最終的に鳥山の強い要望で連載は終了したが、巨大になりすぎた本作は、連載を終了させる事もまた大仕事であった。
関係各社のトップ会議と上層部による経営判断により、関連企業の株価・業績・株主などへの影響を
可及的に小さくする様々な配慮と対処を重ねた上で、ようやく連載を終了させるという複雑な手順を
決定しなければならなかったのである。これは、日本漫画史を見渡しても前代未聞の事態であった[9]。
なお、ブウ編開始前、鳥山はブウ編が終わったら連載を終了する約束を集英社と取り付けていたが、
当時の編集長であった堀江信彦はその事実を途中まで知らされていなかった[10]。
この様な経緯の果てに、1995年夏、10年6か月に及んだ長期連載となった『ドラゴンボール』はようやく完結を迎えた。
最終回は新たな展開を匂わせる形で終わっているが、最終ページで鳥山本人が完結の経緯を説明するなど、
最後の最後まで波乱含みの展開は続いた。
連載終了直後は、10年強に及ぶ作品のストーリーやメディア展開などを振り返るコーナー
『HISTORY OF DRAGON BALL ?ドラゴンボール10年の歩み?』が10週にわたって『ジャンプ』誌上に連載された。
ソース→
・「DRAGON BALL大全集―鳥山明ワールド(2) 1995 鳥山明インタビューより
・「親の顔がみてみたい 夏休み企画3週まるまる ドラゴンボールスペシャル」『週刊ファミ通』、エンターブレイン刊、2006年。
・STUDIO VOICE 2008年2月号