇の様に流れて行く。
私は何故こんな無意味な事をしているのだろう。
私は何故こんな虚しい事をしなければならないのだろう。
さあ今日も地獄の日の始まりだ!
ラヴィアンローズに噛み締めよう。
舌が緩んで垂れ下がっているけど。
お腹がスカスカです、ペコペコでなく腸がアスベスト。
大量の酸素を送り込め!!
河原で石積み、間抜け顔の馬鹿な鬼がやって来る。
へらへら笑って馬の耳で耳汁垂れ流せば良いじゃん。
一番厄介な奴等は鬼を屠殺して鬼の皮を鞣して生業にする奴等。
野中広務似の顔のお面を被っています。
七月十四日
夜祭り見世物小屋
既に入るか入らないかの半信半疑な人だかりが出来ていた。
呼び込みの声が響く、男は小人病ではない。
隣の昔ながらのお化け屋敷の方が人気そうだ。
人々が小屋に入る、私もそれに同じく。
ジリリリリ、ベルが響き渡り始まり始まり。
ステージにはギター、ベース、ドラム、キーボードの男達。
そして五人程の若い女と同じく司会の若い女。
男達は静かに「オリーブの首飾り」を演奏する。
賑やかな明るい司会の声、選ばれた女が頭に袋を被り紐で結ばれる。
種も仕掛けも無いらしいアメリカで買った大きな木箱に女を入れ蓋をし縄で縛る。
箱を隠す為の幕が周囲を覆う。
違う女が幕に入り顔だけ出し微笑む。
女は顔を幕の中に引っ込めカウントダウン。
幕が開くとそこに居た女は箱の中に入った女である。
縄を解き蓋を開け袋を縛る紐も解くとその女は後から幕に入った女である。
全ての出し物を見終わった客は奥の出口に消える。
そして新しい客が入りさっきから居る客は奥に詰め移動する。
赤い襦袢を来た年齢は20代半ば位か、黒髪ショートカットの女。
幼さを残す妖しくやや美人に思える小雪と言う名の蛇女。
そして司会の陽気な男。
「ここからは撮影OKです!WINNYで流しても良いですよ!」
まず女はボールチェーンを鼻に入れ口から出す。
ややどよめく客に対し「ほっしゃんは禁句です。うどんとはわけが違いますからw」と司会。
女はチェーンの鼻側と口側を持ち交互に引っ張る。
そしてチェーンを水の入ったバケツの取っ手に絡ませ一秒程持ち上げる。
口側からチェーンを引き抜く、歪む女の顔。
「抜く時にチェーンのボールが喉の奥に食い込んで痛いんですよ」と司会。
蛇を取り出す。
体長80cm位?細い生き蛇、秩父から取り寄せたそうな。
本物である事を確かめさせる為に前方の客に触らせる。
女は蛇の頭と尻尾を持ちピンと張り、舌を出し蛇の頭の方から平行にツーっと舐める。
女の顔付きが変わる、妖しく異常なエロスが漂う。
撮影可なので携帯を取り出しムービー撮影を起動した。
女は両手で蛇の頭を持ち口に寄せ、噛み千切り始めた。
必死に尻尾を女の腕にくるくる巻き付け抵抗も虚しく、噛み千切られた音がする。
思わず声をあげる女性客、煽る司会者。
これで終わらない、女は蛇の生き血を啜る。
既に女の表情は戻り口元は血に汚れる。
白い化粧に口から垂れる赤い血、何て美しい光景だろう。
興行はこれで終わってしまった、私は600円を出口で支払い去った。
司会の男によると、祭の行われる一日四時間に何度も同じ出し物を繰り返すそうだ。
まだ今日は時間がありまだ数回女は蛇を噛み千切り続ける。
それは昨日もで、明日明後日もである。
事前にネットで予習して作り出した見世物小屋像はもう亡いのでしょう。
客離れ、芸人の高齢化、人権問題、現代化。
奇形や身障は難しいですか。
手品はいただけなかった、あれなら小人マジシャンのマメ山田氏の手品の方が何倍も面白かった。
蛇食いは物足りなさは残るが初見にはあれはあれで良かった。
それにしても出し物が少な過ぎる、客の回転率を高める為か。
火吹きや、赤ペンキの付いた板に鎌を突き刺し「カマイタチ」そんな下らなさでも良かったから沢山見たかった。
エログロナンセンスな古臭く妖しい世界に餓えているのだ。
むしろ最近のレトロブーム(もう終わった?)に便乗し現代化を止め可能な限りで昔ながらの見世物小屋を見せて欲しい。
家に帰り撮影した動画を再生したら何故か音声だけ録音されていなかった。
七月十七日 雨降り海の日月曜日
祝日は戸惑うから止めてくれ。
月から雨が降る、雨の海。
緩やかな満ち干きは君を危ぶませる。
電灯も共振しカタカタカタ…
乾燥した部屋でニタニタ笑うサラセニア。
マグカップの中で清潔なシャワーを待ってる。
早く成長して私の嫌いな虫を食べておくれ。
緑綬褒章をくれてやる。
右腕の内肘に血溜まりが出来てる。
メスの刃先で切っ裂き逃がしてやりたい。
でも部位が部位がなだけに痛そうで止める。
血の雨が降る、海が濁る。
血の雨が降る、地が濁る。
八月二日
玄関を開けると両親が死んでいる。
全て計算された事であり指針としての仏、殺し。
右向け左、左向け右。
T字路を左折する振りをして右折しても、
ムダ!
