そりゃ劇場が違う
642 :
踊る名無しさん:2011/04/25(月) 08:03:16.82
顔・スタイルがいい踊れるダンサーみたい…誰か教えてぽん
643 :
踊る名無しさん:2011/04/25(月) 10:05:20.64
コンテは、芸術的創造分野だから、
単純な「何でもあり」とは異なり、大衆的あるいは通俗的な表現は
評価に値しない。
「個人的には」と明記しておけよ。あんたの評価軸なんてあんた自身のものでしかないんだから
645 :
踊る名無しさん:2011/04/25(月) 16:13:00.27
>>644 おれの意見じゃないから
決め付けるなよ、頭のゆるいヤツだな、お前は。
アホとアホの会話や・・・
頭が固くて頭がゆるい。
背筋を伸ばせば腹が出て。
まっしろけっけのけむりむしー
648 :
踊る名無しさん:2011/05/11(水) 01:31:22.99
おいお前ら!!
Googleのロゴがなんとマーサグラハムだぞ!!
要JavaスクリプトON
「様式美という名のマンネリズム、即興という思いつき、こういうもの
は私のダンスには無い!
・・・というから観にいったのにただの思い付きをどっかでみたような
ステップで動いて見せるだけ。看板に偽りありとはこいうことですな。
その点わたくしはバレエの技術を駆使し客席との掛け合いで表現をしている。
わたくしこそ注目されてしかるべきですな。
大口叩く奴でろくなの見たことない。
>>649 つぎいつどこで踊るか書いてみな。時間が合えば、見に行ったげる(関東限定)
133 :踊る名無しさん:2011/02/05(土) 14:01:06
外国のものをそれほどたくさん見たわけじゃないけど、確かに日本では
身体の訓練もよくできていないような人が私小説的な心象表現をして
「ダンサー」を名乗っていたり、ドタバタ喜劇みたいな集団も
「ダンス集団」と言っていたりしますよね。
以前日芸の洋舞科の公演を見たことがありますが、ダンスというより
演劇を感じる作品が多かったような。
芸大にも音楽学部音楽環境創造科に身体表現のプロジェクトがありますが、
明確な方向性もなくダンスのトレーニングもどれほどやるのかあいまいで
せいぜい個人のための身体表現の追及という感じで、世の中にむけて
何かを発信ししようという感じではないですね。
それにしても、バレエコンクールの「モダン」とか「現代舞踊」
に出てくる踊りって、どうしてみんなあざとい情念の世界を踊るようなものが
多いんでしょうか?(特に女性)
クラシックがファンタジー系だから、その対極としてああなってしまうんでしょうかね?
ツマンネ
昔、私の友人のピアノ弾きが、トラで河内音頭の伴奏を頼まれた時期があった。
私は河内音頭と言えば、昔の鉄砲光三郎さんくらいしか知らなかったが、色々あるという。
それぞれの違いは、節回しが少し違うらしい。
もちろん、その違う節回し、つまり、ニュアンスの違いがそれぞれの生命線的価値なのだ。
その世界の人、その世界のファンであれば、節回しの違いにうっとりしたり、逆に「やっぱり○がいいわ」となるのだろう。
しかし、全くそれを知らない人にとっては、よく分からない。
「あんまり変わらないけど、そんなに違うの、だからどうなの」ということになる。
私自身もそれを聞いて、へえ〜そんなものなのか、と思ったことがある。
それぞれの世界の中には、そういった微妙な違いを「明らかな違い」だとして、それぞれに付加価値を作り出している。
もちろん、それは間違ったことではない。
その世界ではそのことが存在理由になるからだ。
同じような事がダンスの世界にもある。
特にコンテンポラリーダンスの世界には「変わった動き」という価値観があるようだ。
その変わった動きというのは、ヨーロッパではクラシックバレエが、ダンスの基礎や基本になっているが、話を簡略すると、そのバレエ以外の動きが高じて「変わった動き」という事になっているのだ。
しかし、変わった動き、そのものが目的になった時、それはダンスと呼べるものなのか、という大問題が浮かび上がってくる。
ヨーロッパでは、コンテンポラリーダンスというのは、ダンスという括りではなくパフォーマンスという括りになりつつあるという。
それはそうだろうと思う。
