ニコン不買か 新宿ニコンサロン「慰安婦」写真展3

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358−記憶せよ−(母1)
>>324の追加話
捕虜になれない戦争は、原則として捕虜を取らない戦争でもあった。
もし捕虜に子供が混じっていたとしても……
(以下、文春文庫『昭和史裁判』で教わった話。↓)

維新の石原慎太郎氏の奥方の典子氏の戦死した父は、日中戦争の前線から母宛に
75通の手紙を出していた。なかにはこんな文面も含まれていた。
《……捕虜にした敗残兵の中に妻子を連れた兵がおりました。子供は二歳ぐらいの
乳飲み児です。母親も当然銃殺にせねばならぬのですが、そうすれば従って子供も、
ということになります。……中隊長の反対を押し切り、命乞いをしてその母親と
乳飲み児は助けて貰うことにしました。…… 戦争とは、かくも無慈悲なことを
やむを得ずせねばなりません。捕虜も軍刀で首をはねたいとか、銃剣で突きたい
希望者もおりましたが、すべて一斉射撃で処分しました。……このようなことは
私たち兵隊さんの日常の茶飯事ですから、「戦争は罪悪なり」という言葉にあて
はまるわけです。東洋永遠の和平確立の大目的に対してまた微々たる事柄です》
(*石原典子『君よ、わが妻よ』文藝春秋 2010 頁175-176)(2へ)
359−記憶せよ−(母2):2014/02/27(木) 23:19:30.67 ID:hs8cgsWX0
典子氏は、上記を公開すべきか迷ったそうだ。最初は事実を受け入れ難かったし、
祖父のことで孫まであらぬ非難を受けたら、という思いもあったとか。
しかし、《このつらい体験のなかから父が、「戦争は罪悪なり」という重い言葉を、
導き出したことを思えば、やはりこれをなかったことになどできないと思い至り
ました》という。          (*石原典子『君よ、わが妻よ』頁180)
母が父へ送った最後の手紙−−受け取り人が戦死して送り返された−−には、
父親や自軍兵士はもとより、敵の犠牲も少ないように祈る言葉が添えられていた。

典子氏は大病して母の残した手紙を本にすることを決めたという。平和の時代に
子供を育てられた彼女は、いま孫たちの未来を案じていた。大丈夫なのだろうかと。
米国の州兵が海外の戦場に送られる姿に、父の姿を重ねながら。

>>346(亀レス)
>日系人が米国で大変な嫌がらせにあってるそうだが、それをニコンは支援
支援してるのは慰安婦展を妨害した諸君と思うぞ。
アンネの日記に唾吐く諸君を放置すると自国民を危険にさらすからドイツは……。