八月二日
休日昼間から賑やかだと思ったら児童公園の一角でお祭りをやっている。
『万国ぽたぽた人間博覧〜見エナイメガネ〜』
公園の隅が工事用のフェンスで区切られている。
その両脇に露店が列んでいる。
タコ焼き、林檎飴、フランクフルト、綿菓子、ヨーヨー釣り、射的…
眼鏡屋、コンタクト屋、目薬屋や怪しそうな薬屋。
露店には提灯が掲げられる、屋号と目玉の直筆である。
祭の中心には小さな社が設置され、祭が終われば解体され運ばれる。
御神体はある歴史的有名人の眼球だとかでまさに心眼だなんて。
その横の蓄音機からノイズ交じりの音楽が聞こえます。
シャンソン?モダンジャズ?笛や和太鼓の音も聞こえる。
乱雑混沌とした文明開化な感じの曲。
あ 踊る人波海辺の雫
きらり輝き光や見えぬ
見えぬ見えぬと杖つきゆかば
落つる海原輝き一つ
あ ぽたぽた
盤面に目が描かれたレコード盤が回り針に削られている。
おや、社の奥には何かのホルマリン漬けや展示パネルがあるぞ。
老人や子供が多い、孫連れで来てるのか。
青年や中年の姿は多くはない。
この祭を運営しているのはある法人であり、一言で言えば障害者団体。
目の見えない人、目の病気を患う人のコミュニティーである。
その母体はある宗教法人。
宗教法人の方針により団体は動くのだ。
宗教法人のトップは創始者の曾孫で彼もやはり失明している。
代々目を患う家系であり江戸時代からの因果だとか。
目的は民間療法による視力の回復、また全盲視力弱者の生き方向上、
また町の景観美化、シンプルかつ洗練されたビジュアル都市作りなんてのもある。
宗教と言うより宗教系福祉団体とでも言おうか。
某宗教の様に政治に深く介入しようという意識は無い。
ただ15年程前に区議会に圧力をかけ用水路に柵の設置、点字の普及、盲導犬への理解、
歩道上の歩行の妨げになる放置自転車や看板の撤去を要求し実施させた。
この事は世間では良く評価されている。
宗教なんて馬鹿げてる。
だから私が宗教を作ろう。
私が教祖で信者は私。
私の私の為の宗教。
誰にもその内容を教えず誰にも理解させない。
教典は太宰治の「トカトントン」
八月一日曇り
明日はお祭りがあるらしく電柱にチラシがべたべた貼られている。
全部手書きで書かれているのを横目に歩く。電柱もチラシもどんなに暑くても汗をかかないのが羨ましい。
蒸し暑い、地表から蒸し上がる汚れた空気を浴びて駅へ歩く。
首筋の香水は汗に混じりハンカチで拭き取っては匂いが変わるのである。
何も考えてはいけない、考えれば熱を認識するのだから。
駅に着くと160円の切符を買うのだが、10円玉も100円玉も一枚ずつしかなく、
510円入れ350円のお釣りを出そうとするのだが、
500円玉を入れると投入口が閉まり10円玉を入れれず340円のお釣りがじゃらじゃら出て来た。
トイレの鏡の前で額と耳の裏の汗を拭き取り前髪をセットし直す。
階段を上りホームにつくと次の一本はとばし八分待ちである。
その間にも汗が流れてくる。
ホームの一番端まで歩き座り込んだ。
電車がやって来た、近付く電車を見ているとホームから男が軽やかに飛び降りた。
男は電車の下に吸い込まれけたたましい叫びを上げて停まった。
アナウンスが鳴り響く、人達がざわめき、
方針状態で立つ人や、興味本位または心配し電車に近付く人達、目を背ける人、苛々する人、駆け付ける駅員。
その間も、現場の空気は変わらず蒸し暑い空気が滞積している。
目の前に停まる電車、ポケットからハンカチを取り出し汗を拭き取る。
取り敢えず目の前の電車のドアを開け、冷房の効いた車内に入れて欲しいのだ。
想いは天に、祈りは地に。
想いを伴わぬ祈りなど天には届かない。
不滅老兵記
油臭い鉄板の船は上海へ向かい、着港夜の繁華抜け車は北へ。
トラックの砂埃舞う此の悠久広大な土の堆積は打ち捨てられ、
東に見える海岸線が遠き我が国との見えざる壁あり。
遥か北上し旧王朝の民の土地に入り展開、接収。
事前に反体との打合せは出来ており土の家の邸宅を提供される。
及び、工により設営が急速に行われた。
律を持て、此処では律を持ち過ごせ。
此処は土と石と木の村である。
宿営は村の隅に作った。
家は板の枠組みに石を詰め、隙間に砂土を入れる。
そのブロックを組合せた形で作られる。
村の東では貧しい稚児が磯蟹の甲羅をめくり喰っている。
水面が輝いている。
村の西には森がある。
その暗い木々の先端に混じり石仏が村を見下ろしている。
森の入口では露店商が石仏木仏を売っている。
「この地は、チベット仏教伝来の地、なのです」
「是非、奥の、石仏を御覧下さい」
森の木々を分け入ると山の岩肌に仏が刻まれている。
「仏は全てを見て、います。
あの穏やかな笑顔。
それはー罪無き証拠。
罪ありし者に、仏は仁王の如き顔を見せます。
ただし仏様は寛大であり、その罪が、自然であれば許されます。
