果たして敵の正体は何なのだろうか。
イラク=テロリストの言説は、誰がどうやって作りだしたのか。
日本とイラクはいつまでこうやって戦わなければいけないのか。
少なくとも、テロとの戦いは敵の皆殺しで終る訳ではない。
戦い続けるならば、世界人類が消滅しないと終らない。
この戦いは現時点での対処として有効かもしれないけれど、
長い目で見ると自殺でしかない。
彼ら三人の命を歴史や道具として乗り越える努力より、
その事実に直面しつつ、それを生み出した事態にもっとよい解決を…。
なまぬるい風に吹かれて 今、煙の中で…
MATRIXリローデッドで踊り狂うザイオンの人々。
あれが肉体と快楽と生きる喜びの賛歌としての、ハウスミュージックの光景に非常に似ている。
なんて美しい光景なんだろう…。しかし同時に刹那的だという所も、似ている。
でもやはりあれも結局、意図されたものの一部でしか無かったというオチなんだけれども。
一体感は彼ら自身が音とモーフィアスの演説によって、機械への抵抗によって作ったもの。
いかにもアメリカ人にとって解りやすいところだと思う。
現実にはああいう文化は日本にはあまり無く、ニューヨークではかつてゲイや黒人のものだった。
音とマーティン・ルーサー・キングの演説によって、迫害への抵抗によって作り出した一体感。
ナウシカの原作のマンガは、全ての元凶の「意図」を破壊する所までいって「生命」で終る。
アニメのナウシカはキリストで終ったけど、マンガはもう少し複雑になった。
保守的な(内面、もしくは内面と認めたものを大事にするという意味でこの言葉を使う)
人や社会が自らのアイデンティティや文化を声高に叫ぶ場合、
外からの侵略や迫害が、それとの対比においてそれに抵抗すべき理由として提示される事が多い。
抵抗する理由があるとき、コミュニケイションは抵抗となり、外は敵となる。
彼らは抵抗と同時に、内面を際だたせる。
抵抗とその理由は相乗効果をもつ。
そのままでは断絶となり、抵抗は支配か滅亡まで終らない。
イスラムは多様性を調和とする比較的寛容性をもった宗教だった筈なのに、
他からの侵略により自らの内面の神性を鼓舞し、断絶と戦いへの道を選んだ。
原理主義と呼ばれるものは近年、そうやって生まれたものらしい。
イラクは、そうやって彼ら三人を「日本人」というイラクの外へ追い出し、対決する姿勢を見せる。
なりふり構わず対決する姿勢を見せる相手とは、どのように付き合うべきか?
その問題を考えるにはまず、何故彼らは抵抗し、私たちを敵と見なすのかを知るべきだ。
三人を助ける為、もしくは三人が殺されるという事態に対し私たちが取りうる姿勢は、
しっかりと考えてから決めるべき。
(その3)
イラクは厳密なイスラムとは違うだろう。イスラムは偶像を全く認めない。
写真・絵・テレビすら認めない。アッラー以外、何者をも絶対的第三者として認識する事
を認めるわけにはいかないからだ。
人々はアッラーとの関係のみおいて他者と生きるはずだった。
サダム・フセインの独裁を許し原理主義を進め、ヒーローの写真を飾らせるのは
グローバル化への抵抗による内面の極化と理由の強化からだろうか。
もはやアッラーの教えはサダムを越えず、抵抗への理由のために強いリーダーへと、
そして原理主義へと自分たちを一本化し、「外の世界」を迎え撃つ。
テロリストは普遍化に対し抵抗する。いや、普遍化に抵抗する者がテロリストと呼ばれる。
あたかも「文明の衝突」のように、同一のパラダイムに沿って抵抗し打ち勝とうとする。
両方、取る手段は内面の極化と断絶、武力による抵抗理由の殲滅だ。
そういう意味で、「テロリストの根絶」は不可能だ。
サダムを捕まえても、未だにイラクにちょっかいを出し続けるのがそう。
テロリストは絶対概念では無く、普遍性の支配との相対的な概念だからだ。
向こうから見ると、こちらがテロリストに全く相違ないのだ。普遍化のテロリストとして、
このままでは私たちが「日本人」として彼らに殺されるか、
彼らを皆殺しにして服従させるかの手段しかない。
三人の捕まった日本人は、その間で極限まで張りつめたか細い糸のように見える。
トンチンカンなハンチントンの言ったように、パラダイムはたった一つだろうか?
