【22】
ワタシが気を取り直しておでんの鍋に向かおうとした時、肩にいきなり柔らかくて弾力のあるモノがのしかかってきた。うおぉ重ッ!
「そういえばさっき、『小説書きで同人活動』って言ってましたよねぇ〜」
頭上から降りかかってきた声は、田中夫人。肩凝るでしょうね……乳がこんなに重いと。
つーかこの先輩はケース2箱分のビールを飲み終え、ワインと焼酎の熱燗を両手に持っている。スゲー酔ってねぇか?
「今まで、なぁに書いてたんですかぁ〜?」
「え、ワタシの……ですか?」
気が付くと、荻上夫人やスー奥様がこっちを凝視してる……。男性陣も和やかにお酒を飲みつつ、何だかこっちに耳を傾けているような気配。うわ、四面楚歌。
「……ワタシ、いわゆる『懐古厨』でして……」
「ふむふむ」
後方から圧迫してくる田中夫人(の胸)。
「あの……その……、『くじアン』とか『ハレガン』とかで……」
「もちろん『801』ですよねぇ〜?」
「あうぅ……(汗)」
田中さんのご主人が、「あ〜やっぱりなぁ」とうなづく。
「やっぱりって、何デスカ?」
「うちの奥さんの『名言』があるんだよ」
「あ〜、『ホモの嫌いな女子なんていません!』って奴?」と斑目さん。
田中夫人は、「また1つ、立証されましたね」と、ただでさえデカい胸を張って得意げだ。
そんなコトの立証のためにワタシは……(泣)。
私たちのやりとりを見ていた笹原さんが語り掛けてきた。
「でも、そうなるには理由がある……ってことだよね?」
「だめですよ。そんなコト聞いちゃ」
「あ、ゴメン」
於木野先生がご主人を押しとどめた。
しかし、続いて恵子姉さんが於木野先生を見据えて、「トラウマで、『藪をつついて大蛇が出る』かも知れねーもんな!?」と皮肉っぽく語った。
昔、何かあったんですか、皆さん。
「で、ソコんとこどーなの?」
今度は恵子姉さんが詰め寄る。酒の席だけに、またも皆さん興味津々のようで……。
「あの、ワタシ中学の時に……」
「ふむふむ」
「あ、お腹痛くなりそ」と、於木野先生。
「好きだった男の子が居たんですが……」
女性陣になぜか緊張が走る……。於木野先生顔色悪いよぉ(汗)。
でも、そんな中でもみんなから、「白状しろ」という圧迫感が。
「……ワタシ、その男の子がほかの男子と……キ キスするのを……見まして」
「え……(汗」
あぁ、みんなの血の気が引く音が聞こえる……(激汗)。
於木野先生が呼吸を整えながら話し掛けてきた。
「……リ、リアルを見たんだ……」
「はあ……。それ以来、仲の良い男性同士とか、アニメや漫画の男性キャラの友情も、『そのフィルター』を通して見てしまって、何でもアリに……」
「いろんな『入り口』があるのね……ある意味うらやま……いやいや(汗)」
さすがに気まずい空気。
斑目さんがそれを振り払うように、陽気に語り始めた。同意が欲しくて田中さんに目を向けつつ……。
「でッ、でも思春期の男って、友情とか連帯感の一環で、軽いホモ願望ってあるよなッ!」
「え、ないだろ」
田中さんアッサリ否定。
久我山さんも首を振る。
激汗の斑目さん。
「もう、黙っていればいいものを、何でこう自爆スキーなんですかね」
笹原さんがフォローに入るけれど、於木野先生と田中夫人がその姿をスゲー嬉しそうに見てますよ!
【23】
斑目さんの自爆でその場が和んだ(?)一方で、クッチー会長が部室のロッカーを開いた。ガサゴソと何かを探してるみたい。
「ど どうした、朽木くん」と、話題を変えたい一心の斑目さんが声を掛ける。
「いや〜、せっかく懐古厨の話題が出たんで、我々の現役世代のアニメを上映しようかなと思いマシテ」
「おお、カノジョの心の拠り所になった『くじアン』なんかどーよ。初期バージョンの方」
斑目さん、ワタシに気を遣ってくれてる……。
「朽木くんビデオあった!? 凄いね〜よく残ってたねぇ。あ〜朽木くん、その隣のテープがいいな。小雪の登場するやつ。そうそれ!」
……斑目さん、実はあなたが「くじアン」見たいだけなんじゃないスか?
早速上映。『♪どちらにしようかな天の神様の云うとおり……♪』
「うわモモーイ懐かしい。UNDER17!」
「僕はこっちの会長の方が……」
「でも作画も作劇も、リニューアル版は頑張ってたなぁ……」
「お金ない中でも演出でカバーしたり……」
「や 山田は……」
みんな口々に作品を語り出す。
そんななか、斑目さんがある話題を切り出した。
「やっぱり、この頃のカップリングの流行は男女とも『くじアン』だったっけか?」
「い いや『ハレガン』じゃね?」
「う〜ん。『旧姓荻上さん』が個人誌出したころは、『くじアン』はもうピーク過ぎてたような……」と笹原さん。
「そんなコトまで言わないでくださいよ!」
於木野先生は実に迷惑そうだが、クッチー会長が追い打ちを仕掛けて、ワタシに話かける。
「知っているか若人よ。ここに居る於木野鳴雪先生は、現視研時代に麦男×千尋本を出しているんダヨ!」
そんな呼び掛けに対してオタの性(サガ)か、ワタシは反射的に応えてしまった。
「『あなたのとなりに』なら、ワタシ、持ってますよ」
【24】
一瞬、水を打ったように静かになるワタシの周囲。
いかん、これ自爆?