「変わった動き」を目的とした時、それこそ変わった動きコンテストのような様相を呈してくる。
だから、一挙にアカデミックなダンス(この場合はバレエ)界以外の人達がなだれ込んでくる。
それが極端化すると、昨日まで事務の仕事をしていた人、絵を描いていた人、全く芸術とは無関係の人。
とにかく多種多様な人達がその世界になだれ込み、変わった動きを目指す。
というよりも、ダンサーではないのだから既に変わった動きなのだ。
別の角度から見れば、それらの人の変わった動きとは、稚拙な動きでもあるのだ。
しかし、それを稚拙な動きとは評せず「面白い」と、無責任に自分自身の成長していない主観でものをいう人も少なくない。
もし、その「面白い」と評した人が、有名な人であれば、その稚拙な動きを「面白い=価値がある」と、烏合の衆は誘導される。
そうなると、確かに変わった動きではあるが、舞台としての質がとんでもなく低いものも舞台に現れる。
それは、一過性の舞台としては、成立するかもしれないが、舞台に歴史を創っていくことは出来ない。
また、成長していない主観とは「面白い=興味深い」と「面白い=滑稽」「面白い=一過性のものとしては」という意味の使い分けが自分の中で出来ていない人のことだ。
大方がそうだ。
それが今のコンテンポラリーダンス界の現状だ。
しかし、ここで見方を逆転させると、観客は「変わった動き」だけを本当に見たいと思っているのか、がある。
もちろん、観客に迎合する必要など全くない。
しかし、いずれにしても観客を感動という武器でノックアウトする必要はある。
でなければ舞台表現という相互関係は成立しない。
つまり、観客から入場料を貰う、その見返りという関係が成立しないということだ。
冒頭に戻るが、それぞれの河内音頭の節回しの差異は、知らない人にとってはさほど分からない。
つまり、違いは分かっても、質的に横並びに聞こえるということだ。
もちろん、河内音頭の場合は、それぞれに伝統がありファンがおり、表現としては立派に成立している。
ただ、知らない人にとっては、というところの例として扱っただけである。
そういったところで、コンテンポラリーダンスの世界を知らない人にとっては、変わった動きというけれど、何一つ質的に変わったものはない、ということなのだ。
そこにこころの感動など湧き上がる筈も無い。
そこで、違いを出す為に舞台装置や照明を工夫する。
もちろん、それも舞台表現として大切な要素だ。
しかし、それら付属物を取り払った時、そこに見える動きや身体は、観客に幻想を見せさせるような、こころを震え上がらせるような、高度な質をもっていない。
舞台装置の工夫は大事だ。
そこに必然があれば、という話だが。
大方が、道具の為の道具でしかない。
それは家電製品と同じで、一度家電の便利さを覚えると、もっと便利なものという欲求が生まれる。
しかし、欲求している自分自身は、欲求のレベルは高くなっても、生活は何一つ変わらない。
それと同じなのだ。
スイッチを押している自分は、家電が便利になったからといっても、何一つ向上していないのだ。
あるいは、全く別のジャンルの有名な人と共演する、という手法を取る。
それ自身が相当興味深いものであれば、つまり、相互に優れた芸術性を持ち合わせているのなら、そこに起こることが予測不可能な素晴らしいものになるだろう。
しかし、それも大方が「面白い」の履け違いで、何も起こらない。
ただ、そこに、つまり、舞台で異種の人が一緒にした、というだけなのだ。
656 :
踊る名無しさん:2011/08/04(木) 00:50:21.19
大分以前に、能だったか、狂言だったかの人と、コンテンポラリーの若い人がコラボをしたのを見た。
明らかに舞台での在りようが違う。
当然、舞台では何も起こらなかった。
身体の違いが赤裸々に表出されていたから、表現しようとしているものなど素っ飛んでしまったのだ。
それを知らないダンサーだったし、製作スタッフだったのだ。
つまり、そこに関係性など存在していないのだが、舞台では同じ時間が経過される為、面白いコラボだったと評されていた。
大方の評論家など、その程度のものなのだ。
その混沌さが、観客の劇場離れ舞台離れに繋がっているのだ。
ヨーロッパでは、サーカスの方に客は流れているという。
