とにかく、月はどうにかして逃げたかった。
逃げた後どうするか、まだ何も考えつかないが、とにかく逃げ出すための体力をつけておこうと、それだけに集中した。
そんなふうに考えていることは、きっと竜崎には知れているだろう。部屋にカメラらしいモノは見えないが、設置されていないわけがない。だからひとりでいる時に、月が身体を動かしたり外を眺めているのも見ているはずだ。
だが、知られていても一向にかまわない。
どうせ、本当に逃げ出すとしたら、竜崎がこの部屋に訪れた時しかないのだ。
遅かれ早かれ、逃げることはバレるのだから。
◆◆◆
──ひた、ひた、ひた……
いつもの足音が、遠くから近づいてくる。
いつもなら、月はベッドの上で蹲り、ただ怯えているが、今日は違った。
まず、ブランケットを身体に巻き付けて、ベッドを下りた。そして静かに移動すると、竜崎が入ってくる扉の後ろに立った。
(扉が開いて、竜崎が入ってきたら……)
扉脇の壁にはりついている月に、竜崎は一瞬気づかないはずだ。その一瞬のスキをついて、組んだ両拳で竜崎の首根を一撃する。気絶させられればラッキーだが、無理でも時間稼ぎにはなるはずだ。
閉じこめられている部屋の外を、月は全く知らない。どんな構造になっていてどこに出入口があるかはわからない。
だが、きっと窓はあるはずだ。
それは、閉じこめられている部屋のようなはめ殺しではなく、ちゃんと開閉する窓であるはずだ。
だから、窓にたどり着ければそれでいい。
自分のいる部屋が高い位置にあることはわかっている。
それでも、運良く脱出できる窓に辿り着いたら、月は飛び降りるつもりでいた。
それによって負傷しようと、運悪く死亡することになっても、今の現状を続けるよりはよっぽどマシだと思えた。
──普段の冷静な月なら、そんな無茶をせずにもっと確実な逃走手段を考えただろう。だが、長期間の監禁と暴力と凌辱に、月の精神は自分で思っているより疲弊していた。
ガチャリ、扉が開いた。次に、黒い髪が見えた。いつものように入ってきた竜崎のうなじめがけて、月は組んだ両拳を思い切り振り上げて、振り下ろした。
「────ッ!」
ガッ、と音がして、竜崎の首の付け根に月の拳は正確にヒットした。手で首を押さえながらよろめく竜崎を横目に、月は開いた扉から部屋の外に飛び出した。
外は長い廊下だった。
月は走った。
必死で。
無我夢中で。
身体に巻き付けたブランケットがはだけてもかまわず走った。
邪魔になったけれど走った。
とにかく、走り続けた。
──けれど。
(どうなってるんだ……っ?)
走っても走っても。
窓がない。終わりがない。
とうとうエレベーターホールらしきところにたどりついて──月は呆然と立ち尽くした。
(動かない……)
ボタンを押してもエレベーターは反応しない。
ボタンの下にカードの差込口のようなものがついているから、恐らくカードキーがないと作動しないのだろう。
階段を探そうと思ったが、行き止まりのホールには外に通じる扉らしきものは見たらない。もちろん、走り抜けてきた廊下にも、そんなものはなかった。
「はぁ……、はぁ……はぁ……は……っ」
(ダメだ……)
部屋からエレベータホールまで、たった数十メートル。たったそれだけを走っただけで、月の身体を言いしれぬ疲労感が襲う。
「は……はっ……は……」
ガクン、と身体が落ちた。膝から力が抜けたのだ。床に膝をついて、両手をついて──月はがっくりと項垂れた。
「──さて。気は済みましたか?」
「──────ッ」
背後に、人の気配。
振り返る気にもなれず、月は床に蹲った。
「油断したわけではありませんが……まさかもう仕掛けてくるとは思いませんでした。……月くんらしくないですよ。時期尚早だったんじゃないですか?」
すぐ前にしゃがみこんだ人に、髪を掴まれて顔を上げさせられた。
何も言わずに視線をあげると、竜崎はうすく笑って月の額に浮いた汗をもう片方の手のひらで拭った。