不自然、不必要な罪が許されないのです。
自然であれ、人は、自然であれ」
我が隊は村に食料支援する。
村の至る所に所々欠けた石燈籠が見られる。
今宵は祭、この季節夜にもあると気温が氷点下まで下がる。
逆に夏の真昼は36℃近くまで上がる。
空気が暗くなるに連れ、一つ二つと燈籠に火が燈る。
乾中尉と村長が上座に座し、階級順に続き座し、ささやかな宴が始まった。
燈籠の光が儚さを感じさせる賑やかで静かな宴である。
酔いも過ぎ皆散り散りに別れる。
燈籠も消える夜に香に誘われ森。
商人が笑って居る。
彼を殺す。
石仏を掴み取り額に打ち付ける。
よろめく商人を殴り倒す。
首を締め殺した。
何故行動を思い、行動を起こしたのだろうか。
動かない商人を引きずり山を上り、谷へ突き落とした。
現場に戻り、胴体と首に割れた石仏を服に隠し去った。
それ以来仏は冷たく睨み始めた。
宿営にて眠れぬ夜を過ごす。
花も恥じらう楼閣に、雪は降り積もる。
冷たい、冷たい、冷たい。
翌日、商人が居ない事に村が騒ぎ出す。
我が隊も村人と共に捜索を開始する。
結局商人の行方は、誰にも分からなかった。
ある一分隊が谷を捜索したらしいが、何の報告も無かった。
捜索に手を抜いたか、または本当に見付からなかったのか。
一月程の滞在の後に我が隊は村を去り、内陸へ南進した。
森から顔を覗かせる巨大仏は・・・
南進の際に、商人を殺した石仏の胴体は失くしてしまった。
顔仏はまだ、今も我が家で睨み続けて居る。
「その村は今はどうなったんですか?」
「ソ連の侵攻で全て壊し尽くされたよ」
ベッドに仰向けに寝転がり深く息を吸い込んだら左肺に鋭い痛みが走った。
息を止めると痛みは次第に和らいでいった。
また深く吸い込んだなら鋭い痛みが走った。
面白くなって何度か繰り返し、強く息を吸い込んでみたら、
「ペシャ」って感覚がして激痛が走りベッドの上でのたうちまわった。
左手で左肺辺りを掴んで右手でベッドの柵を掴んでひたすら耐えた。
もうしらない。
そ…
八月七日の始まり
こんな深夜に目が覚めてしまう。
ウルサイ蛙どもめ、冷房もガアガア鳴いている。
腕の体感温度に反比例する赤面、薄い皮膚、毛細血管。
頬から額まで流れる不純した煮えたぎる血液よ。
湿り気を掻き毟ればピンクの汁がヒリヒリする。
薬をくれ!錠剤も忘れずに…
私を縛り付ける地場め、監獄、哀しき約束の地か?
考える事が多過ぎた事が悪魔に魂を売る。
子は親を選べないと言う事だ、親は子の心を支配出来ない事だ!
幼児は自ら二本足で立つ、四つん這いなら安定して体を支えられるのに。
私は傍観者で居たかったのに、と過去の事。
四つん這いの賎しい獣風情が。
落ち着こうと煙草の吸い殻が二本、三本。
青炎マッチの煙と微炭酸の喉越しを欲張ってみる。
憂い、せめて人を寄せ優しさにして下さい。
夏は嫌いだ。
塩害の季節だからな。
偶像など作ってはいけない。
顔など不必要、身体など不必要。
それは外でなく内にある者だから。
そんな物はゴミ箱に捨ててしまえ。
六十月 ある女が生まれ23年
大学院の人達とカフェで話していた、私の実家が品川という事で品川の話しになったのだ。
私は品川に特に何も思わない、中途半端なのだ。
それは私自身もそうであるが、私は彼女達の持ち合わせていない物を持ち合わせている。
私はアルバイトにも同世代の男の選別にも興味を持たなかった。
美大を諦め、就職活動も避け何となく大学院に辿り着いた。
どうせなら田舎に生まれ育ちたかった。
都会でも街でもない田舎、それは東京、品川とは明らかに違う景色。
都心から快速で二時間くらいの途中乗換駅のある田舎が良い。
電車はうるさいモーター音を鳴らしゆっくり走る。
駅のホームに屋根は無く、木造の小さな待合室の小屋がある。
駅員は一人しか居なく、都会人が都心から一駅分の切符を買い、
途中乗り換えで改札を通らずここまで来た場合、
駅員は渡された東京メトロ160円と書かれた切符を見て「どういうルートで来たんですか?」と言い、
駅員室の奥に向かい三分ほど待たされ「1600円ですね多分」と言う長閑さだ。
駅裏には山が構え蝉の声が響く。
駅前にはマンションや大型ショッピングセンターなどは無く、
駅前は舗装されてない空間、公衆電話と自販機がありタクシーが三台停まっている。
運転手はクーラーの効いた社内で寝てたりラジオを聞いてたり煙草を吸っている。
駅前通りと言うほどでもない車二台分の砂利道が延び、その脇には民家や商店がある。
コンビニへは駅から五分歩いた県道の近くまで行かなければならない。
子供達の遊びは未だグランドで野球やサッカーをしたり、
綺麗な河原で水遊びをしたり山を走り回ったりする。
私は駅前の駄菓子屋のお婆さんと雑談し、アイスクリームを買って駅のホームで食べながら電車を待つ。
そんな所に生まれ育ちたかった。
