今日未明、イランから戻ってきました。このところ、高本秀行先生は、イランで
人道支援に従事していらっしゃいました。
先日の大地震の後、現地の悲惨な状況を耳にされた高本先生は、イランに赴いて
人道支援にあたられることを決意されました。
周囲は翻意を促しましたが、先生のご決意は固く、私は先生をお守りするため、
先生に同行いたしました。
現地に到着された高本秀行先生は、1秒もお休みになられるとことはなく、
直ちに被災地に直行されました。
私たちは、「先生、お疲れではございませんか? 少しお休みになられた
ほうがよろしいのではないでしょうか?」と恐る恐る申し上げました。
すると先生は、「佐藤君、ここでは多くの人が苦しんでいるのだよ。私が
休んでいられる訳が無いじゃないか」とお叱りになられました。
先生は被災地に到着されるとすぐに、レスキュー部隊のかたと合流され、
今後の復旧作業の進め方について協議をされました。
高本秀行先生は精力的に活動されました。瓦礫の下になっている人を
救出するため、危険も厭わず、献身的に行動されました。
また激寒に沈む夜間においては、被災された方お一人お一人をお訪れに
なられ、お声をおかけになるなど、寸暇を惜しんで、活動されていたのです。
この間の先生の平均睡眠時間は1〜2時間程度だったと思います。先生は
主に移動中の車中でお眠りになられるだけで、現地に到着されたあとは、
昼間であろうが、夜間であろうが、些かも休憩をお取りになられることは
ありませんでした。
しかし、高本秀行先生は人道主義者であると同時に世界的な音楽評論家で
もあり、世界は高本先生の音楽的沈黙を黙認することはできませんでした。
私たちはある日、先生に申し上げました。
「先生、そろそろご帰国されては如何でしょうか? 先生の音楽活動を
待ち望んでいる多くの人がいます。人道支援は他の方でもできますが、
音楽評論は先生にしかできないことです」と。
先生は渋っておられましたが、最終的に納得されました。高本先生の
昼夜を問わない献身的人道的活動のおけげで、イランの災害復興も
ようやく機動に乗り出したこともありました。
高本秀行先生がイランを去る最後の夜、現地の住人は、高本先生を送る催しを
開いてくれました。誰もが高本先生を惜しみ、中には先生に取り縋って泣き出す
女性もいました。
翌朝、高本秀行先生を乗せた乗用車が走り出したとき、周囲の子供たちが泣き叫び
ながら、車を追いかけてきました。「行かないで!」と言っているようでした。
誰もが皆、涙に咽ぶ中、高本先生はいつもの爽やかな笑顔で、みなさんにお言葉を
おかけになり、現地を去ったのでした。