ココイチのカレー 11杯目

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785カレーなる名無しさん
731 :カレーなる名無しさん :2006/06/18(日) 20:35:59
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786カレーなる名無しさん:2006/06/22(木) 18:08:23
731 :カレーなる名無しさん :2006/06/18(日) 20:35:59
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787カレーなる名無しさん:2006/06/22(木) 18:08:57
731 :カレーなる名無しさん :2006/06/18(日) 20:35:59
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788カレーなる名無しさん:2006/06/22(木) 18:12:30
李氏朝鮮は、国の体裁をまったくなしていなかった。
今日、韓国では誰もが不思議に思うことなく、李氏朝鮮を振り返って、「ウリナラ」(わが国)という。
しかし、李氏朝鮮は中国の属国であったうえに、内でも国家の体をなしていなかったから、とうてい国(ナラ)
と呼べるような状態になかった。
李氏朝鮮は両班のためだけに、存在していた。両班は支配階級であったが、自らの繁栄だけを求めて、
民衆を文字どおり容赦なく収奪することに専念した。両班は勤労を蔑んだから、体を動かして汗を流すことを忌み嫌った。
両班たちは李朝500年を通じて、酸鼻をきわめた党派抗争に耽った。いったい、李氏朝鮮はどのような『国』だったの
だろうか?驚くべきことに李朝末期の19世紀末になると、両班が朝鮮の人口の半分を占めるようになっていた。
韓国の学校教科指導書に、李朝時代を通して、両班と常民の人口比率が、どのようなものだったのか、推定が載っている。
それによると、李成桂が太祖1年(1392)に李朝を創建した時には、両班が2〜3%、
常民以下が98%〜97%を占めていた。両班と常民の間にはさまれた中人は、かなり後になってから生まれた。
そして、1700年代には、まだ両班が5%に対して、常民が59%という比率だったのが、
1800年代に入ると両班の人口が増えて、両班と常民が半数ずつになった。
ところが、1900年代になると、両班が65%を占めていた。(後略・・・)

四方教授による大邱(テグ)の「戸口帳簿」を中心とした身分別人口分布の研究『身分別人口分布・単位% 』
  
  年度       両班    常民   奴婢・その他 計(人口・人)
1690年      7.8   49.5  43.1   100(13,913)
1729〜32年  14.8   52.8  32.4   100(15,266)
1783〜89年  31.9   52.2  15.9   100(12,300)
1858年     48.6   20.1  31.3   100(13,195)

【李氏朝鮮の体制】
http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/kaikyu.html
789カレーなる名無しさん:2006/06/22(木) 18:13:55
李氏朝鮮は、国の体裁をまったくなしていなかった。
今日、韓国では誰もが不思議に思うことなく、李氏朝鮮を振り返って、「ウリナラ」(わが国)という。
しかし、李氏朝鮮は中国の属国であったうえに、内でも国家の体をなしていなかったから、とうてい国(ナラ)
と呼べるような状態になかった。
李氏朝鮮は両班のためだけに、存在していた。両班は支配階級であったが、自らの繁栄だけを求めて、
民衆を文字どおり容赦なく収奪することに専念した。両班は勤労を蔑んだから、体を動かして汗を流すことを忌み嫌った。
両班たちは李朝500年を通じて、酸鼻をきわめた党派抗争に耽った。いったい、李氏朝鮮はどのような『国』だったの
だろうか?驚くべきことに李朝末期の19世紀末になると、両班が朝鮮の人口の半分を占めるようになっていた。
韓国の学校教科指導書に、李朝時代を通して、両班と常民の人口比率が、どのようなものだったのか、推定が載っている。
それによると、李成桂が太祖1年(1392)に李朝を創建した時には、両班が2〜3%、
常民以下が98%〜97%を占めていた。両班と常民の間にはさまれた中人は、かなり後になってから生まれた。
そして、1700年代には、まだ両班が5%に対して、常民が59%という比率だったのが、
1800年代に入ると両班の人口が増えて、両班と常民が半数ずつになった。
ところが、1900年代になると、両班が65%を占めていた。(後略・・・)

四方教授による大邱(テグ)の「戸口帳簿」を中心とした身分別人口分布の研究『身分別人口分布・単位% 』
  
  年度       両班    常民   奴婢・その他 計(人口・人)
1690年      7.8   49.5  43.1   100(13,913)
1729〜32年  14.8   52.8  32.4   100(15,266)
1783〜89年  31.9   52.2  15.9   100(12,300)
1858年     48.6   20.1  31.3   100(13,195)

【李氏朝鮮の体制】
http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/kaikyu.html
790カレーなる名無しさん:2006/06/22(木) 18:15:12
李氏朝鮮は、国の体裁をまったくなしていなかった。
今日、韓国では誰もが不思議に思うことなく、李氏朝鮮を振り返って、「ウリナラ」(わが国)という。
しかし、李氏朝鮮は中国の属国であったうえに、内でも国家の体をなしていなかったから、とうてい国(ナラ)
と呼べるような状態になかった。
李氏朝鮮は両班のためだけに、存在していた。両班は支配階級であったが、自らの繁栄だけを求めて、
民衆を文字どおり容赦なく収奪することに専念した。両班は勤労を蔑んだから、体を動かして汗を流すことを忌み嫌った。
両班たちは李朝500年を通じて、酸鼻をきわめた党派抗争に耽った。いったい、李氏朝鮮はどのような『国』だったの
だろうか?驚くべきことに李朝末期の19世紀末になると、両班が朝鮮の人口の半分を占めるようになっていた。
韓国の学校教科指導書に、李朝時代を通して、両班と常民の人口比率が、どのようなものだったのか、推定が載っている。
それによると、李成桂が太祖1年(1392)に李朝を創建した時には、両班が2〜3%、
常民以下が98%〜97%を占めていた。両班と常民の間にはさまれた中人は、かなり後になってから生まれた。
そして、1700年代には、まだ両班が5%に対して、常民が59%という比率だったのが、
1800年代に入ると両班の人口が増えて、両班と常民が半数ずつになった。
ところが、1900年代になると、両班が65%を占めていた。(後略・・・)