だけど私の性格からしてすぐに嫌になるだろう。
旅行で見た長閑な景色を思い出し、こんな所で暮らせたらと空想出来るのが幸せである。
私は久々に品川の実家に帰る事になった。
バスに乗り、坂道を上ると実家がある。
この家は箱に過ぎない。
玄関を開けるとある空間の目の前に螺旋階段が三階までグルグル回っている。
一階にはリビング、和室、洋室、ダイニングキッチン、浴室、トイレ。
二階には私の部屋、母の部屋、父の部屋、両親の寝室。
三階は父の作業室となっており屋根裏部屋に続く梯子の階段がある。
屋根裏部屋の窓の下には天体望遠鏡があった。
一階から三階まで螺旋階段で行けるがエレベーターでも行ける。
だが私はこのエレベーターを使った事が数回しかない。
箱の家の中の更に小さな箱、その中に永遠に閉じ込められそうだからだ。
両親はやがて離婚した。
私がこの箱の家に来て五年経った頃だろうか。
当時の私には離婚と言う概念は分からなかったので、
母親は居なくなった、時々は冗談なのか死んだとも言われ何となくそれを受け入れた。
多額の慰謝料を取られたらしいがそれでもまだ多額の資産が残っていた。
金銭面で不自由した事は無かった。
父はよく絵を描いており、エレベーターは主に三階の作業室から絵を外に持ち出す際に用いられた。
父は私を可愛がった、それはペットを可愛がるのとは違い、
宝石を一点の曇り無く磨き上げる様なものだった。
幼い私はそれを理解出来ず、やがて母は消えた。
夏の陽炎の様に、ゆらゆら。
境界は顕微鏡のレンズのピントを合わす様に、
ぼんやりとし、刻む様に鋭く、痛いほどクッキリ見え、遠ざかる。
張りぼての壁、トタンの屋根、三日月の窓、満月の戸、
螺旋の非常階段、錆びた南京錠、キャラメルの筒、
産まれた赤ちゃんを細切れにし流した水洗トイレも、
それをつぶさに記録観察した消臭剤の消臭濾紙も、
大正時代の浅草を写した写真集も、肝臓缶詰の自販機も、
神様に与えられた一本の後ろ脚を無くした梅毒の犬も…
■八月十日の日記
従兄弟の妻と私の間に子供が出来た事を打ち明けられた。
一度も性交渉をした事もないのに、それでも私は事実をすんなり受け入れた。
暫くして何処からか宅配便が届いた。
箱の中には15×15×30cmの古い木製の箱が入っていた。
蓋を開けると中には赤子のからくり人形が脚を折り曲げ入っていた。
これが私の子供である。
抱き抱えると可愛い動きをし、床に奥とハイハイして歩き出した。
子供は嫌いだけど案外可愛いかもしれない。
この子供に名前は敢えて付けなかった。
何日かすると子供が居なくなった。
ソファーの裏や机の下を探したが見付からなかった。
従兄弟の妻に尋ねると後ろめたそうに子供の入っていた箱を持って来た。
その中には脚の部分が壊れた子供が納められていた。
八月十三日
お盆休みに両親のお墓参りに行ってきた。
既に親戚が参ったのだろう花と、雨で途中で消えた線香数本。
もしこの墓を参るのがたった一人の子である私のみならば、
私は枯れない花を手向けたい、寧ろ自宅に遺骨を持ち帰りたい。
哀しい故郷だ、これは宿以外の何物でもない。
故郷とは骨と皮の老人が死に畑に埋める場所であり、
故郷に留まる若者は墓守りに過ぎない。
だから私は両親を裏切ったのだ。
私は両親を裏切った…
久々に親戚の家に顔を出し、誰も居ない実家に泊まった。
一番古い記憶は幼稚園の頃だろうか。
同じ間取りの四軒の家。
小学校と隣接した幼稚園の正門の前の区画、
そこに四角形の点の様に同じ間取りの四軒の家があった。
家の裏には柵がありたんぼがあり、そちらに玄関があり反対に勝手口があった。
普段の出入りは勝手口を使っていた。
玄関からだと一度家の周りを半周しなければならないからだ。
勝手口から入るとダイニングキッチンがある。
その先には廊下、左側に浴室、
右に進むと途中、左に玄関、右にトイレと階段がある。
その先にはリビングルーム。
二階への階段は真っ直ぐで、突き当たりの左右に部屋。
左の部屋は私が寝ていた部屋。
ベランダがあり、望遠鏡があり、テレビがある。
21時頃が就寝時間だっただろうか、とんねるずのみなさんのおかげですを放送していた。
仮面ノリダーが好きで母に頼んで就寝前のテレビを見る許可を得た。
その放送前の20:54からのニュースのジングルが火曜版サザエさんのED曲の一部に似ていた。
ラジオがあり、放送を聞きながら寝ていた。
番組でよく流れた曲が大好きだった。
有名な曲だがタイトルは知らない、白い猫が二匹じゃれ合っている光景が浮かぶ、
猫踏んじゃったに似た軽快なピアノ曲。
右の部屋は記憶に全く残っていない。
両親の寝室か母の仕事部屋だろう。
幼い私を一人で寝かせる筈がないので後者である可能性が高い。
隣の木下家には当時高校生くらいの長男が居た。
彼はラジコンを所有し、借りて近所の幼稚園で走らせた事がある。
