ぬっころす

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さて、まず、12歳が4歳を殺害した事件について

いつまで戦後直前の少年法などそのままにしておくのか
他人を殺すことはすなわち自分を社会的に抹殺したも同然
犯人の少年の名前も写真もすべて公開するがイイ
さすれば犯人以外の者の名前もいたずらにさらされずにすんだ
犯人は一生殺人者の十字架を背負って生きていくべきだ
少年法だけにも限らず、精神障害者による犯罪も同じだ
心身衰弱における犯罪とは言え、罪は平等に裁かれるべきである
一生殺人者の名を背負って生きていけ
それで真人間として一生を終えるなら罪も悔い改められよう
しかしまた似た犯罪を犯すならその人間はそれだけの者だったということだ
一生牢獄につながれていろ
とにかく加害者の人権など捨ててしまえ
被害者の人権こそ守られるべきだ
沖縄の中学生殺人について

なぜいまだに「いじめ」などという言葉を使うのか
そんな言葉は誤謬にしかすぎぬ
被害者が受けていたのは「いじめ」などというかわいらしいものではなく
「恐喝」「暴行」といった立派な犯罪である
殺害に追い込んだ者たちはその余罪も問われるべきだ
とにかく「いじめ」などという言葉はもはや使われるべきではない
識者が作り出した加害者への擁護言葉である
「いじめ」の名の下の犯罪を赦すな
しかしそれにしても加害者は人はどこまで殴ったり蹴ったり
もしくは打ち所が悪ければあっさり死んでしまうものなのかということへ対する
認識さえもなかったようだ
あきれ果てるほどの想像力の欠如である

姿は大人、中身は子供そんな人間が多すぎる気がしてならない
自分がこの世で一番賢く強い者だと錯覚している人間も同様
所詮井の中の蛙
そんな者たちが「正義」などという幻想の大義のもとに平気で他者を殺め傷つける
まったく見上げた世界である