「従軍慰安婦」は実在した─ニコンサロンに証拠写真

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418代理屋
>>412氏へ(>>413-414>>417補足)
朝鮮を植民地にするには、日本は段取りが必要だった。国際法上、非難され
ないよう体裁を整える必要があった。
というのは、20世紀に入ると(ボーア戦争以降)、「植民地」は作りたくても、
簡単に作らせてくれない国際情勢がうまれてたんだ。
それは1917年、教員相手の講演で、柳田国夫(民族学者&外交官&政治家)が
述べた言葉で理解できる。(※旧字は新字、一部かなに開いた)

《我々が何よりも残念に思ふことを露骨にいへば……》列強は《……無理な事を
してもよかつた時代に既に無理をしてしまつた……。二十世紀となりては、たと
え無主の国土または蒙昧な……島々などがあつても、これだけは私の分などとい
つて占領したらたちまち軍国主義の批難をうくべし》
     (千葉徳爾『負けいくさの構図』平凡社1994 頁257より孫引)
《……近くは南亜(※ボーア)戦争の頃までも、英人は無理な言いがかりをして
よその地を侵してゐる。しかし残念ながら、もうやつては悪いといふことになつ
た》 以上。       (千葉『負けいくさ……』頁259)(後日に続)