直後、於木野先生が、「ええっ! だってあなた、その当時小学生じゃないの!?」と、対面側のワタシの顔近くまで身を乗り出してきた。
ワタシは身を引きながらも、年上の於木野先生の困惑顔アップに、(おっ、カワイイ)と思ってしまった。
ちょっと目線をそらしてから答える。
「あ〜、出た当時は小学生でしたけど。買ったのは高校の時です。『於木野先生の初期個人誌』と聞いて中古で」
「……いくらで?」
「……8千円……」
「ええーっ!」
笹原さん夫妻が同じタイミングで驚き、二人とも腕組みをしてブツブツ何かをつぶやき始めた。
「それだけの額で流通されながら、作者には1銭も入らないとは……」
「結構ショックですよね……」
その時、斑目さんが勢いよく立ち上がった。何だ?
「笹原夫婦は、無遠慮なオタク文化の拡大のために死んだ! なぜだ!?」
「脇が甘いからさ」
「イチャイチャしすぎて周りが見えてなかったんじゃね?」
「ま 斑目自体が、む 無遠慮なオタクな気がするぞ」
「俺らを勝手に殺さんでください(汗」
久我山さんは呆れ顔で、田中さんのコップにビールを注いだ。
「は 始まっちゃったよ、斑目」
「アイツは演説ゴッゴのきっかけが欲しいだけだからほっとけ」
そんな同期のボヤキも聞こえないみたいで、斑目さんはさらに盛り上がってる。
「……この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、荻上さん(旧姓)は死をもって我々に示してくれた!」
「だから勝手に殺さないでください」
「オタクよ立て! 悲しみを怒りに変えて立てよオタクよ! 我らこそ消費社会に選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。 グッズを初版で買い求め、作家を支える我らこそ、社会の利益循環を健全にし得るのである! ジーク・ジオン! 」
「ジーク・ジオン!」
スー奥様が拳を上げて応えてる(汗)。
この夫婦は一体……。
「しかし創作をする人には色々あったほうがいいかもよ。……経験上のある程度の『影』があった方が、創作物にも反映するしね。今度の新人も一筋縄ではいかんなぁ」
田中さんが腕を組んで感心する。こんなコトで感心されてもなぁ……。
【25】
「ま まあ人それぞれ、い 色々あるからね」
久我山さんがフォローしてくれながら、ワタシにおでんのはんぺんと卵をよそってくれた。
久我山さんは車で来ている。自分は乾杯の時にだけビールを一口。あとはジュースを飲み、寡黙におでんをつついていた。
そんな久我山さんに、斑目さんが尋ねる。
「そういう久我山はどうよ。漫画、まだ描いてる?」
「う…、うん。もう、あきらめ時かな」
(え?)ワタシは思わずとなりの久我山さんを見上げる。
「久我山さん……本当にあきらめちゃうんですか?」
「……お 俺は笹原夫婦のように、才能も無ければ、物語を創作したり、構成する力もないし……」
ワタシは小学生の時から、久我山さんに再び会って、お礼を言って、描いている漫画を見せてもらって……、そんなことを想いながら今まできたのに。
「……き 君が8年を過ごしたように、俺にも8年の時間があったんだな……。も もう30越えちゃったし……」
ワタシは、応えようがなかった。
周りがちょっと静かになったとき、恵子姉さんがある一言を発した。
「ねえ、あんたデブ専なの?」
ブッと吹くワタシ。となりの久我山さんもジュースを吹いた。
そんな風に意識したことなんてなかったのに。ワタシは自分の耳たぶまで赤く加熱しているのが自分でも分かった。
「恵子さんはどうしても地雷原が好きですね。でもこのタイミングは酷すぎですよ」と田中夫人がたしなめる。
「だってホラ、空気悪いじゃん。……大体この子、こんなに昔の色紙を大事にしてるんだよ。意識してない方がオカシイって!」
その手には、さっき笹原さんたちに見せたワタシの色紙があった。
ひらひらと色紙を振る恵子姉さん。
「ほら〜久我山さん、今まで大事に取ってあったんだって〜!」
「け 恵子ちゃん、そ それはちゃんと返してあげた方が、い いいって」
「反応それだけ?………」
恵子姉さんは一拍おいて呟いた。
「つまんねーの」
ワタシは恵子姉さんの一言にカッとなった。
「返してください!」
立ち上がって、恵子姉さんの手から強引に色紙を奪おうとした。奪い合って振り上げたふたりの手から、色紙が勢い良く離れていった。
「あ」
色紙は窓際へ飛んだ。窓は開けたままになっていた。
窓枠に当たって、外へと傾く。身を乗り出して手を伸ばすワタシ。
「危ない!」
於木乃先生がワタシの服を引いてくれた。
色紙はひらひらと木の葉のように舞って、夜風に2度3度と流されて闇の中に消えた。
部室は静かになった。
「落ちちゃった……」と恵子姉さん。ワタシは、「ひどいです!」と、にらみつけてしまった。恵子姉さんはやはり気が強い人だ。にらみ返してくる。
田中さんや笹原さんのお子さんたちが、トゲトゲしい空気を察してそれぞれ母親のもとへ逃げ出す。
斑目さんがワタシたちの間に割って入った。
「まーまー、無益な争いはやめて、探しに行こうよ〜」
「先輩は黙っててください!!」
ごめんなさい斑目さん。いつもならこんな風に他人とは目を合わせなけれど、モノがモノだけに、ワタシも引き下がれない。
「本人に見せるのが恥ずかしいなら持ってこなけりゃいいじゃん!」
痛いところを突かれた。でも、あの色紙は久我山さんにお礼が言えても言えなくても、『今日ために』と持ってきたものだ。
「ワタシだって、見せようと思ってました」
「じゃあいつ見せたっていいじゃねーの」
もうダメだ。頭の中がグラグラして視界もおぼつかない。ワタシはうつむいた。
「……8年……」
「ん?」
