ゴーレムからの提言
・「子作り」とはどういう事か。
よ く 考 え て く だ さ い。
生まれた子供はどういう目に遭いますか?
また、どんな目に遭う可能性がありますか?
想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。
また、親の想定外の幸福も有り得ますが、
想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。
・「自分の子に限って…」とか「ウチは大丈夫」とか…。
本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。
・全ての苦痛は生まれる事によって生じます。
悲惨な状況を色々とイメージしてください。
生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。
・子供が悲惨な目に遭った時。原因は誰にあるのでしょうか。
どんな場合でもハッキリ言える事は、
親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。
親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。
この問題から逃げないでください。
・子供が欲しい方へ。
何故子供が欲しいのか、よく考えてください。
考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。
作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。
それなら人が子供を作ることに文句言うなよ
ゴーレムの主張(テンプレ最重要レス!)
子作りは2つの意味で博打である。
一つ目はまんま、「子作り=博打」。
即ち、親の目的は己の利益。利益を得られるかどうかは運に依存する。
賭け物は子供。
要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。
賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。
賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。
(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)
二つ目は、「人生=博打」。
即ち、子供の人生がどうなるかは博打的要素(運)に依存する。
生まれた子供は博打に強制参加させられ、
勝てば(運が良ければ)幸福な人生を。
負ければ(運が悪ければ)苦痛に満ちた人生を送る。
(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)
子作りとは、この2つの博打を別々に行う事と理解して欲しい。
この博打の性質として、一つ目の博打も二つ目の博打も常に絶えず打ち続ける事になる。
その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である。
まとめると、
己の利益を求めて親が子供を作る。
その子供は「博打人生」に強制参加。
せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。←この一行が「主張」にあたる
『子供への思いやりが無いからこそ子供を作る』
子供を作る事を決定するのは両親である。
そして、実際に交尾をして作るわけだ。
では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、
とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。
交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、
親は子供が幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。
可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、
親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。
その辺は理解出来るよな?
例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ。日本人の男女が子供を作る場合、
その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップルが子供を作る場合、
そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えばこの世では、病気、障碍、事故、犯罪、災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。
子供を作る者は、当然の事ながら
「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」
と思って子供を作るわけだ。
子供を作るとは、そういう事である。
「子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険を子供に「無理やり」背負わせるのだ。
子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである。
『子作りは子供への死の強制である』
つまり子作りは殺人であるという点について。
別に法的な話をする気はない。
出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。
生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。
事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。
人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから」子供は死ぬ。
出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。
人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。
だが、親はその時期に子供が死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事が出来ない。
そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。
考えるタイプの人はそもそも恋愛すらできないよね
理屈っぽい人は嫌われるし
『つまり…』
「人生(子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。
この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。
それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。
わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、
そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。
「子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。
しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」についてはこのスレで批判します。
ありがちなクソレスに対するあらかじめの反論
・クソレス
何を不幸と感じるかなんて子供の主観次第では無いのか。
どんなに悲惨な状況であっても
それを幸福に感じる子供も居るかも知れないだろう。
・ゴーレム
その通り。逆に言うならば、
どんなに恵まれた状況であっても
それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。
「子供が不幸になる可能性」とは、
子供が置かれる環境に対しての言葉では無い。
子供の主観が不幸を実感する可能性を指した言葉である。
日本の少子化を止めるため私も子供を作って貢献したい!
・クソレス
幸福と不幸を同等に扱え。
・ゴーレム
このスレで幸福と不幸を同等に扱う必要は無い。
「不幸」に焦点を絞っているスレなのだ。
このスレで言っている事を一言で言うと
「子供が不幸になってもいいの?」という事である。
「幸福への可能性もあるけど不幸になる可能性もあるよ?」という事である。
子供が不幸になる可能性は確実にあるし、
何を不幸と思うかも子供次第だし、
子供が幸福より不幸を重視するようになるかどうかも子供次第である。
どんな子が生まれるかわからない上に、生まれた子がどうなるかも全くわからんのだ。
親は、子供に対してあらゆる幸福と同時にあらゆる不幸を容認しているのだ。
親が子供の幸福を容認し、望んだりするのは私でもわかっている。
同時に親はありとあらゆる子供の不幸を容認しているという事なのだ。
親自身はそれに気付いているだろうか?
親がこれに気付いているかどうかがこのスレに於いては最も重要なところだ。
子供を作ることは生物の自然な姿
・クソレス
子供を作らない事もエゴなのではないか。
・ゴーレム
エゴですよ。
子供を作らない場合、
自身のエゴによって子供が不幸になる事は無い。
子供を作る場合、
自身のエゴによって子供が不幸になるという事態が起こり得る。
あなたは子供が自分のエゴの犠牲になる事を容認するのか?
このスレではそういう話をしているのだ。
・クソレス
まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。
・ゴーレム
「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。
本人の主観に依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである。
強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である。
絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。
つまり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。