それはそうだろうと合点がいく。
サーカスは単純にやっている事が面白い。
例えば、定番の綱渡り等、何をするか分かっているが、その事自体の難易度が高いので、スリルがある。
相当単純なレベルで感動できる。
と、エンターティメントの殆どを備えているから、そちらに流れて当然だ。
もっと、根本的な事を言えば、観客を楽しませる為、という大前提が明確にあるのがサーカスであり、そこが欠落しているのが、コンテンポラリーダンスなのだ。
もちろん、観客に迎合することではない。
観客と対峙することが抜け落ちているのだ。
もっと根本的には、ダンスという核を持ち合わせた人など、皆無だということだ。
だから「変な動き」に価値を持たせるのだ。
コンテンポラリーダンスの振り付けや制作をする人、そしてダンサー達はここまで考えて、観客に感動を贈られるような舞台を創って欲しいものだ。
長文乙
ふだんダンス見てない人?
ちょうどd-倉庫でいろいろやってるから、それを全部見てからもういっぺん書いてね
でも まぁ部分的に一理はあるよね。
質の悪い「コンテンポラリーモドキ」も多いから。
そういうのに比べると、徹底した訓練を行う古典芸能や
観客を喜ばせることを目的にしたエンタメの方が ずいぶんとましに思えるもの。
うん、動きの質の訓練なくして見せ物にはならないんだが、キッチュなことやって見せて
コンテだの舞踏だのと自称する連中が多い。バレエみたいにトレーニングメソッドが
確立されてるわけじゃないから、身体性の高い人を発掘できる割合も低いしねえ。
そうかと思うとNoismみたいにストイックなところまで行っちゃったりして、極端な業界だ
>>659 > キッチュなことやって見せてコンテだの舞踏だのと自称する連中が多い。
だからそんなの、もうないって。
今はワークショップや大学でテクニックを叩き込まれた人たちが主流。
>ワークショップや大学でテクニックを叩き込まれた人たち
あはは、んな短期間に踊りを見せる身体ができれば苦労ないわ
誰が短期間って言ったの?
663 :
踊る名無しさん:2011/08/17(水) 03:07:15.62
664 :
663:2011/08/17(水) 03:10:51.90
665 :
踊る名無しさん:2011/08/22(月) 15:10:52.82
創作ダンスって、
お化け屋敷みたいなセットや衣装でコンテやってるだけで、
舞台や衣装の創作性は派手だけど、ダンス自体の創作性はゼロに等しい。
もう少しマシな曲使えばいいのに
どうも日本でダンスを好きだという人の言葉は信じられない。
特にコンテンポラリーダンス界の人は信じられない。
普段の素振りに「ダンスが好き」が見られないからだ。
フォーサイスカンパニーや、NDTの人達を見ていると、何気ない日常の中にもダンスが身体から見える。
だから、「本当にダンスが好き、身体を動かすのが好きなのだな」ということが伝わってくる。
もちろん、それと表現が素晴らしいかどうかは別だ。
しかし、ダンスを好きだという身体がある、というのは基本的なことだ。
だから、そんな人達に「ここをこすればもっと、自分の思うように出来るよ」とアドバイスするのは楽しい。
その一言で、色々と工夫をするからだ。
自分の場に対しての工夫だ。
だから、どんどん声をかけたくなる。
そして、声をかけて欲しいと身体が言っているのが分かる。
それに引き換え、ダンスを好きだとは言っているが、それが身体から見えない人は、
声をかけて欲しいという身体ではない。
逆に声をかけていらないと、拒否をしている感じがする。
私はそれに反応して声は出て来ない。
それってどういうことだろう、と何時も思う。
多分、ダンスを好きだと「思っているだけ」なのではないか、ということだ。
何故なら、好きであれば色々と工夫をする筈なのだが、それが見えないからだ。
直ぐに飽きてしまうように見える。
あるいは、どうしていいのか分からないように見える。
どうして?どうも言葉というのは曖昧でいけない。
「ダンスを好き」という言葉を、どのレベルで用いているのか、そこが見えないからだ。
共通言語としての、恐ろしく中和された「ダンスが好き」なのだろう。
コンテンポラリーダンスって独りよがりじゃない作品もありますか?