「8年です……8年待ったんだから! それをあんな風に晒されて……。人のココロ土足で踏みつけるようなものよ!」
ワタシはそのまま部室を飛び出していた。
【26】
サークル棟のあちらこちらに点々と灯る明かりを頼りに、色紙を探した。
こっちに飛んだように見えたのに……。
見つからなくて、ワタシはその場に座り込んだ。
地べたのタイルの1つ2つを、意味もなく見つめていると、視界がぼやけてきた。
涙があふれていた。
今日はなんて忙しい1日なんだろう。
ウキウキして、がっかりして、泣いて、笑って、怒って、また泣いて……。
もう頭の中がぐしゃぐしゃ。ワタシは膝を抱えて、その場にうずくまった。
「現視研……あこがれ、だったのにな……」
「みんなに、嫌われ……ちゃったかな……」
路上のタイルを無感情に、無意味に見つめていたワタシの視界に、不意に何かが飛び込んだ。
「!」
四角い影……、そこには見慣れた絵柄があった。
アレックスと副会長と、山田。
飛んで行った色紙を、誰かが手にしてワタシの目の前に立っていたのだ。
思わず顔を上げるけれど、灯りが逆光になっていて表情はよく見えなかった。
「これ、あんたのでしょ。……ひょっとして現視研の子?」
女性の声。ワタシは思わず尋ねる。
「なんで現視研って分かったんですか?」
「いま、『現視研』がどうとかって独り言いってたじゃん」
あ、そーかと思うワタシに、女性の言葉が続く。
「それに座り込んで黄昏れるなんてドラマじゃあるまいし、いちいち行動がオタクくさいのよアンタらは……。『私一人で苦しんでますーっ』て、いじけた目をしててさ。きっと現視研がらみだって思ってね」
ワタシはちょっとムッとしながら立ち上がった。
それに合わせて向き直った女性に、明かりが照らされる。
……きれいなひと……。
仕事のできる大人の女性だ。於木野先生のガムシャラなソレとも違ったスマートさが感じられる。
少ない明かりに照らされたその顔に見とれながら、つき出された色紙を受け取った。
「……ありがとうございます」
「ケンカしてたでしょ。部室の窓開けてるから、外に丸聞こえだよアンタ達」
うわーぁ、何て恥ずかしい。
ここは、『逃げるんだよォ、スモーキー!』に限るわ。
いそいそと一礼して立ち去ろうとする私は、呼び止められた。
「あ、ちょっと。絵の隅っこのさ、『後輩は編集者になれました』って、ササヤンのこと?」
「ササ…って、笹原さんのことご存じなんですか?」
「まぁササヤン以外もね。あたしもさ、現視研の……まぁ関係者っていうのかな」
「お姉さんもオタクなんですか?」
「…………ぶつよ」
【27】
ワタシとそのお姉さんは、サークル棟の入り口まで一緒に歩いた。
「昔の仲間がさァ、オフィスじゃなくて家の留守電にこっそりメッセージ入れててさ。ありゃワザと呼ばないつもりだったんだな。アイツ『結婚式のコト』まだ気にしてるのか……」
ああ、斑目さんのことかも、とワタシは思う。
お姉さんはさらに続ける。
「しかもクッチーまで『みなさんはドコでしょう?』なんて電話してきてさ。知るかっつうの! それで集まりがあるのかと新宿からわざわざ来てみりゃ、なんか揉めてるし……」
ワタシは歩きながら、これまでの事情を説明した。
お姉さんは黙って聞いていたが、ふと立ち止まった。ワタシも2、3歩先で止まり向き直った。
お姉さんは切り込むように言葉を投げかけてきた。
「1回のケンカでヘコんでんじゃないよ。色紙持って来るってことは、『見せたい』『伝えたい』って思ってるからなんでしょ?」
「……!」
「ケーコはそれがまどろっこしくて、ワザとやってんのよ」
「はあ……」
「あいつもオタクとは違うからな。ケーコの行動にムッとしても仕方がないか……」
そういえば、ワタシはただ自分の気持ちばかりで突っ走ってた。
亥年生まれの猪突猛進。それがここまでやってこれた長所でもあり、短所でもあるとは分かっていたけれど。
「恵子さん、あんな感じの人だから、ワタシとはアプローチの仕方が違うってことなのかな」
そんな風に呟くワタシの頭を、お姉さんがガシガシと手荒くなでる。
「そーゆーこと。みんな違うんだよ。大学生にもなって、でかい図体して、まだ子供なんだ」
「あぅ……痛いです」
「あぅ、とか言うな」
お姉さんは、軽いため息をついてから話を続ける。
「そうやって『見せたい』『伝えたい』『分かってほしい』のに何にもしないんだよねお前らは。寂しがりやのくせに自分から近づいてこないしさ」
ああ、そうかもしれない……と、ワタシは思った。
ちょっと胸の内が苦しいけれど、この人には話せるかも知れない。
「……ワタシ、…ワタシも仲間と同人誌つくったりしたけれど、ワタシのホントの気持ちとか、あんまり伝えたことがなかったです。ホントの友達っていた記憶がない……」
自分の気持ちをこんなに素直に話すことなんて、あんまりなかった。お姉さんは、まっすぐ前を見たまま、少しうつむいた。
何かを思い起こしたようだった。
「昔さ、自分の趣味暴露されて傷ついて、本当の自分を晒すことができなくてもがき苦しんだ奴知ってるよ。逃げ場がなくなると、飛び降りやろうとしてさ」
「…………」
「でも支えたり、ぶつかったりしてくれる奴がいて、おかげで好意を寄せてくれた男にも、自分を隠さずに晒すことができて……。今じゃ幸せそうだよ。好きな漫画描いて。二児の母だし」
「!!」
ワタシの脳裏に、筆頭の人気作家の顔が浮かんだ。
あの人たちも、順風満帆ってわけじゃないんだ。
「だから、ちょっと衝突したくらいでいじけてないで、これからは自分を晒すことのできる『仲間』を作りなよ」
「……はい」
なんて人だろう。とてもオタクとの関わりがなさそうな美人さんなのに、ワタシたちの事を分かっている。厳しいけど、優しい。
やっぱり、この人が『高坂』『咲』さん……?
