30代職歴なしでもなれる看護師 14

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483名無しさん@毎日が日曜日
頭の中の思考を整理しよう

看護学校教員、高校生、20代前半の目線で考えること。
彼らが学力では一般平均人より少し劣っていると仮定して。もちろん劣っている。

さて、彼らは学力がかなり低い。学力が高い人に対して特別な何かを抱くだろう。

一体どういうモノサシで進路を考えているかを考えてみよう。

彼らは新橋でそこらへんを歩いているサラリーマンの高校時代よりもかなり学力が劣っている。

そんな彼らは看護学校に対して、看護大学に対して、進路に対してどう思うか。

彼らは頭が悪いことをコンプレックスに、看護大学への特別な思いがある。

一体どんな思いか。

彼らにとって、看護大学とは、学力が高い人が目指すべきものという意識があり

看護大学は神のような存在に見えてしまうのだ。

看護学校の教員達も彼らのように、看護大学に対する特別な思いがある。

彼らの思い描く、頭のいい人という図式は、出来る人=看護大学へ行く人という式が成り立ってしまうのだ。

したがって、大卒者が看護学校を受けるとなると、特別な違和感を生じてしまうのだ。
484名無しさん@毎日が日曜日:2011/03/23(水) 05:46:39.66 ID:n4gEpuCm
これに対し、とりわけ社会経験、人生経験のある20代後半〜30代で
学力が高い人というのはどんな目線で看護学校を考えているのか。
マーチ以上の学力のある人の目線で考えてみよう。

彼らにとって、看護大学というのはたとえ看護大学校や順天堂、慶應看護医療であったとしても
それらの大学は明治学院、成城、成蹊、武蔵大学よりもやや低いといった感覚でしかない。

看護学校を目指している高校生や看護学校教員、20代前半の人達と意識が異なるのはこの点だ。
彼らにとって、看護大学というのは頭のいい人がいくような大学であり、看護というモノサシだけでしか
考えられない為、周りが全く見えていない。

ところが、マーチ以上の学力のある人はあらゆる学問の領域から難易度を捉えられる為、看護大学というのは
彼らにとって、看護大学校は明治学院以下で滑り止めにもならないような大学とでもしか思っていない。

では、何故彼らは看護大学ではなく看護学校を受けるのか。
社会人経験をしている者は特別な事情がある。
金銭的な問題と年数によって看護学校を選んでしまう。
授業料や生活費などは自分で負担しなければならない為だ。
また、学校へ進学するのは正看護師の資格を取る為だけの手段としか思っていない。

彼らにとって、看護大学の難易度どころか、そもそも大学など眼中にないのだ。
モノサシの狭い看護教員、高校生、20代前半の彼らが思うところの
「学力が高いなら看護学校へ行けばいい」という考えが生じてしまうのは彼らの狭い考え、偏見によるものなのだ。
おまけに彼らは金銭の心配はまったくない。親が全て負担してくれる為、何も考える余地などない。

鳥瞰して見る事が出来る社会人経験者の大卒者にとって、看護大学へ行くような選択肢はさらさらない。
たとえ学力でははるかに上回ろうとも。
485名無しさん@毎日が日曜日:2011/03/23(水) 05:50:38.06 ID:n4gEpuCm
訂正
「学力が高いなら看護大学へいけばいい」という考えが〜