「違うから殺し合う」というパラダイムは正しいのだろうか?
いや、そうではないはず。
(その4)
テロリストは抵抗の理由を持つ。
内面の極化は断絶と抵抗の理由の強度と相乗する。
三人の日本人の死がイラクへの抵抗の強い理由となれば、日本人も内面を極化する。
それは更に断絶を促進させ、イラクへの支配の強度をますます強める。
更にイラクは日本への抵抗の理由をそれに見いだす。
これが終らないテロリズムの循環を生み出す。内面主義は終ることのない敵を生み、
自らの内面を更に強化してゆく。
抵抗の理由・武力を使う理由、内面の極化、対話の断絶は、その全てにわたって
少しづつ消してゆく努力が出来れば、少なくとも流血沙汰を減らせるはず。
それはイラクにだけ求めるのでは駄目で、日本とアメリカに対しても必要なこと。
私のことをこの意見で「左翼」と罵る人がいたら、悲しい。
極左はタテマエしか大事にしない為、結果的に自分たちの内面を極化し周りと断絶する。
そうやって「手段の為に目的を選ばなくなる」点で、極右と同じ穴の狢だ。
本音では、誰もが保守的で良い。だからこそ、「自分の価値観」を守る為にも、
自らのやり方を少しは変える努力を少しはしなきゃ駄目だ。
私はイスラム原理主義やテロリストに殺されたく無い。
保守的な日本人たちにも押しつぶされたく無い。
三人の日本人は否応なく「日本人」を代表してイスラムに殺されようとしている。
アホで危機感がずれてマヌケな日本人が、遠い地で殺されようとしている。
私たちの危機感も、彼ら三人と大差ない。
(その5)
その意味で、くも男さんの意見「一度撤退してみる」というのは面白い。
そのうえでもう一度行ったりして、彼らが求める仕事を与えてみたりして「抵抗の理由」を、
「内面の極化」を、「対話の断絶」を消してゆき、ほど良いバランスで維持してはどうだろうか。
目的が「治安と復興」ならば、文字通りそれの為の努力をすべき。
但し、彼らの意向を少しは考えつつ。無理矢理押し掛けて「自分たちの考える復興支援」を
押しつけるだけならば、「合宿所スレ」の「厨」と変わらない。
それでアメリカへの義理は表向き果たせる。イラクへ行く理由も出来る。
彼らに殺される理由も少しは減る…はず。
まぁ、不況で日本人にすら無い仕事を、イラクにあげてどうするという話もあるけど。
ともかくあの三人について、少しだけ騒ぐ必要はあるという話。
溶け合いながら 探し続ける…?
三人が殺されてどのような人たちが得をするのかと考えてみれば、
ますますあのアホどもを殺させる訳にはいかない!
一番人気:自衛隊撤退せず、三人が殺される →何も変わらず
・朝日新聞、極左 …自衛隊と国に責任をなすりつける口実。
・小泉 …アメリカへの外交カード、日本の保守層への説得力。
・保守政党 …テロリスト根絶の正当化の口実。
・野党 …内閣の責任の追及の口実。
二番人気:自衛隊が撤退し、三人が解放される →少し変わる
・朝日新聞、極左 …自衛隊の撤退を成し遂げる。
・小泉 …左翼からの株を少し上げる。
・野党 …自衛隊撤退に関する内閣の責任の追及の口実。
・捕まった三人 …命と知名度。
・イラク …自衛隊の撤退を成し遂げる。
大穴:自衛隊が撤退せず、三人が救出される →何も変わらず
・小泉 …日本中からの株を上げる。
・保守政党 …テロリスト根絶の正当化の口実。
・捕まった三人 …命と知名度。
うーむ、こうやって並べて見てみると、何かがおかしい。
三人が人質になった事で、死のうと死ぬまいと既に得をする人が何人かいる。
彼らは捕まった時点で道具にされているんだなというのをしみじみと感じる。
あっ、確かに、「全部自衛隊を撤退させる為の芝居・狂言誘拐」という可能性も完全に否定は出来ない。
「手段のために目的を選ばない人」は、自らの身や他人の迷惑など全く省みない。
この先どう進もうと、報道機関と極左は小泉と自衛隊を非難する手段を得たわけだし…。
日本中の注目を集める事に成功したことだし…。
「今年最初最高の釣り」としてのこの事件は、果たして本当のところは誰の手によって成されたものだろうか?