お姉さんは、煌々と明かりを灯している夜の校舎に目を向けて、両手を広げた。
「まあ仲間なんてスグに見つかるって。こんなでっかい大学だ。きっと1人同じようなオタクが見つかったら、30人くらい隠れてるぞ」
「それなんかヤです……」
【28】
お姉さんは、サークル棟前で立ち止まった。
「さ、あんたは早くいきな。みんなオドオドしながら心配してるよきっと。あいつら気が弱いからな」
「一緒に行かないんですか?」
「うーん……。今、私が行ったら余計に場が混乱すると思うぞ。今日はダンナが一緒じゃないし、みんなとは別の機会に合うわ。それに……」
お姉さんは言葉を濁した後、複雑そうな表情でワタシに問いかけた。
「あのさ、田中加奈子って、来てる?」
「はい。コスプレの人ですね」
「うっ……。じゃあ、やっぱり帰るわ」
「ええーっ!? どうして?」
「いいか新米、私が来てたことは絶対に誰にも言うなよ!」
「はあ」
ワタシは意味も分からずに同意させられた。
なんか弱みを握られているのかしら?
『コスプレ』に反応したところを見ると、だいたいの察しは付くが。
部室に戻るため、3階にさしかかると、階段の踊り場で斑目さんたちにばったりと出くわした。
斑目さんを先頭にして、久我山さん、笹原さんと恵子姉さんが階段を下りてきていた。
笹原さんに押されるようにして、恵子姉さんが前に出てきた。
「……ごめんなホントに。調子に乗っちゃってさ。アタシも探すから」
「あ、大丈夫です。見つかりましたから。ほら……」
恵子姉さんをはじめ、後ろに立ってた久我山さんたちも、ホッとした表情を見せた。その顔を見て、心配かけちゃったなと後悔した。
「私の方こそ失礼なこと言って、ご迷惑掛けてスミマセンでした」
ワタシはみんなに頭を下げた。
斑目さんがパンパンと手を叩きながらワタシ達の間に入った。
「ハイハイハイ! これにて一件落着と」
【29】
宴は終わった。
ユーレイサークルだった現視研に不安を感じていたワタシは、少し気持ちが晴れてきた。
「そうだよね」
ワタシは一人呟いた。先輩方のような仲間を作ればいいんだ。ぶつかったとしても、きっといい方に進むコトだってできる。この先輩方はそうやってここまで来たんだもの。
ワタシは、旧交を温め、またの再会を誓って笑っている斑目さんや笹原さんたちの姿を眺めた。
何とも仲が良く、楽しそうだなぁ。
一方で、田中夫人にコスプレを迫られたり、「ク〜クック」と含み笑いをする外人妻に挟まれて頭を抱えている於木野先生からは目をそらした。
何ともお気の毒。こうはなりたくないなぁ。
ワタシは斑目さんに歩み寄って、手を取って2度、3度とお礼を述べた。
「斑目さんアリガトウゴザイマス! 本当に!」
「い いやあ。俺らの方こそ君をダシに飲んじゃったしハハハ」
今日はこの人に出会わなければ、こんな素敵な気持ちにはなれなかった。
斑目さんの背後、スージー奥様は斑目さんのスーツの裾を掴んでいる。愛されてるなあ。
久我山さんも話し掛けてきた。
「ま まあ、気楽にやりなよ。お 俺もたまに様子を見に来るから……」
「え! お願いします!」
ワタシは嬉しかった。
その脇で、斑目さんや田中さんが驚きの声を挙げた。
「おぉッ! 久我山どういう風の吹き回しよ!」
「お前が卒業以来部室に来るって、ここ8年で2、3回しかないのに『たまに様子を見に来る』だと?」
「きゃー、久我山さんに春到来ですか!?」
田中夫人が立ち上がって叫ぶ。
「せっかく女の子の新会員が入ってきたというのに、OBに取られるなんて、朽木さん残念ですね〜」
「ムダ ムダ ムダ ムダ ムダァッ」
田中夫人やスー奥様がクッチー会長を嘲笑してる。
ワタシにしてみれば、取るとか取られるとか、はた迷惑な……。
クッチー会長も立ち上がる。
「うぬぅ! ワタクシは負けない。クチキマナブは砕けない!」
「砕け散ってしまえ」
恵子姉さん、相変わらず容赦ない……。
【30】
「またいつか」
笹原さんと於木野先生、双子ちゃんたち。
田中さん夫妻とコスプレさせられたお子ちゃま。
恵子姉さん。
クッチー会長。
斑目さん夫妻……。
みんなそれぞれの場所に帰って行く。
先輩方は、こんど、いつ互いに会えるのだろう。
ワタシは、久我山さんが運転する車で、アパートまで送ってもらうことになった。
鍵をあけてもらい助手席に乗って待っていると、久我山さんが運転席に乗り込んだ。
ギシッと、車自体が運転席側に傾いた。
ワタシは思わず笑ってしまった。
「ど どうしたの?」
「子どものころを思い出したんです。病院のソファに久我山さんが座ると、すごい傾くの!」
「ハハハ そ そんなコトもあったっけ……」
車は夜の町を走る。結局、最初の会話と笑いの後、走っている間はお互い何も話さなかった。
ワタシは、「漫画をあきらめる」という久我山さんの言葉を思い起こしていた。
何も言ってあげられないと思った。