それ以外に木下家の思い出は何一つ無い。
斜め向かいには同い年の私と同じ幼稚園に通う子供が居た。
仲が良く一緒に遊んだらしいがこれが全く記憶に残っていない。
その子は怒られるとお仕置きでお灸を据えられていた。
だが私はこの年になってもお灸がどれ程熱い物なのか知らない。
幼稚園の年中頃だったか、その家庭は引っ越した。
それ以来友人を失った私は幼稚園の登校拒否を起こした。
母の自転車に乗せられ幼稚園に着いても正門にしがみつき行きたくないと泣き喚いたらしい。
これは母に聞いた話であり私の記憶は忘却の彼方である。
家から徒歩30秒で公立の幼稚園があったが少し離れた私立の幼稚園に通った。
母の自転車の後ろに乗り、あのスピードなら十分くらいだろう。
年長辺りから近所を通る幼稚園のバスで通った。
幼稚園は正門を入ると左に砂場や滑り台等の遊具がある。
正面に職員室、保健室等の建物、
右側に教室のある二階建ての建物がある。
その間の廊下の裏に浅くて泳ぐ事も潜る事も出来ないプール。
年小、年中、年長、各三組ずつある。
各組それぞれ花か何かの名称を冠していた。
年小年中は一階、年長は一組が一階、残り二組が二階となる。
私は二階が好きで幸い年長は二階の組となった。
幼稚園の隣は畑となっており山羊が繋がれていた。
今はもう畑は潰され、幼稚園も防犯上か壁が作られ、
久々に見た幼稚園の第一印象は要塞である。
幼稚園は入園試験があり、一人で服のボタンがかけれるか等の単純な物だった。
お泊り会なるイベントがあった。
全員で教室に一泊するのだが、深夜に一人目が覚めた。
怖さは泣く、暗闇の中赤くぼんやり光る壁の非常ランプだかが不思議だった。
絵のコンクールがあり私はピノキオだっただろうか、
海の中の、食道から胃までの鯨の輪切り図、
胃の中にピノキオとお爺さんが居る絵を描いた。
これがコンクールの主催団体の名を冠する賞を受賞し賞状を貰い絵は新聞に載った。
金賞が欲しかったが両親、祖父母に大変喜ばれた。
賞状の他に50色の絵の具も貰った気がする。
この新聞は退色し、まだ実家の箪笥の奥に眠っているかもしれない。
幼稚園の時に祖父が死んだ。
祖父は癌で、何ヶ月か祖父の家の近所の病院に入院していた。
葬儀は祖父の家で行われた気がする。
仏壇の前にフルーツ等のお供え物が沢山置かれていた。
その中に「のりたま」があったのを何故か覚えている。
桐の様な長方形の箱の中に入った祖父。
顔の部分が硝子か何かで見える様になっており、
祖父の顔を覗き込むと安らかな顔をして納められている。
その顔は私に、恐怖、とは違う何か「見てはいけないもの」の様な印象を与えた。
祖父の死に顔は一度しか見なかった。
祖父の思い出は一つしかない。
話によると厳しくもあり優しい人だった様だ。
祖父は園芸を趣味としており、
祖父の家の前に薔薇の花が植えられた広場があった。
そこの薔薇を植えたのが確か祖父であり手入れをしていた。
広場と言っても小さな一戸建てが二、三軒建てれる程の敷地。
祖父の家から自転車で三十分程の所にもっと広大な敷地の薔薇園があった。
ある雨の日、私はそこに連れていってくれと祖父にせがんだ。
雨なので家の前の広場で我慢してくれと言う祖父に、
「こんなの薔薇園じゃない」と私は言った。
祖父は怒りはしなかった。
悲しんでいたのか、どんな表情だったか、その後どんな対応をお互い取ったかは記憶に無い。
あの一言は今でも悔いている。
最近は墓にも個人(故人)の趣向を凝らした変わった物が出て来た。
それでも大部分の日本風の墓は長方体の組み合わせの極めてSimpleな物だ。
欧米ではどうかは知らないが、時々テレビで石版の様な墓石が並んだ墓地を見る。
だが欧米の墓の根強いイメージは縦長の長方体の墓石の上に十字架、
また山手の外人墓地に行けば棺桶型やら何型やら、
墓の形態に統一性は無く面白い、こういう墓地は見ているだけで楽しい。
だだし山手の外人墓地は一般人が立ち入れる場所は狭い区域であり、
こういう墓が広大に広がる墓地の中は何だか空気が騒がしい気がする。
そう考えると日本風の墓は一つではつまらない形だが、
それが大量に並んでいればそのシンプルさ、無機質さに何だか静けさや神妙さを感じる。
最近の墓は宗教的な物から記念碑的な物に変わりつつあるのかも知れない。
夕暮れの墓地に珍しく人が居た。
郊外の住宅地の中、低い山の一部をコンクリートで固め、
車で坂を上り墓地の中の駐車場に停める。
夕暮れの山、眼下には在来線がのろのろと走る。
綺麗に舗装された綺麗な墓地に居る男。
八月十六日
どうも今日は、今日も暑いですね。
どうも、そうですね、この夏一の猛暑だとラジオで言ってましたよ。
それにしても珍しい、ここはきれいで墓も多いのに人に会った事が無い。
えぇ、私もです。
そちらは…お爺さんか誰かで?