私はここで発言する事で、誰の手の上で踊ることになるのだろうか?
ともかく、三人のうち一人を見たことが有ったこともあり、
少し報道のされ方とか2chで言われてる事が可哀相に思ったので以上の事を書いた。
もう彼らについては、何も言いません。
多分こんなヘンテコな事は、これからも変わらず続いてゆく…。
でもこの何とも言い表せないヘンテコな感覚を忘れたら、私も終わりだ。肝に銘じていよう…。
ああ、「日本人が三人も捕まった」というのは、アメリカへの外交カードには成らない…。
アメリカはたかが三人の日本人などゴミのようにしか思っていない…。
えーい、もう三人の事は語らない!もう十分要らない事まで言った!
∧_∧
( ・∀・) <かっかろーれ♪
(つ つ ♪
(__(_)
♪
∧_∧
(・∀・ ) <ろれろふぁっふんどー♪
⊂ ⊂)
(__(_)
♪
∧_∧
(・∀・ ) <かっ、かっかろーれ♪
⊂ ⊃
(__(_)
♪
∧_∧
( ・∀・) <ろれろふぁっふんどー♪
⊂ ⊃
(__(_)
神ですが何か質問ある?
3行以内で質問してね
738 :
名無しちゃん…電波届いた?:04/04/10 19:13
板違い。
>>737 神ってうんこするの?
あ、一行で済んじゃった!
>>738 ごめんなさいね…電波だから平気で板違いなことしちゃうんです。ニンニン!
かつては、自分が好きなモノを「何故それが好きなのか」全て説明できると思っていた。
「理由探し」にとてつもなく躍起になっていたものだ。
これは〜だから好き、あれは〜だから好き、これはこうだからそこが好き、と。
しかし、幾ら理由を探しても見つからない、好きなものは有った。
やがて、それまでに設定したはずの「好き」な理由が、それだけで間違いだったり、
また更にそれの凄さを知りもっともっと好きになったりする事が多くなってきた。
やはり、その理由はその時点ではそうでも、絶対的なものじゃないという事に気付いた。
それを好きな事をもしくはそれ自体を「理由」に固定してしまうと、
それ自身が見えにくくなり、それと自分の関係が織りなすものを制限してしまう事となる。
「好きな理由」を探すことは、それとの「関係」を発展させる為にある程度必要だとは思うけれども、
決してそれ自体を捉え固定して自己の内側に追いやることのみが「好き」という事では無いと実感している。
ましてや、他の人間を好きな、もしくは嫌いな理由など、たとえ見つけたとしても、
それに相手そのものを決していつまでも押し込んではいけない。
ラス・カサスがインディオを好いた理由がある。
それは、キリスト教徒としてふさわしいからと言われる。
何故インディオがキリスト教徒としてふさわしいのか?
ラス・カサスはインディオの良い(と思われる)面だけしか見ようとしなかった。
それと同時に、彼自身、すべての人間にはキリスト教徒に成りうる潜在性を持つと、
頑なに信じていたからだ。彼はインディオを人間と見ることをしたが、
その「人間」とは理想的なキリスト教徒になりうる人間、という意味でしか見ようとしなかったのだ。
今日では、彼の行為がインディオの社会の殲滅と植民地支配に結果的に荷担したこととなっている。
彼は「好きな理由」だけを見、「それ自体」に理想像を押しつけ、結果的に「それ自体」を見なかった。
相手そのものを「自身の理由」に絶対的に固定してはいけない。
その「理解」は相手と自分の関係をそれ以上発展させる事も難しいどころか、
それは相手を滅ぼしたり、道具としたりしてしまう。
まさに様々な方面に対し気を付けなければいけない。
あぁ、なんてことだ。グーグルで検索してみると、バルトロメー・デ・ラス・カサスは聖人っぽい扱いをされている。
インディオ達の立場を改善させたという行為は評価されても良いかもしれないけれども、
彼の行動は頑迷な一人のキリスト教徒の枠内でしかないように私には思えて仕方ない。
計り知れない「愛」がたとえ有ったとしても、それは彼の中で「キリスト教の神の愛」と還元されてしまう。
「キリスト教の神の愛」はキリスト教徒、もしくはそれに成りうる者以外を救わない。
それどころか、それ以外の神を殺し迫害し滅亡させようとする。
やはり私にはカトリック教徒になれと言われても絶対に嫌だ。
嫌な理由はいろいろあるけど、嫌な理由も(少しは)好きな理由も述べ尽くせないし、
そちらの方面からのお叱りが来たりすると面倒くさいのでやめる。
宗教はある程度普遍化された「考え方」なので、どんどん理解してもよいとは思うけど。
理論には前提が必要で、その理論ではその前提と理論自体は疑えない…か。