車が止まり、ワタシは自分のアパートの前で降りた。
運転席側の久我山さんのそばに立つ。窓を開けて久我山さんが手を振る。
お礼を言わなくちゃ。
「……どうも、ありがとうございました」
ワタシが頭を下げ、足下に目を落とすと、車のエンジンがかかる音がした。
「う うん。じゃあ、が 『頑張ってね』」
この言葉にハッとしたワタシは、肩から掛けたカバンに大急ぎで手をかけた。
「待ってください!」と、今にも走り出そうとしていた久我山さんに声をかける。
そして、『色紙』をカバンから取り出して、掲げた。
「ワタシも椎応に合格しました。『ワタシも頑張るから、君も頑張れ』!」
「!」
「……せめて、エールは返します。久我山さんにもらった力だから、久我山さんの力になれたら、いいなと思います……」
「……うん……。あ ありがとう」
久我山さんは、笑って答えてくれた。
【エピローグ】
「へぇ〜、斑目が父親にねえ〜」
ディスプレイを整える店員に指示を出し、新入荷の服をショーウィンドウの方から眺めていた高坂咲は、携帯電話の向こうから聞こえてきた恵子の声にニヤニヤしながら答えた。
『この前面白かったんだってば、姉さんも来れば良かったのに!』
(お前のせいで途中修羅場だったんだろうが。知ってるぞ)と内心でツッコミつつ、咲は恵子に言い放った。
「のんきなコト言ってないで、お前は早く結婚しろ! もう誰でもいいじゃん」
夫にメールを打ちながらオフィスに戻ってきた咲は、デスクの引き出しを開ける。
もう何年もしまい込んでいた封筒から、1枚の写真を取りだした。
大学を卒業した時の集合写真だ。
今や日々の仕事に充実感を得て、夫とも大学の話をすることは少なくなっていた。
写真に残された懐かしい顔1つ1つを見つめる。
集団の左端には、ポケットに手を突っ込んだ斑目の姿があった。
「楽しかったねぇ……」
表情が、ふっと緩む。
あの夜、サークル棟前で出会った新入生の顔を思い浮かべた。
これから後輩たちが、あの部室で巻き起こすであろう日々のことを思うと、何だか懐かしいような、羨ましいような気持ちになった。
「まったく、オタク(あいつら)って一向に絶滅しないし、次から次に出てくるし、しぶといよな」
毒々しいセリフを吐きながらも、咲は優しく目を細めていた。
もうすぐ開店だ。忙しい一日が始まる。
「現視研もまだ続くのか、もう無くなっちゃうと思ったのに……」
写真を再び机の中にしまおうとする咲。ふと、写真の右上、部室の窓のあたりに、『ある人物』の顔が映り込んでいるのに初めて気が付いた。
咲は寒気を感じながら苦笑いした。
「……無くなるわけ……ないか……」
※ ※ ※
サークル棟の屋上。
猫背なで肩の男が立っていた。
眼下の新緑は目に眩しく、爽やかな風が多摩の緑の香りを運んでくる。
耳を澄ますと、遠いグラウンドから聞こえる運動部員の歓声や、かすかに響くブラスの演奏に混ざって、アニソンが聞こえてきた。
『♪僕らはあいに慣れることはない……』
男の足下、3階のアノ部室で、懐かしのアニメを鑑賞しているのだ。
その音に耳を傾ける屋上の男。その表情は読みとれないが、どこか嬉しそうでもあった。
「会長お願いします!」
「オォ!一度言ってみたかったんでアリマスよコレ。では…『第255回 くじアン再評価会議〜ッ!』」
部室から、陽気な歓声が聞こえてきた。
一時は自然消滅の危機を迎えていた現視研も、新入生を迎え、会長1人、会員1人から再スタートを切った。男女を問わずアニ研、漫研からのあぶれ者や、ヌルくて気の合う仲間をかき集めはじめている。
これから彼女たちは、学内に敵と味方を大勢作りながら日々を楽しむことになるだろう。
屋上の男・初代会長がつぶやいた。
「ふふ。また、風が吹くな……」
現視研復活。
サークル棟に再びオタの嵐が吹き荒れる……のかは、今は誰も知らない。
<おわり>
以上です。長々と失礼しました。
途中で急に眠気に襲われて、1行入れるの忘れちゃったヨ>
>>401 なんとか終了しました。
あとがきは明日にでも。
では、おやすみなさい。
>千佳子の覚醒
コスプレに目覚めちゃったっ!(笑)
それにしても、めがねの人がホントに死んじゃったらどーしようかとひやひやしましたよ。
このシリーズ、それぞれのキャラが主人公になっててすごく面白いです。
でも自分的のはやっぱアンと斑(ry
>となクガ2
あー…読後感がすごく良かった。
咲の出てくるシーンは秀逸ですね。台詞ひとつひとつがすごく心にしみこんでくるようで。
これからもずっと、ずっとげんしけんは続いてゆく。人や状況が変わっても…。
…と、最後のあたりとても感慨深かったです。
ええ話やぁ…。
追記;これ読んだあとにまた「koyuki」読みかえして半泣きになってました。
せつねえ…でもすごくいい…
まったくどうしたと言うのだこの大物ラッシュは。読むのが間に合わねw
わたくし嬉しくて昇天寸止めデスヨ!!