いえ、昔の友人です。そちらは?
あぁ、これは父ですよ。なかなかの頑固者でした。
父は雑貨屋を営んでたんですけどね、
近所に同じく頑固な坊さんが居ていつも喧嘩ばかりしてましてね、
ほんと顔を会わす度に両者ガミガミですよ。
近所でも有名な犬猿の仲で、
そんな父もある日ぱたりと死んだんですよ、
余り苦しまず死ねたのは幸に思えますが。
で、私は父と坊さんは所謂喧嘩する程仲が良いだと思ってまして、
父の死の際の色々を坊さんに相談したんですよ。
坊さんは悲しむ様子もなく、
けっ、ようやくくたばりやがったか。
なんて強がってましてね、
ま、特にこれから淋しくなるでしょう、なんて声はかけませんでしたが。
で、戒名を戴いたんですよ、見て下さいこの墓を。
餓鬼院羅刹隠門畜生居士だなんて、
どうやら喧嘩する程仲が良いでなく、本気で喧嘩してたみたいです。
あー、これは父は怒ってるだろうなと思ってたら、
坊さんは日に日に食が細くなり、
父の死後一月くらいでまるで後を追うように死んだんです。
近所では一人死んだ父が坊さんも地獄に呼び寄せて、
まぁ今頃もあの世で二人は喧嘩してるんでしょうね、
なんて笑い話ですよはっはっは。
二月八十一日
部屋に新しい鏡を持って君がやって来た、
机の上、壁掛け鏡のトナリに三面鏡をとりつける。
その鏡には金色の装飾の縁が付いていた。
「なにも鏡の横に並べて鏡を掛かる必要は無いと思うけど…」
「まぁまぁ、いいからいいから」
三面鏡を開くと開く度に生まれる新しい世界。
飛び出す絵本の様な、
心、視覚はメクルメク世界に引き込まれ世界は脳に向かい飛び出す。
クルクルと三面鏡をぱたりと閉じてみた。
大百科事典を閉じる様な適度な重みと感覚が心地良い。
水色のレースに遮られ、三面鏡は姿を消した。
「あれ?此処にあった三面鏡は何処に?」
振り向くと誰も居なかった。
壁には掛かった平凡な鏡がある。
四月某
これは私の死後の光景か。
視界から私は病室のベッドに仰向けに寝ていると判断する。
まるで目の部分が目の形に切り抜かれた木製のお面、
それを被っている様に目の形の穴から病室の景色が見える。
口は動かない、体も動かない。
ドアが開き、白いレースの付いた服を来た親戚のおばさんが来た。
暑いのか正方形に畳んだハンカチを左手に持ちぱたぱた扇いでいる。
おばさんの顔が魚目レンズみたいに近付き広がる。
「これはもう、どうしようもないわねぇ」
おばさんは私の死に顔を覗き込んでいる。
横には背が高く痩せた疲れ顔の白衣の主治医。
「これはもう、どうしようもないです」
十六月ヒトガオ 散ル
それは私が引越す日、電車で二時間離れたピザ屋にピザの宅配を頼んだ。
そんな悪戯をして新幹線で引越し先に向かったのだ。
私の部屋はマンションの五階で、マンションは「コ」の字型をしている。
↓並ぶ部屋
コ←エレベーター・階段
↑並ぶ部屋
真ん中の空間は一階が中庭となっている。
自室で部屋を片付けていた時、玄関で物音がしたので見ると、
玄関のドア横の窓から20代後半くらいの男が青いビニールシートを持ち部屋を覗いていた。
気持ちが悪い奴だな、そう思っていると男はくるりと背を向け、
何の躊躇いも無く中庭に向かい飛び降りた。
「あっ、」そう思うや否や玄関を飛び出し廊下から中庭を見下ろした。
男は中庭で、ブルーシートの上に俯せに倒れている。
血が少し溢れている。
「大変です!誰かっ、警察を呼んで下さい!」
そう叫びながら私はエレベーターに急ぎ中庭に向かった。
私が第一発見者という事で気分は高揚し嬉しかった。
エレベーターを降りるともう住民がざわざわ集まり始め、
管理人が倒れた男に近付き脈や瞳孔をチェックしていた。
私がその方に近付くと、三階辺りから人形の様に女が落ちて来て中庭に叩き付けられた。
今日は人がよく降る日だ。
それから私は友人と待ち合わせ某駅ビルに向かった。
そこであるブランドの服を買いたかったのだが、
幾ら探してもそのショップが見付からない。
確かにある筈なのに何故無いのだろう。
時計を見ると20時30分で閉店時間が近い。
友人が「もう行こう」と言うので諦めた。
エスカレーターで地下一階へ向かい。
そこはターミナル駅のホームになっており、
電車や貨物列車が引っ切り無しにやって来ては去っていく。
注文したピザを積んだ貨物列車が来る様な気がした。
それでも何時までもホームに立ち尽くしピザを待ったが結局来る事はなかった。
六月八日
猫は人語は話せぬが人語を解す。
児童公園に猫が集まる。
そこには猫に屑餌を与える浮浪者の男が居る。
無表情な男はブツブツと、
「いつか俺が餓えたらお前等を食わせろよ」
微かな恩返しを期待しているが猫はそれを知っていた。
七月二十七日
子供の作ったSandPocket
まずい事にうっかり落ちてしまった猫である。