理論はその前提を疑ってここまで進化して来たのかな。
自分も「理論」をさらに先へ進めるなら、その前提を理解し、疑っていかないと…。
ま、ここは電波板だから、好きなようにやるけどね。
「ストレッチマン」と「ピタゴラスイッチ」
自分なりの連絡所みたいなのがないのでここに書こうと思ってた事。
でも金曜に旅行行っちゃったので書きかけだったのを貼ってみる。スレ汚しすまん
>>720 なるほど、と思いました。
国内世論が賛成せざるを得なかった理由として9.11の後に日本のメディアは北朝鮮という
面白国家に対して脅威を抱きだした訳ですけど、その直前に隣国をつついて騒がせたのもアメリカな訳で
「なんかが北から来たーとかなっても守ってやんないかもしれないし守るかもしれない」
ともブッシュから言われたのではと妄想してみた。
>日本の場合、ちょいと特殊で「わかりやすさ」にそれが求められる(
>>508)
「わかりやすさ」の前提としてそれに付随するイメージが重要で、強い物とかillな物なんかの
主に精神的に依存できる物じゃないかなあと。
で
>>719で言われる彼等にとってのそれは思想とか理論だったんじゃないかと。
世間におけるタブーだったり情だけで動いてる物への反発のような。
そしてそんな反発してる自分に自信が持てるのでは、と。書いてこの妄想の通りなら
お坊ちゃま君の作者が言ってた事と同じ理論だと気付いた。(私が)(いまさっき)
一応自分の心情は左だけど、セクトの”全てを曲解してでも利用する”、みたいな信条が気に入らず、
色んな法案が通ろうとも大声でNOを言った瞬間に、”あの素晴らしい(サマーオブ)愛をもう一度”な
デモをやりたいだけの人々に利用されるのではというパラノイアに犯されており、
無関心を装う事しかできませぬ。ただ利用される事を恐れだすと
>>696で言われるような事が
頭にジャストで浮かんでくる。いや来てた。
昔、夜の取り締まりが強化されて、オートマが警察に踏み込まれて潰れた頃
「今日この店入るらしいよ」みたいな噂が流れて”なら警察踏み込むまでの間存分に楽しんでやれ”みたいな
日があったけど、今はどうなんだろう。と先々週末、夜中の道玄坂に溢れる若者達を見て思った。
小箱が小箱として残こり、今のマーケットとしてしか機能してないシーンとは別な
パーティピープルによるシーンが出来れば良いんだけど
マーケットはほぼ6時-1時のディスコタイムで手を打つんだろうなぁ、、、、
自分は単に夜遊びがしたいだけなのだろうか。
>>745 イロイロ考えてみようとする姿勢の人は大好き。歓迎します。
私が問題だと思った「わかりやすさ」について、ちょっと書きます。
何かに依存するのは行きすぎだけど、何かに「部分的に依拠」することは様々な行動をする
上で、有る程度必要な事でしょう。
そこで、何かに依存したり依拠したりする場合、どのようにその何か(例えば付随するイメージ)
を認識しつつ行動できる(聴ける)のかが、自分と「それ自体」との関係で重要となります。
(その関係から、好きになる、買う、真似する、DJで使う等という様々な事が生まれます。)
イメージは、自分で掴むしかありません。
それについて何を掴んでも大体自分のイメージでしか無いんですが、
例えば「強い物」とか「illな物」のイメージがどのように「強くてill」なのか、
果たして本当にそれは「強くてill」なのかどうか、更に、「強さやillさ」とは何なのか、
そのイメージ(強さやillさ)はやはり、自分が感じて聴き取るしかありません。
(DJの場合はそれと同時に、他人に聴かせてどうかというのが求められるんですが。)
「沢山の買い手が求める(強さやillさ、その他の)イメージ」を作り手が固定してしまい、
それに迎合した作品作りと、そのイメージを買う前から聴く人に植え付けやすい宣伝を
大々的に行うことで、それを聴く人一人一人が本当は持つはずの、
自分が聴く上で(依存したり)依拠したりするためのイメージを掴む機会、
つまり「聴くことの重要性」が、
日本のオーバーグラウンド(あえてこう呼びます)HIPHOPシーンでは売る側も聴く側も
その相乗効果のようなもので結果的に疎かにしてしまっているように思います。
なので、自分で「俺は強い」とか「illだ」とか言ってるものや、表層的にイメージを掴みやすい
ものばっかり認識され、そればかり作られ、結果的に重要視されちゃってる文化というのは
どうかなぁ、と思ってちょっと皮肉な言い方をしました。
そういうのに依存しちゃってる困った人達もいるので…。(-人-)ナームー...
