303 :
名無しさん@毎日が日曜日:
ウツなおまいら。おまいらの苦痛は薬で多少麻痺するかも知れんが消えはしないよ。
なぜなら周りが言うような、思い込みでも妄想でもなく
この世に実在するグロテスクな絶望や恐怖を人より多く見つけ、あるいは体験して
普通の人より多く知ってしまったんだ。気づく事は能力でもある。
繰り返す。おまいらが見た恐怖は実在する。生き残れた暁には見ないで済んでる奴らより一枚上手だという事を覚えておけ。
そしてガクガクと震え、腰が抜け
朝も恐怖で起きて行けないだろう。よくわかるよ。
けれど、その終わりそうもない長い長い無限ループの中で
絶望しても絶望しても止まらない心臓に気づき
自分の中の”生きて行こうとする無意識が望もうとする希望”とそれに
向かって行く武器になる”ほんのわずかな自分の良い所”を見つけることだろう。
その武器はドラクエに例えるならば、ヒノキの棒のような誰からも褒められない貧相なものかもしれない。
しかしゲームでもそうだったように、少しずつ少しずつ強くなり武器をアップグレードして、いつしかロトの剣になっていたように
替えて行けばいいんじゃないかと思うようになる。
「例えたどり着かなくとも、心臓が動く限りやってみた。」ただそれだけでいいじゃないか。
304 :
名無しさん@毎日が日曜日:2009/03/19(木) 11:01:13 ID:F6b1ZP+b
人間関係で見たグロテスクな恐怖を知る者は、「人を裏切るまい」とするヒノキの棍棒を手にしている。
病気でみたグロテスクな恐怖を知る者は、「弱いものを見捨てまい」とするヒノキの棍棒を手にしている。
あるいは、誰にも持てない、おまいのオリジナルのヒノキの棍棒を手にしているかもしれない。
レールの上で、本物の恐怖を見ずに 親や教師から言われた安全策を怠らなかっただけの者達は
それはそれでシアワセだが、中途半端な武器で満足して
漠然と不安から逃げる「老後の生活資金溜め込みゲーム」では勝利するかもしれないが、もっと大事な心の冒険では自分の宝物を見つけ出すまでには至らない可能性が大きいだろう。
漠然とした不安から漠然と逃げつづける「老後の資金溜め込みゲーム」だけに生きるか?
おまいの答えはNOだろう。
おまいは不安にとどまらず、実在する恐怖や悲しみに目をこらしてしまった。
今は倒れ込んでいるが、放っておいてもいつか起き上がる事だろう。今は信じられんだろうが。
考え抜いたおまいらはその時、不安から漠然と逃げる為だけのゲームには興味が湧かない事だろう。
心臓が止まるまで、何か価値のある事をしたいと思うだろう。
そのときこそ、今は信じられない「食う為に働く」という事が出来るスイッチがおまいの中で静かにONになるよ。
だから今は心行くまで倒れておいで。