抜け出そうともがけばもがく程駄目になる。
太陽が真上にある。
熱線は垂直にSandPocketの中に、俺に突き刺さるのだ。
しかもこの狭い空間、熱がこもって仕方がない。
この公園の女が掘る地下トンネルのヒンヤリした神秘は微塵も無い。
この狭さ、
高さだけなら軽々跳び出る事も出来なくもない。
だがこの狭さが垂直に跳び上がる姿勢を著しく妨害するのである。
この暑さ、
SandPocketの底は土なのでこれ幸いと暑さ凌ぎにへばり付く。
底の土は辛うじて温度が低く多少心地良くなっている。
だが砂壁は熱い、しかも出ようとする度にパラパラと降り注ぎこぼれるではないか。
これが目や口や体毛の間に入り込みウザったさこの上なしだ。
あまりもがくとせっかくの土の部分が砂に埋もれてしまうから良い策が見付かるまでジッとする。
蟻地獄の中の蟻だ、よくガキのくせに此処まで深く掘ったと感心までしてしまう。
それは暑さで俺がオカシクなってしまったのだろう。
名案を思い付いた。
SandPocketから抜け出そうともがけば砂壁の表面が崩れ落ちる。
すると俺の脚は数センチ砂に埋もれる。
これはつまりSandPocketの深度が数センチ浅くなったという事だ。
だからその数センチの砂を踏み固め土台にし登る。
そしてまた砂壁を崩す、これを繰り返せばSandPocketは次第に浅くなり脱出可能な深さに至る。
だが得策とは呼べない、これでもプライドは高い猫なのだから。
どんなに奇跡の生還をしてもだ、そこにもし万が一仲間の猫でも居れば、見られたら、
この砂塗れの疲れきった汚れた恰好は奴等の大いなる笑いのネタに過ぎない。
この町内における今世紀最大の不名誉だ、ガキの作ったSandPocketに落ち死に物狂いで生還などと。
足元も覚束なく目も不満足な老猫ならいざ知れずこの俺が…
考え方を変えよう、もっとSmartなやり方に。
紳士はいかなる時も焦り墓穴を掘ってはならない、もっと知的でCoolな方法。
人を利用しよう、昼休みのOLでも、近所の人妻でも。
母性本能擽る鳴き声、これは決して懇願の音ではイケナイ、俺を認識されるに足りる声で、
そして楽々と掴み上げられ脱出成功、俺は振り向く事無く「じゃあまた」とでも鳴き何事も無く去って行く。
問題は招かざるガキが招かれる事だ。
奴等は馬鹿だから面白がって俺に砂をかけかねない、最悪のケースは俺を生き埋めにする事だ。
また悪意は無いがそのガキが鈍臭いガキで俺を助けようとしてガキの足がSandPocketにはまる事、
そうなれば俺はガキの片足に物凄い勢いで踏み付けられる。
遠くで仲間の猫達の鳴き声が聞こえる、あの浮浪者が屑餌をばらまいてるのか。
あいつら、俺が居ない事に気付いた様だが心配するどころか陰口言いやがって。
今の所リスクが少ないのはあの浮浪者の男に頼る事かも知れない。
暫くして、猫の鳴き声は消え静かになる。
猫達は居なくなった様だ、猫が散っても男は暫くそこに居る。
チャンスは今だ、男を呼ぶ鳴き声を放つ、足音が微かに近付いてくる。
そして太陽の光が途切れた、男がSandPocketの中を覗き込んでいる。
なんて醜悪な顔だろう。
ここからが賭けだ、奴はいつか俺達を食おうとしている。
今の俺は狩人の罠にかかった狐と同じ、ここからは奴の行動に運命を委ねた。
奴の慈悲か、またはいつか食おうと太らせる、もう少し太らせてみようという奴の欲だ。
奴は俺の後ろ脚を掴みSandPocketから引きずり出す。
俺の体から砂がぽろぽろとこぼれ落ちる。
公園の風景のパノラマが逆さまに映る、ようやく脱出に成功した。
逆さ吊りにした猫を持ったその浮浪者の男はベンチに向かい歩いた。
逆さ吊りの猫は放せと言わんばかりに暴れている。
ベンチの脇には男の大きな黒いバッグが置いてある。
バッグのファスナーを開けると、男は掴んでいる猫をバッグの中に無理矢理押し込んだ。
バッグの中にはその猫の他に何匹もの猫が不自然な形で押し込められて居る。
男は素早くファスナーを閉めると、大きなバッグを抱え、
公園を出て何処かに向かいよろよろと歩いて行きました。
172 :
有為の奥山今日越えて浅き夢みじ酔ひもせず:2006/09/03(日) 14:36:17
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有為の奥山今日越えて浅き夢みじ酔ひもせず ◆Pj.rsagelo
六月十四日
哀れ、哀れ、百万千歩の永旅。
都に着けば得物は腐る。
都の風が懐かしい、頬紅、白粉、白銀珊瑚。
田畑枯れ草もう飽きた。
この世は枯れ草、爛れた夜空。
何処かからの風には、人間の嗅覚では感ぜられない、
微量、極微量の穢れた血の臭いが交じり混んでいる。
朝起きると蝉が鳴いていた。
死にぞこないの九月の蝉が。
耳を澄ますと一匹で鳴いているのが判る。