映画「モジュレイション」で、Surgeonがプレイしている時にパーティで逮捕者が出、
無理矢理お開きにされてしまうという場面があった。
なんともはや。
その場面の、客がSurgeonを呼ぶ声と音を止めるSurgeonの悲しそうな表情が
いまだに頭から離れない。
いろいろなものが少しづつ、私たちが共に築いてきたものを蝕む。
かつての「レイヴと呼ばれたもの」の残骸は、もう残骸でしかない。
極左が”全てを曲解してでも利用する”ように、日本では未だにレイヴの残骸が
市場に利用されつづけ、どんどん腐ったものが生み出されている。
私たちの築いてきたものも、やがて確実に残骸となる。
それに対抗するだけじゃ、意味ない。
対抗もまたいずれ、取り込まれ利用される。
なら、発酵させちゃえ、と私は思っている。
残骸もそうでないものも自分で作ったものも全部一緒くたに、自分と友で選んで並べる。
シーンとはいつも、そうやって1から作り上げていくものなんじゃないかと思う。
ハコが一つも残らないのは困るけど…。
これからは夜も昼も遊びも無い時代。どんどん考え、何かをしましょう。
私は幼い頃、小さなキリンの縫いぐるみに恋をしていた。
恥ずかしい話だが、それを毎晩抱きしめて寝た。
どんなにつらい事があっても、どんなに恐ろしいテレビを見ても、
それと共に布団に入ると安心して眠れた。
しかしその小さな恋愛対象は、やがて大人達の不思議な理論によって奪い去られた。
未だに、何処へ行ってしまったのか見当もつかない。
何故か、現在でも私の夢の中の恋愛対象は去っていく役柄として描かれつづけている。
今は、古いキャラクターの描かれた小さなガラスのコップが愛おしくてたまらない。
どんなに疲れて帰っても、そのコップで麦茶を一口飲めば、一日を終らせることができる。
そのコップはガラスで出来ている。ガラスで出来ている以上、落とせば壊れてしまう。
最近になって、それを失うことが何故か途轍もなく恐ろしく思えてきた。
こんな考えが脳裏をかすめる。
不安定になっている私の心は、そのコップが壊れると同時に砕け散ってしまうのでは無いだろうか…?と。
750 :
あしたば@別のところ:04/04/13 20:26
何かが根本的にずれている気がする。
たぶんそれがプロトコルとあの人が言うものなんじゃないかと思う。
プロトコルの設定なんて、どんなに頑張っても所詮、全部自分もちなんじゃないかと思ってしまう。
その証拠に、あの人は自分に興味の無い知識を全て「どうでもいい雑学」と割り切り、
他人のことを「無神経」と臆面も無く言い、
私が書きたかったところと全く別の所に全く関係の無い意図を無理やり設定して皮肉っぽくかつ簡略に一文を付け加える。
(「マイマイカブリ」に捕食されるものとして蝸牛を設定しただけで、雄雌は付属の言葉。性差の脱構築なんて
最初から全く考えてもいなかった。)
「蟲」が複雑に動くことを目的として他人に自分のもつ理想像を当てはめ、
構造に「沈黙」が「強制される」なんて言っちゃってる。構造が沈黙を強制したって、あの人は何でも言うことが出来るはずなのに。
所詮構造は構造でしょう。
その構造の隙間からこぼれ落ちるものが大事なんでなかったっけ?
