一人暮らしの無職 205人目

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893名無しさん@毎日が日曜日
軍の手先の女衒が、「女中にするから」等と言葉巧みに娘を買い、慰安所に送り込んだ。
狙った村で娘買いが捗らないと、「目標達成」のために軍が関与、強制連行したのだ。
他に、占領した村の略奪品の一つに女性を従軍させたと証言した元兵士は、何人もいる。
「証拠があれば認める」というのは卑怯な逃げ。敗戦後、日本軍は前線においても、それらの証拠を何日もかけて燃やし続けた。
従軍慰安所が私設だと信じ込んでいる方に「知りたくない事実」をお教えしよう。
後の総理大臣を務めた中曽根康宏海軍主計中尉が、「私が慰安所をつくってやった」と明言している。
https://twitter.com/asaikuniomi/status/334292338585268225/photo/1
中曽根氏は、顔写真付きでこの本(1978年刊)に「 23歳で3千人の総指揮官」と題した一文を寄稿している。
https://twitter.com/asaikuniomi/status/334293753412063232/photo/1
慰安所が公設ではなく風俗であったと言うが、これこのように中曽根氏までもが、自らが関与したと書いている。
あの頃、慰安婦問題が話題に上っていなかったから包み隠さず書いてしまったのだろう。この本の編者がでっち上げたとは聞いていない。
中曽根氏の寄稿には後日談がある。その後、この本が「外国人特派員協会」で問題にされた時、苦し紛れに
「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」と中曽根氏は言い逃れを図っていた。
文脈から明らかに女性を置く慰安所だが、それで言い逃れられると思ったのだろう。
ところが一昨年、高知市の平和団体が、防衛省の公開した資料(1962年に防衛庁が作成)から、
「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」「主計長の取計で土人女(原文ママ)を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」との
当時の海軍技師の証言を見つけた。主計長とは、中曽根康宏氏だ。