これからは品質工学

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391774ワット発電中さん
>>388 昔を幾分か直接に体験した年寄りとしての思い出話だが、太平洋戦争に突入する直前、すなわち、
小学校が国民学校と改称される直前 (1940頃) は日本の国力が充実した時期で、その頃の小学校の、
とくに、算術は、教科書も授業もみごとだった。尋常小学校5年生まで、それで学び、6年生を楽しみにして
いたが、国民学校初等科6年生 (1943) になり、教科書も 「初等科算数6年生」 に変わってしまった。

それまでは匂いも無かった軍国主義が算数の教科書にも隅々まで入り込み、内容にうるおいも色合いも
柔軟さも無くなり、応用問題は爆撃機の時速と往復する時間との関係とか、おもしろくなくなった。
尋常算術6年生の教科書には天文・暦象の本格的な計算があることを偶然に知ってとても楽しみにして
いたが、その授業を受ける機会は無くなってしまった。そのことはそれからずっと残念に思っている。

初等科6年生 (1943) のとき、海軍航空隊を見学に行ったことがあり、出撃してゆく予科練の人たちだった
ろう、白色の事業服姿で何人かが空き地で何かを燃やしていて、その中から本を2−3冊投げてくれた。
その1冊を手に入れて、あとで見たら 「海軍算術教科書巻之三」 で天文・暦象の計算問題やら説明やら
あり、大切にしていたが、都市計画の住宅移転なんかで亡くしてしまった。やはり、とても残念だ。

戦争とそのあとの高度成長とでいろんなものを失ない、軍国主義の匂いが無く自由のかおりのあふれた
昔の 「尋常算術1年生−6年生」 も、みごとだった 「海軍算術教科書巻之三」 も、今、手元には無い。
しかし、数理科学の基礎は、案外、そのあたりにあると思う。どこかで保存されているとよいのだが。

そういう昔の優れたものは、がつがつした利益優先ではなく、純粋に学術に徹すれば結果は自然について
くる、という精神のゆとりがあった。あの敗戦のあと、そういうゆとりはもう一かけらもない。皮肉なことに、日本を
占領した連合国軍最高司令部 (SCAP: Supreme Commander of Allied Powers) の民間情報教育局 (CIE:
Civil Information and Education bureau) の図書館にそういうゆとりがあり、随分、お世話になった。
別の話だが、江戸期・明治期の攻玉社なんかの数学・測地・暦象の書物にも重要なものはあると思う。