他人を無理矢理、構造や理想像そのものに当てはめて自分の目的に沿わせようとするのはどうかと思う。
自分と親交を持つ人以外の周囲の人が皆「ど真ん中」に見えるなら、自分ばっかり無神経じゃないように思えるのも
仕方ないかとは思うけど。他人の言葉を全て意味があるように取ったり、また意味が解らないと文句を言うのもうなずける。
・・・まじで4階から飛び降りようと思った。
でもこれが遊びでしかないなら、これでも一応楽しんでるので遊びとして受け止めようと思う。
この「ずれ」を埋めていく、埋めようとすることが「プロトコルを設定する」ことなら、頑張ろうかとは思う。
「ちゃんと読もうと」してくれているのは嬉しい。
「ど真ん中の人間」の詳しいニュアンスが知りたい。あの一レスだけでは、まだ全然掴めない。
やられた!釣りだったのか…。
というか、私をこんなに苦しめて、死にたくなるほどに追いつめておいて、
それで「蟲」が活性化したからよかった、と言える(かもしれない)のが恐ろしい。
この「あしたば」というキャラクターとすれ違ってばかりいるあの人のキャラクターが、
どのように互いの言葉を読んでどこまで接近(この言葉を使うのは間違いかもしれないけど)
していけるのかが興味あるので、中の人は野暮ったく続けるけど。
私はマゾじゃないけど、ある程度の苦しむ覚悟はしている。
ここに書き考えることは、絶対に自分にとってプラスになる確信があるからだ。
どうぞ鞭でぶってください、女王様。興味が続くかぎりね。
挑発に乗っちゃったのは、そこまでアレな言い方をしてくる人とは思えなかったからだ。
一度はもう、何を言っても無駄かと思った。
でもそこまで唯我論的な人でも超越論的目的論なアッパラパーな人でもなさそうに見えるので、
まぁ続けて大丈夫かなぁ…?とは思う。
いらだたせたら御免なさい。私は釣りなど、一度も意図してやったことは無いです。
ともかく、「無神経(ほんとに意図は無い)」ところにばかり噛み付いてこられたので、
ちょっと(相当)困っていたところ。
「文字通り」読んじゃうクセがあるのかな、私には。
ともかく意図してやったことのない釣りに誰かが釣られつづけていることに無自覚なのは、
私は「無神経」という事の証明だな。
ちくしょう、カッコで括って無いだけで、そういうふうに書けるというだけの「例」だったのか。
もう死んでもいいですか?女王様。
もうだめだ、死ぬ。
それもわざとか
何を言っても殺される
この荒れはてた研究室を見てくれ。
私が壊したんだ。
ははははは
ははは
おいおい奴はヘビー級のキチガイなんだぜ
私はそのキチガイに憧れる。
言ってる事殆ど納得できるんだよ不思議と。
2ch用語で言えば「空気嫁」といわれてるという事だろうか。ニュアンスは大分違うけど。
でも私が何を言っても無駄なようなのでそれについて直接言わない。
想定される相手の真の意図たち(想定することは社会的帯域のようなものに従うが)
その帯域を無理矢理狭めたり拡げたりして(だいたい別でしかない)ベクトルを持たせたりして、
普通そうやって言葉のニュアンスは話し手の中で設定され、パロールが伝達されると同時にその受け手がその語に持つ
意味は取捨選択される訳だけど、大概の人はそれを無自覚にやってて、すれ違ったり誤解しあったりしている。
言葉やその他のコミュニケイションはそれでも一番近い互いのニュアンスを比較的近いベクトルに沿わせられる方法。
私が言葉に託す多義的ニュアンスは殆どあの人のファイアウォール(私の意図たちの確率の強引な割り振り)
で85%くらい遮られてしまっているようなので、やっぱりすれ違っちゃっている訳なんだけど、
(あの人が私の文を「よりよく読む」努力をしているという事で相殺されてるようだ)
どうやら私ばかりが無神経で、その言葉の多義性に無自覚のように見えるらしい。
どうぞ私を無神経と罵り下さい女王様。
「釣りだったのか!」というあの一文に込めようとしたニュアンスは伝わらなかった。当然だろうけど。
ま、当然だろうな。片方は無神経な人間、片方は真性電波なんだから。
イメージは、自分で掴むしかない。正にその通りだと思います。
で>>745での自分の発言が言葉数足らなかったと思ったので、弁解させていただきます。
自分としては大衆に受け入れられやすい物の中の例の一つとして挙げたかったんですが
後につなげ易くするために大雑把に書いてしまったため確かに「判りやすさ=強くて悪」になってますね。
