美しい風景写真は、「美しい写真」かもしれないが、それは現代美術ではない。
それは、単に写真だ。個人的に売ることはできても、アート市場で市場価値はない。
「アート・フォト」とは、その作者(キューレーター、ギャラリーのように
作者以外がすることもある)が、その写真をどう見てほしいか、を提案することだ。
その写真の新たな意味づけた。現代において、新しい価値観の創造。美の創造だ。
美しい風景写真は、誰でもすでに認知している「美」だ。
だから、ファインアートになるわけはない。そこには主張がないから。
現代美術はあるいみ、言葉とくっついている。それは決して、
自分の作品を評論するという意味ではない。
そうではなく、提示した写真を、どう見てほしいか、明確にすることが、コンセプトなのだ。
ファイン・アート・フォトグラフィは、制作した写真を、どう解釈、どうみてほしいのか、
作者が明確にすることなのだ。
それを見る側にゆだねたら、それはもう、現代美術ではなく、ただの写真だ。
誤解してほしくないのは、「写真」が悪いわけではない。写真が写真であることは、
まったく間違っていない。
しかし、オリジナルプリントを売るというときに、そこにはファインアート市場という、
システムが厳然とあることを、知らなくてはならないことだ。
それには、写真をどう見てほしいのか、作者は明確にする必要がある。
そしてそのコンセプトがオリジナルでなければならないということだ。
by横木安良夫
http://alao.cocolog-nifty.com/the_eye_forget/2005/05/post_08d0.htmlより引用