四方教授による大邱(テグ)の「戸口帳簿」を中心とした身分別人口分布の研究『身分別人口分布・単位% 』
  
  年度       両班    常民   奴婢・その他 計(人口・人)
1690年      7.8   49.5  43.1   100(13,913)
1729〜32年  14.8   52.8  32.4   100(15,266)
1783〜89年  31.9   52.2  15.9   100(12,300)
1858年     48.6   20.1  31.3   100(13,195)

【李氏朝鮮の体制】
http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/kaikyu.html
791カレーなる名無しさん:2006/06/22(木) 18:16:38
李氏朝鮮は、国の体裁をまったくなしていなかった。
今日、韓国では誰もが不思議に思うことなく、李氏朝鮮を振り返って、「ウリナラ」(わが国)という。
しかし、李氏朝鮮は中国の属国であったうえに、内でも国家の体をなしていなかったから、とうてい国(ナラ)
と呼べるような状態になかった。
李氏朝鮮は両班のためだけに、存在していた。両班は支配階級であったが、自らの繁栄だけを求めて、
民衆を文字どおり容赦なく収奪することに専念した。両班は勤労を蔑んだから、体を動かして汗を流すことを忌み嫌った。
両班たちは李朝500年を通じて、酸鼻をきわめた党派抗争に耽った。いったい、李氏朝鮮はどのような『国』だったの
だろうか?驚くべきことに李朝末期の19世紀末になると、両班が朝鮮の人口の半分を占めるようになっていた。
韓国の学校教科指導書に、李朝時代を通して、両班と常民の人口比率が、どのようなものだったのか、推定が載っている。
それによると、李成桂が太祖1年(1392)に李朝を創建した時には、両班が2〜3%、
常民以下が98%〜97%を占めていた。両班と常民の間にはさまれた中人は、かなり後になってから生まれた。
そして、1700年代には、まだ両班が5%に対して、常民が59%という比率だったのが、
1800年代に入ると両班の人口が増えて、両班と常民が半数ずつになった。
ところが、1900年代になると、両班が65%を占めていた。(後略・・・)

四方教授による大邱(テグ)の「戸口帳簿」を中心とした身分別人口分布の研究『身分別人口分布・単位% 』
  
  年度       両班   常民   奴婢・その他 計(人口・人)
1690年      7.8   49.5  43.1   100(13,913)
1729〜32年  14.8   52.8  32.4   100(15,266)
1783〜89年  31.9   52.2  15.9   100(12,300)
1858年     48.6   20.1  31.3   100(13,195)

【李氏朝鮮の体制】
http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/kaikyu.html
792カレーなる名無しさん:2006/06/22(木) 18:18:18
李氏朝鮮は、国の体裁をまったくなしていなかった。
今日、韓国では誰もが不思議に思うことなく、李氏朝鮮を振り返って、「ウリナラ」(わが国)という。
しかし、李氏朝鮮は中国の属国であったうえに、内でも国家の体をなしていなかったから、とうてい国(ナラ)
と呼べるような状態になかった。
李氏朝鮮は両班のためだけに、存在していた。両班は支配階級であったが、自らの繁栄だけを求めて、
民衆を文字どおり容赦なく収奪することに専念した。両班は勤労を蔑んだから、体を動かして汗を流すことを忌み嫌った。
両班たちは李朝500年を通じて、酸鼻をきわめた党派抗争に耽った。いったい、李氏朝鮮はどのような『国』だったの
だろうか?驚くべきことに李朝末期の19世紀末になると、両班が朝鮮の人口の半分を占めるようになっていた。
韓国の学校教科指導書に、李朝時代を通して、両班と常民の人口比率が、どのようなものだったのか、推定が載っている。
それによると、李成桂が太祖1年(1392)に李朝を創建した時には、両班が2〜3%、
常民以下が98%〜97%を占めていた。両班と常民の間にはさまれた中人は、かなり後になってから生まれた。
そして、1700年代には、まだ両班が5%に対して、常民が59%という比率だったのが、
1800年代に入ると両班の人口が増えて、両班と常民が半数ずつになった。
ところが、1900年代になると、両班が65%を占めていた。(後略・・・)

四方教授による大邱(テグ)の「戸口帳簿」を中心とした身分別人口分布の研究『身分別人口分布・単位% 』
  
  年度       両班   常民   奴婢・その他 計(人口・人)
1690年      7.8   49.5   43.1   100(13,913)
1729〜32年  14.8   52.8   32.4   100(15,266)
1783〜89年  31.9   52.2   15.9   100(12,300)
1858年     48.6   20.1    31.3   100(13,195)

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