大御所 ○本秀行

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176佐藤萬城 ◆iC.OZH8eZc
今日未明、イランから戻ってきました。このところ、高本秀行先生は、イランで
人道支援に従事していらっしゃいました。

先日の大地震の後、現地の悲惨な状況を耳にされた高本先生は、イランに赴いて
人道支援にあたられることを決意されました。

周囲は翻意を促しましたが、先生のご決意は固く、私は先生をお守りするため、
先生に同行いたしました。
177佐藤萬城 ◆iC.OZH8eZc :04/01/28 13:20
現地に到着された高本秀行先生は、1秒もお休みになられるとことはなく、
直ちに被災地に直行されました。

私たちは、「先生、お疲れではございませんか? 少しお休みになられた
ほうがよろしいのではないでしょうか?」と恐る恐る申し上げました。

すると先生は、「佐藤君、ここでは多くの人が苦しんでいるのだよ。私が
休んでいられる訳が無いじゃないか」とお叱りになられました。

先生は被災地に到着されるとすぐに、レスキュー部隊のかたと合流され、
今後の復旧作業の進め方について協議をされました。
178佐藤萬城 ◆iC.OZH8eZc :04/01/28 13:25
高本秀行先生は精力的に活動されました。瓦礫の下になっている人を
救出するため、危険も厭わず、献身的に行動されました。

また激寒に沈む夜間においては、被災された方お一人お一人をお訪れに
なられ、お声をおかけになるなど、寸暇を惜しんで、活動されていたのです。

この間の先生の平均睡眠時間は1〜2時間程度だったと思います。先生は
主に移動中の車中でお眠りになられるだけで、現地に到着されたあとは、
昼間であろうが、夜間であろうが、些かも休憩をお取りになられることは
ありませんでした。
179佐藤萬城 ◆iC.OZH8eZc :04/01/28 13:29
しかし、高本秀行先生は人道主義者であると同時に世界的な音楽評論家で
もあり、世界は高本先生の音楽的沈黙を黙認することはできませんでした。

私たちはある日、先生に申し上げました。
「先生、そろそろご帰国されては如何でしょうか? 先生の音楽活動を
待ち望んでいる多くの人がいます。人道支援は他の方でもできますが、
音楽評論は先生にしかできないことです」と。

先生は渋っておられましたが、最終的に納得されました。高本先生の
昼夜を問わない献身的人道的活動のおけげで、イランの災害復興も
ようやく機動に乗り出したこともありました。
180佐藤萬城 ◆iC.OZH8eZc :04/01/28 13:32
高本秀行先生がイランを去る最後の夜、現地の住人は、高本先生を送る催しを
開いてくれました。誰もが高本先生を惜しみ、中には先生に取り縋って泣き出す
女性もいました。

翌朝、高本秀行先生を乗せた乗用車が走り出したとき、周囲の子供たちが泣き叫び
ながら、車を追いかけてきました。「行かないで!」と言っているようでした。

誰もが皆、涙に咽ぶ中、高本先生はいつもの爽やかな笑顔で、みなさんにお言葉を
おかけになり、現地を去ったのでした。