「遊戯王」
かつて舞台『遊戯王』で主役を演じ、天才と謳われた御伽竜児(おとぎ りゅうじ)は、芸能界を引退し、今は童実野(どみの)町で静かな生活を送っていた。
そんな御伽の下をたびたび訪れる男たちがいた。海馬コーポレーションの社長・海馬剛三郎(かいば ごうざぶろう)と部下の磯野である。
彼らは原作者から『遊戯王』の上演権を譲られている御伽から上演許可を得て、息子の海馬瀬戸(かいば せと)主演で『遊戯王』を上演しようと目論んでいたのである。
しかし、御伽は『遊戯王』の主演は自分もしくは自分が育てた俳優にしか演じることは出来ないと言って、彼らの申し出を拒絶する。
そして、10年待って、自分が育てた俳優が大成することが出来なければ、上演権を譲ると言い放つのだった。
御伽が目をつけていたのは、貧しい家庭に育った武藤遊戯(むとう ゆうぎ)だった。
遊戯は実の祖父をして「何の取柄もない」と嘆かせる少年だったのだが、一度見た芝居のセリフや役者の動作を正確に記憶するという特技、
本能的に役を理解しその人格になりきるという底知れぬ才能があった。そんな遊戯の秘められた力を御伽は見抜く。
遊戯もまた次第に演劇の面白さに目覚めていくのだった。そして、演劇を本格的に勉強したくなった遊戯は海馬コーポレーション手がける劇団デスティーヌの入団試験を受験しに行く。
授業料の高さに入団をあきらめた遊戯だったが、ひょんなことから、パントマイムの試験を受けることになる。
そのとき、遊戯の演技を目にした海馬瀬人は遊戯の演技に衝撃を受ける。
御伽はやがて、後継者育成のために劇団O☆TO☆GIを旗揚げし、俳優を目指すために家出をした遊戯はそこの奨学生として、
御伽のもとで演劇の勉強をはじめる。やがて、劇団O☆TO☆GIで頭角を現した遊戯を瀬人はライバルとして認め、二人は互いに切磋琢磨しながら、演技を磨いていく。