コンテは自作自演でレフェリーなしに好きなことをやったり、踊る身体も、テクニックも持たないのに
平気で人前に立ったりしますからねえ。他人には受け入れがたいものであることが多いですね。
でも、いっぱい見てると漠然と評価軸ができてきて、共感できるさくひんやダンサーにも巡り会うし
センスの良し悪しも見えるようになると思います。
何をもって「独りよがり」というか、個々人にもよるよね
99人が独りよがりだと思っても、振付家と同じ感性の人が1人はいるかもしれないしw
とりあえず日本にやってくる海外カンパニーは
そこまで「独りよがり」ではないよ
それなりに取捨選択された結果として、来日してるわけだから
最近はあまり来ないけど、今東京ならダンストリエンナーレやってるし
フィルム上映なら安いから色々見てみれば?
676 :
踊る名無しさん:2012/10/05(金) 18:09:43.17
東京ダンストリエンナーレどう?
久々にローザンヌコンクールをテレビで観ました。
昔観ていたころはクラシック部門しか興味が無かったのですが
今回コンテンポラリー部門の方が断然面白かったです。
…なぜか最近コンテ観るのが好きになってきました。
…踊りの好みが齢とともに変わっていくことって
ありますか?
678 :
踊る名無しさん:2013/05/14(火) 05:22:05.50
ホナガさんってどうですか?
>>677 バレエ一通り見ちゃうと、踊り自体は「またこれか」ってなもんだもんねえ。
よほど優れたダンサーなら引き込まれもするけどさ。
680 :
踊る名無しさん:2013/05/15(水) 02:58:21.58
681 :
踊る名無しさん:2013/11/07(木) 02:24:32.80
マチルド・モニエ行った人いないか?
東京公演、他の用事とかぶっていて行けそうにないのだが
無理やり用事をぶっちぎろうかと思案中
定義づけを突き詰めると意識の問題に帰結するからアレだけど、
>>682のはバレエの語法から全然逸脱していないんだから、バレエ作品だろ。
コンテンポラリーダンスと呼ぶのは無理があるぞ。
しかし屋上にリノ敷くのは大変だったろうな。浮き床敷き詰めたりしてそうだしな。
最近、川村美紀子さん、つべで知った。面白いダンス。
685 :
踊る名無しさん:2014/07/26(土) 17:53:58.96
バレエの語法から逸脱するところが全然ない。下ネタを下敷きに受けを狙ったバレエ作品。
ダンス的にまったく面白くない。つまんないです。
687 :
踊る名無しさん:2014/07/27(日) 14:53:46.16
観る人の感性によって、感想は対立して当然だわw
688 :
踊る名無しさん:2014/09/01(月) 09:17:39.60
ゲイジュツは
大勢から批判されてナンボ
大多数の人が同じところで感激したり心揺さぶられる舞台の不思議
690 :
踊る名無しさん:
麩菓子水溶液洗剤ピルトイレ番組ニューヨークリベンジバック最終話林檎問題パック中学産責任野枯れエレベーター派閥編集長拒否きゅうり副クブララーメン宅備読流収艦携帯災難問題
麩菓子水溶液洗剤ピルトイレ番組ニューヨークリベンジバック最終話林檎問題パック中学産責任野枯れエレベーター派閥編集長拒否きゅうり副クブララーメン
麩菓子水溶液洗剤ピルトイレ番組ニューヨークリベンジバック最終話林檎問題パック中学産責任野枯れエレベーター派閥編集長拒否きゅうり副クブララーメン
福岡大学駐車近代クラブ独立ラーメン
アリババ工場会長ぱんらーめん