>千佳子の覚醒
おおう!『斑目晴信の憂鬱』のエピローグが今ココに。シリーズ構想まで明かしてくださり期待絶頂。
このシリーズじっくり読ませる語り口と細かい設定で、読む側にも本腰を入れさせる硬派なSSと認識しています。全編読み終えたときのカタルシスが心地よい。
さて感想。異能力者揃いのこの世界観での、コスプレ夫婦の正統後継者・千佳子ちゃんの覚醒話です。一瞬なんに目覚めたのかハラハラしたがw 特にオートリンクよけで漢数字で書くがレス番三六九あたり!
ぬぬ子の不思議パワー、アンスーの謎の宿命に引き続いてのセーラ(ry登場に「幻魔大戦かいっ!」と微妙に間違ったツッコミ入れつつなぜかそういうオオゴトにはならず、世の中はそれでも回ってゆく感じのエンディングに不思議と安堵を覚えたりして。
人の生き死にまで絡めたミステリ仕立ての緊迫感あるストーリーの割に斑目がいつもどおりなので安心して読めるんですな。人が落とさんようなエロゲをオークションで警察に先んじて落とすってお前どんだけ不運やねんwww
あと面白い仕掛けだと思ったのが斑目と田中の繋がり。現実は非情ながらあたたかいものもあるんです的な。田中さんきっとすごく優しいんだろうなアノ時も的な(←違)。
「斑目の失踪時に田中が裏で世話を焼いている」「そのことで斑目は大野さんに顔を合わせづらい」「逆に千佳子はそのために斑目に思い入れが強い」たぶん詳細は明らかにならないだろうけど、こんな設定が物語の暗い側でバランスを取っていると感じる。
今回もアン斑の絆が健在で、こちらのシリーズではこの辺が俺的に興味あるところです。
他の書き手諸氏のセカンドジェネレーション話と違って、このシリーズでは双子たちより旧世代が焦点にある様子。あんまり邪推を重ねて地雷踏むのは本意ではないのでこの辺にしとくが、この目線は楽しみだ。
楽しく読ませていただきました。続きも待ってますYO!
続けてレス。最近感想レスしか投下していない。頑張れ俺。
>となりのクガピ2
ついに終わってしまった。とても満足したし楽しませてもらったがやはり寂しい。こういうとき人は続編を求めてしまうものだが否!俺は涙を飲んでこの完結を心から祝おう。
でも続き書きたくなったらゼヒお願いします作者氏(ォ。
学生の時は8年後なんて、30歳なんてありえない年齢だったし信じがたい未来だったが、けっこうあっさりその地点を通り過ぎてしまって思う。ああ、あんときもまだ青春だったのだなあと。これからの諸君湿っぽくてスマン。
30がらみの年齢になった斑目たちのバカ騒ぎを脇で見ている主人公も、「仲間って楽しい」と感じている。
物語上、この思いは別の到達点へ続いているのでこんな読み方邪道なんだが、でもこの「かつての仲間が集まってワイワイやる雰囲気」がこの話の中心に据えられているのが心地よい。
主人公がクガピーに抱いていた「感謝」も、結婚している斑目たちの間に流れている感情も、実は愛情というより友情なのであろうと思うと切なくもあり、笑えもするし、嬉しくもある。
激烈ラヴまっただなかであっても亭主はギレン演説をかますし、その恋女房も「ジークジオン」とか言っちゃうこの感じこそが「げんしけん」なのだろうと。この飲み会が何年経っても続いていて欲しいと思った。
そしてエピローグを読むだけで彼女はきっと現視研を再び盛り立てていくのだと確信できるし、その物語は続編が書かれなくても確かに存在するのだろう。がんばれ、未来の現視研。
あと、『koyuki』の挿話がちゃんと入るようにしてあるのがまた嬉しいね。そんないい話なのにまた801ワープの餌食になってる斑目が哀れだねwww
いい話をありがとう。
冒頭で頑張れ俺とか言ってたがゆうべ1本上がったんで近いうちに投下させていただきます。
ではまた。
>となりのクガピ2
とても良い完結を読ませていただきました。
となりのクガピーを読んでから久しいと思ったら、もう八年・・・
なわけはありませんが、現実的な時間の流れ以上に時だけが与える
心の推移を感じさせてくれました。
「ワタシ」が妄想するシーンは妙にバカ受けw ガン○ネタやジョ○ョネタ
ふんだんのにぎやかな会話は楽しいですね。
複数での多重奏のような会話を登場人物にさせるの苦手ですのでウラヤマシス。
参考にしたくてウズウズします〜。
セカンドシリーズの感想、まとめてありがとうごさいます、ではまたー
・・・というヘタレはしません (><)
>>375 大丈夫です!! 車反転(おい させてもかろうじて『外道』にならずに?
すんでるかもしれない、ような気がする人がここにいますから!!