断末魔の様に叫んでは、発条仕掛の車の玩具の様に、
次第に弱々しくなり遂に音は途絶え世界は無音になる。
やがてまた先程の蝉のやや後方から一匹の死にぞこないの蝉が鳴き、
これも蝉の音はやがて衰え無に吸い込まれてゆく。
その繰り返しで不思議と鳴き声は重なる事は無く、
一匹、鳴き終えては次の一匹とばたばた倒れてゆく。
ばたりばたり、
今思えば位牌のドミノ倒しは不謹慎だった。
畳の上、位牌のぶつかるカチカチと言う音が耳にこびり付く。
あの家は無人だった。
祖母の兄弟の家だっただろうか、多分私が生まれた頃から無人だった。
日本風の家で和室、部屋を囲む様に廊下、縁側があり、
雨戸は穴にネジの様な鍵を差し込む物だった。
ある部屋にはダイヤル式のテレビがあり、コタツがあり、壁の上には遺影があり、
小さな仏壇が中身を隠す様に扉が閉じられている。
家程広い庭には雑草が生い茂り、祖母が時々訪れてはイチジクの世話をする。
夏には郵便受けを開けると郵便物の代わりに蝉の抜け殻が幾つか入っており、
何気なく開けてはグロテスクなフォルムに驚かされる。
あの家に行ったのは中学生の頃が最後だっただろうか。
何故あの家に昔誰かが住んでいた事を想像出来ないのだろう。
今では土地を売り払い駐車場になっていた。
陰鬱なものだ、共存を目的とする夜は。
世間から疎まれ、罵られ、その癖見え透いた偽善を前面に繕う。
夜は虫が騒ぎだす。
仏の神通力とでも言おうか。
人は知り、謎を解き、ペテンを見破って来た。
もはや規格が変わった。
弔川、黒く穢れた川。
野犬や野良猫の死体を此処に棄てていた。
昭和三十年代まで墨田や荒川でも犬猫の死体を川に棄ててたっけ?
ならば都下や周辺県、地方に行けばそう言う風習はもう少し息があったかも知れない。
徳川将軍の世は弔川に罪人を乗せた小舟が流れ、
河原には多くの卑しい人達が暮らしていたらしい。
明治大帝の世になって都市整備が進められるもやがて震災にて瓦解、
また太平洋戦争では地区一帯が焼き払われ多くの者が水を求め弔川に沈み積もったのだ。
河川工事は戦後復興の中で行われ、
弔川の上流から少し川の流れは変えられ、
されど少しとは言え下流に与える影響は大きく、
川幅10メートルはあった川も2メートル程度の細く淀みがちな支流となった、
弔川はそんな中で先の風習を受け入れる羽目となる。
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有為の奥山今日越えて浅き夢みじ酔ひもせず ◆Pj.rsagelo
弔川で死んだ子を知ってる。
今日の様に冷たい雨の夜、その子は動物になった。
許されぬ禁忌、それは優しく残酷な罪だろう。
そこで死ななかったのは彼なりの贖罪と釈明なのだと思う。
例えばいけにえに捧げられた女の子は、
綺麗な衣装に綺麗な化粧だけど、お腹の中は泥だらけだ。
彼は人間を捨て歩き始めたんだ。
傘もさせず。
神様に戴いた四本目の脚を返し、
すれ違う人を数えていた。
この道が地獄なら、指の中の人は幸せになれるだろう。
光が嫌で足を早めた…
弔川の惚橋に差し掛かった所で彼は飲まれた。
まるで羊羹の様な川だ。
幾つもの雨水をその皮が受け止め、
そして吸い込んでいる。
弔川が口を開いた。
彼は空っぽになった。
からっぽのからっぽ
からからから
渋谷の宇田川には地下に宇田川と言う川が流れているから宇田川と言う。
弔川もそんな風に地上の蓋をされ地下に流れる川となった。
だがある一カ所だけ塞がれてはいない場所がある。
その川沿いの住人の反対によって。
そこには中世から賎しい血を受け継ぐ人達が住んでいた。
そこだけgoogle earthで見ると四角く川が顔を出している。
なんていやな色だろう。
まわりの家家もちいさく密集している。
その川の穴は上と下に網目の大きい金網が設置された。
水や小さな物体は流れる。
だがある程度の大きさの物は上に引っかかり、
また穴の中から出ることは出来ない。
卑しい人達は犬猫の死体を弔川の穴に捨てた。
死体には彼らの考えでは肉体と精神であり、
徐々に精神は肉体から剥離する。
肉体は穢れており穴に留まり精神は川の流れと共に流れる。
やがて浄化された肉体は分離し、
結界を抜け流れる事を許される。
気付けばカラスの死体も浮かんでいる。
来年、半年後、来月、
来週の生活さえ予想が困難な人達の自己救済手段。
偽善にも無駄な出費がかかる。
火葬、土葬、急速な弔い。
来るべき未来への死体へのモラトリアムを。
彼等の行為に悪意は無くそこには愛が溢れていた。
川の穴の周囲のその周囲はまるで、
ヒステリックなベジタリアンが食中植物に生まれ変わる事を見せ付けるように、
虫けらな卑しい人達をじりじりと興奮し唾液を口に含ませ狙っていた。
仏に憧れる軽薄な日本人には死の制裁を!