別にそうでなくても、”ファッション”、”地域性”、”お洒落”、”かわいい”、
”パフォーマンス(ダンス、アート、性格、テレビに出る人間のオフの日密着、etc)”とかでも
全然かまわないです。
最近この国の中で起こる全ての事象ががあいつらの仕組んだイメージ戦略に見える病にかかってます。
スポーツの中継の都度使われる”感動”の大安売りとか、ニュース番組からブレークする音楽とか、
食い物とか、店とか、ギャルオ・B-ボーイ・2ちゃんねらー=手の付けられない悪っていうイメージとか、
全てが100均並というか予定調和的すぎる生活を見せ付けるためのというか。
普段はあいつらの演出を見つけては笑ってみているけれどたまに、神経質すぎるほどのマーケティングリサーチの中で
贅肉全てを削ぎ落とした上で特殊加工し初めてパッケージ化される製品しか作られないこの国を憂う事もあり、、
イメージは自分でつかむしかないんですが自分はまだまだ表層的な部分しか世の中見れてないようです。
自分の思う事となんかずれている気がしたり「判りやすさ、イメージ」について説明になってない部分
多々あれどこれで良しと思い書き込みボタンを
そんなあいつらの中にも色々な思惑があるはずですが
ごめんなさい。確かに、単純に「判りやすさ=強くて悪」という訳ではないでしょう。
強くてillで解りやすいものの中にも、途轍もなく凄いものもあると信じます。
その図式は数え切れないほどの思惑や偶然のたったひとつの結果にすぎないと捉えています。
何が悪かなんて、もうそこまで簡単に判断できないと。
イメージすらつけられ無いところに、「本当に恐ろしいもの」があるように漠然と感じます。
何かを仕組むこともせず、企むことすらせず、いろんな思惑をこともなげに踏みつぶすものが…。
脱構築批評を形容する際、「あげ足取り」と言う事があるかもしれないけど、
「あげていない足」すら取れるのが脱構築の凄さの一つなんじゃないかと思ったりした。
なるほど、そんなことされたら構造なんてたまったもんじゃないな…。
サイズがやばくなってきた。
ともかく、当たり前(のように見え)すぎる事は逆に見えなくなるという話。
当たり前というのは自分の世界そのものなんだけど、
多分、私の話の進め方があの人の気に障ったんじゃないかと思う。
すでに解っているふりをして他人の話をどんどん取り囲んでいってしまうというか…?
沈黙を強制される構造というのはそのニュアンスに近いだろうか。
他人の思惑とかけ離れた言葉の意味を全部、予定調和させてしまうというかなんというか。
その結果言葉のもつはずの多義性も飛んでくる電波も蟲もみんな殺してしまう。
ともかく目標地点が全然違ったことから起きた結果なんだと思うけど。
あの人は自分で、私がやった事と同じ事を例としてやって気付かせようとした?
とか思ったり、思わなかったり。ムキになってみたり、コーヒーを17杯飲んでみたり。
多分そのニュアンスは否定されると思う。
何度も言い換えを試みるだけの精神力は今の私には無いけど。
今日は疲れた。死んだように寝る。
寝れない。心臓がバクバク言ってる。
>>767 >他人の思惑とかけ離れた言葉の意味を全部
…意味がわからん。
言い直す。
「他人の思惑など関係なしに言葉もそれもなにもかも引っくるめて全部、予定調和させてしまう」
構造。
ともかく、人間の作った構造は殆どが妄想で出来ていて、
人間の作ったものだから簡単に(自分の中だけでは)壊せるんじゃないかと思っている。
沈黙は行為だし、強制されるとかなんとか無いと思う。
これも否定されるんだろうなぁ…。
これでももう殆ど語ることも断定することも出来なくなるほど追いつめられてるんだけど。
何もかも真っ暗になってきた。ありがとう。
あの人には感謝こそすれ、怒りはない。
どうぞ捕食してくださいな。味なんかカスも無いけど。
あんたの予定調和なり何処へなりと、どんどん連れて行って下さいませ。
もみじもみじもみじもみじもみじもみじもみじもみじもみじ
私の頭をちぎって半分あげようか?それとも右手の人差し指のほうがいいかな?
生け贄は自分の一番大事な物。
そうでないと、何の御利益もありませんよ。神様が受け取るという確証なんて全く無いけど。
それが全てを構造改革する前に、どこからどこまでが本気なのか。
「∞」
そうか、私たちは神にとって家畜以下の存在なんだな。