物語上の「悪役」でも人間味を与えようとすると、誰でもどこで『外道』
になるか分からないガクブルさはありますねー。
>>406 アンと斑目の物語もガンガリマス。
>>407 色々欲張りすぎて、ネタをまとめきれない感は読み直すと感じます orz
キャラを深く掘り下げるのが好きなので、ネクスト世代をそうしようとして
旧世代を、というより斑目を、彼女たちを通して掘り下げ、浮き上がらせる
シリーズになった気がします。
次回は春奈を通して咲斑を、見つめ最終回に向けてアン、斑の関係を
決済していこうとは思います。
内容の濃い感想をいただいて感謝です!
相変わらず長いレスですが、どうかご容赦ください。
>>406 >咲の出てくるシーン
咲は、斑目たちと別ルートで「ワタシ」に会わせる必要がありました(そのために恵子を悪者にしたことを後悔……)。
「ワタシ」は、斑目たちとの宴会で「現視研の空気」を体感し、咲に説教されることで、その空気を生み出してきた人間の「関係性」を学んでいると思います。
咲の言葉にある「寂しがり屋」は、最初は大野に向けられたものでしたっけ。それを「ワタシ」に継承していくイメージを持ってました。
先輩から大切なモノを継承したからこそ、「これからもずっと、ずっとげんしけんは続いてゆく。人や状況が変わっても…」ということになるんだと思います。
あと、「koyuki」読みかえしてもらえて幸せです。
>>408 作品の投下待ってますよ!
>でも続き書きたくなったらゼヒお願いします作者氏(ォ。
了解です。一応、「個人的げんしけんクロニクル」の中では、以前書いた「妄想少年マダラメF91(1991)」にはじまり、「となクガ2(2014)」までで一応の〆ということになります。
でも「ワタシ」のその後については、「血風編」と「風雲竜虎編」を考えてはいました(オイ)。
「ワタシ」の本名は甲斐志菜乃(カイシナノ)と仮定。2015年に晴れて8代目会長になるも、漫研(駿河会長)、アニ研(小田原会長)、サークル自治会(北川(!!)越子自治会長)の圧迫を受け危機に陥る。そこにOBが助っ人に………。
まあ、
>>406氏へのレスにあるように「継承」は済んだので、コレ書いたら蛇足なんでボツです(w)
(
>>408氏へのレス続き)
>30がらみの年齢になった斑目たちのバカ騒ぎ
本当なら「劇画オバQ」なみに世知辛い話になりそうなんですが、現視研はいつまでも現視研でいて欲しいと思い、年を経た感傷的な部分は抑えめになりました。
>亭主はギレン演説をかますし、その恋女房も「ジークジオン」とか言っちゃう
9巻にあるんですよね〜斑目の演説に対するスーの「ジークジオン!」。アレは9巻の個人的「3大斑スーフラグ」の1つです(w
>>409 >現実的な時間の流れ以上に時だけが与える心の推移
イイ表現ですね。
駄文を書きためて気付いたのですが、自分のSSは、「時の経過」をテーマにしたものが多かったデス。
斑目が昔の斑目と遭遇したり、荻上の「2年前の私に言ってやりたいです。笹原さんとつきあうんだよって…」を実際にやらせてみたり、「となりのクガピ」も「2」と合わせることで8年の時間の経過を表してたり……。
昔のお酒のCMじゃないですが、「時は流れない。それは積み重なる」ってことを軸にして、失敗も涙も経験として得たモノが後に生きてくるってことを「書いている自分が信じたい」のだと思います。
やっぱり時間モノだけに、「千佳子の覚醒」にも表れている要素かなと…。
>>407氏の論評にある通り、斑目とネクストジェネレーションの関係性の陰にある、田中夫妻とのかかわりとか……。
長くなりました。どうもありがとうございました。
412 :
マロン名無しさん:2007/02/08(木) 11:40:48 ID:Gne0Aeoc
フデアゲ
フデサゲ
414 :
408:2007/02/08(木) 17:38:21 ID:???
