アンネの日記を横目にユダヤを離れ、
>>330>>332を捕捉しとく。
先の戦中派世代のお爺さん氏は「東京裁判」が開かれたこと自体に憤慨する。
《二十世紀の世界はいろいろな過ちを犯してきた。そのなかでも東京裁判は最大級の誤りで
あり、汚点である。……勝者が敗者を思いのままに断罪した。…… 近代法の精神に根本的
に反している》 (**『おじちゃん戦争のこと教えて』頁150-151)
似た発言を、昭和天皇のご学友で「大喪の礼」の祭官長をつとめた永積寅彦も残していた。
《……連合軍が……一番に手をつけたのが戦争犯罪人の摘発ということであったのです。
……国と国との戦いで、戦勝国が敗戦国を裁くといったことはまことに不合理のことのように
思われました。……戦勝国と敗戦国との間にも、国際法に則って戦争の終結をはかるべきで
あったのに、マッカーサーというお方はこうした国家として守るべき法律というものをご存知
なかったように思われるのです。……アメリカという国が歴史の浅い国だから、こうしたことを
ご存知なかったのかもしれません》(*調寛雅『天皇さまが泣いてござった』教育社 序文より)
お爺さんも伯父さんもそれはチガウ。一次大戦の前と後では状況がまるで違ってた。
(ユダヤの9-4へ)
東京裁判に怒る戦中派は、しばしば【戦争を外交の延長】とみなす。よって勝者が敗者を裁く
のは不当とみる。だが、それは一次大戦前の古い認識だ。歴史検証を怠った日本では、多くの
人が戦争観が激変した事を自覚できていない。その変化は日本も当事国として立ち会っていた。
拙
>>332で触れた如く、日本をふくむ一次大戦の戦勝国はドイツのカイザー・ウィルヘルムを
戦争指導の罪で訴追していた。日本は当初、訴追に抵抗した。将来の戦争で、全軍を統括する
大元帥の天皇が訴追されるおそれがあったためだ。……しかし、結局は訴追に加わった。
勝ったとき裁く側に身を置き、負けた途端、不当だと騒いでも通用しない。
あえて一次大戦後の、戦争を外交の手段として認めない「パリ不戦条約」には触れないが、
当時の指導層で戦後裁判を回避できると夢見た者は皆無だろう。だからこそ、敗戦が確実と
なった1944年6月以降も降伏できなかった。 (*『昭和史裁判』文春文庫 頁329)
第一、ドゥリットル爆撃の事後法による米兵処刑に際し、米はラジオ放送で「必ず責任者を
裁く」と宣言していたし、ポツダム宣言にも明記されていたではないか。
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ttp://matome.naver.jp/odai/2136232117008395701(ポツダム宣言外務省訳全文)
後日の(ユダヤ9-5へ)