そんなわけで来ましたよ。
ここんとこ長編やら大作やらのラッシュで読み手としてはホクホクでございます。んが、いざ書き手として作品を完成させるとレベル違いのあまり投下に躊躇するという恐ろしいスレと化しているのに気づいたw
まーそうは言っても他に読んでもらう場所もなく。流れも一息って感じなので行かせていただきます。小モノ軽モノ作者諸氏いまがチャンスだぞ。
『さくら、さく』、本編9レスにてまいる。いざー。
「……あれ?斑目だけ?」
「ん、ああ。春日部さんが一番乗りだな」
現視研のドアを開けて顔を覗かせたのは春日部咲だった。斑目晴信は読んでいた同人誌から目を上げ、少し戸惑いながら質問に答えた。
先ほどのドタバタから1時間弱。壁の時計の短針も、もうずいぶんと下を向いていた。
「って高坂くんは?一緒に来るんだと思ってたけど」
「また会社から電話でさー。まあ30分で片付くって言ってたから先に来ちゃった」
卒業式の袴から普段着に着替えた咲は、斑目に説明しながらパイプ椅子を引き出して座る。
「大野とクッチーは?荻上はササヤンと一緒なんだろうけど」
「さっき田中から電話あって迎えに行ったよ、大野さん。朽木くんは居酒屋へ先乗り」
同人誌を閉じて言う。
「ちなみに恵子ちゃんも朽木くんと一緒ね」
「え〜?ありえねえ組み合わせ」
「笹原たちとは一緒にいたくねーんだと。憎まれ口だったけど気ぃ遣ってんじゃねーか?」
「ふえー。あいつも成長したもんだ。それであんたが留守番してたの?」
「そゆこと」
「OBなのにねー」
「春日部さんだって本日をもってOGじゃないスか」
「へーん。あたしは誰かみたいに毎日毎日部室に顔出したりしないもーん」
「新宿からじゃ大変だもんな」
春の始まりの、暖かく明るい空。日差しは入りきらないので蛍光灯を点けているが、自分の左前方で携帯電話をいじっている咲は、斑目の目には本人から光を発しているかのように見えた。
「春日部さんの店って、4月に入ったらすぐオープンなの?」
微妙な間に耐えられず、世間話を続けようと試みる。メールチェックを終えたらしい咲は斑目に笑いかけた。
「なに、花輪でも送ってくれんの?」
「え。そんなこと考えもしなかったスよ」
「あはは。うん、4月1日からグランドオープンね。明日からもうプレオープンなんだけど」
「へえ、大変だね」
「うん。でも楽しいよ」
「そか」
春の空気に包まれる小さな部室。二人でいるだけで暖かく感じるのは気温のせいだけだろうか。
ふだんなら何ということもない偶然で片付けるこれも、今の彼には特別なものを意識せずにおれなかった。
――なんでまた。
斑目は思う。どうしてまた、今日という日にこのひとと再び二人きりになるのだろうか。……全部終えたと思っていたのに。
彼女に自分の思いを告げ損ねた日。もう10日以上も前になるだろうか。あの日からしばらく、彼は寝不足の日々を過ごしていた。
たとえば後悔。あるいは安堵。
恋人が、それも身内にいる人に恋してしまい、自身の小心な性格とコミュニケーションに不慣れな経験値が、何度かあった絶好の機会を全てフイにした。
それをネタに、ベッドに入るたび頭の中で自分自身が会議をはじめるのだ。「第○回・どうして俺は春日部さんに告白できなかったのか会議」を。
『はじめから結果が覚悟できる鉄板レースだというのに、自分の経験値を上げる絶好のチャンスを逸した』心の中の自分が責める。
『おかしな波風を立てずに予定調和を演出できたのだから、彼女のためにもこれでよかったのだ』もう一人の自分がとりなそうとする。
見ている斑目はどちらもなにか違うと思いながら、しかし二人の自分に反論できない。指を加えて延々続く自問自答をながめながら、気付くと夜が明けているのだ。
「会議」が10回を超えたころ、結局自分には『想いを打ち明けない』という選択肢しか初めからなかったのだと考え、すでにゲームオーバーになった恋愛シミュレーションを反芻することが自分の人生であったと結論付けた。
なぜなら、もう『チャンス』はないのだから。
……そう思っていたのに。
「……春かあぁ〜」
体内に膨らむ重苦しい溜息を、間の抜けたイントネーションに隠して吐き出す。
「ナニそれ」
「いや、笹原や春日部さんたちが卒業とはね、と感慨深い一瞬ですよ。こないだもこんな話、してた気がするけど」
「あー。そのこと思いださせないで」
先週のコスプレ撮影会の記憶がよみがえってきたのか、頬を染めてテーブルに突っ伏し、じたばたと足を踏み鳴らす。
「いーじゃないスか、田中と大野さんと春日部さんだけの秘密なんでしょ」
「お前も見たじゃんかよ、ちょっと」
「ちょっとだけっすよ」
「大野また写真売り付けたりしてないだろうね?買ったらブッ殺すかんな」
「買ってねえよ!殺すなよ!オタクにも五分の魂だよ!」
「そんならいいけどさ。――っと」
メールの着信。咲は液晶を一瞥し、眉根を寄せた。地団駄がいっそう激しくなり、テーブルがガタガタと鳴る。
「あーもう。コーサカぁ」
「どうしたの?」
「居酒屋直行するって。もうちょっとかかるんだってさ」
「ありゃー」
咲はしばらく携帯電話を見つめていたが、ふとなにか思い立ったように斑目を振り返った。
「斑目、あたしらも行っちゃわない?店」
「え?」
「コーサカ待ってるつもりだったけどそんなら部室いる意味ないしさ、クッチーたちと合流して先に飲んじゃおう」
「はあ?なんだソレ」
「笹原と大野に電話すれば伝わるでしょ?この程度の予定変更」
「や、まあ、確かにそうだけど……」
ちょっと考えてみる。彼女は恋人が期待通りに動いてくれないのでウサを晴らしたいのだろう。だが、飲まなきゃやってられない気分というならそれはこっちも同じだ。
それにそうすればもう少し、たとえば居酒屋までの道行きを二人きりでいられるかも知れない。
「んー、じゃそうすっか。考えてみりゃ笹原も大野さんも学校寄ってたら遠回りだもんな」
「ハナシ判るじゃん。また斑目ってば動くのにいちいち理由つけてるけど」
「ウッセ」
咲は嬉しそうにテーブルに手を突き、立ちあがりかけて、そこで思い出したように尋ねる。
「あれ斑目、そう言えば部屋の鍵持って――あ」
が、その言葉は途中で止まった。咲の動きも一時停止ボタンを押したようにストップする。
「……どしたん?鍵なら持ってるよ」
「あれ?ちょっとごめん、スカートが引っかかっちゃったみたい」
「え、平気?」
古い会議テーブルのがたつく金具に、生地が挟まってしまったようだ。歩み寄ろうとする斑目をしかし、咲は片手を上げて制止する。
「あ、あー、ちょっと来ないで、だいじょぶだから」
「えっ」
「このスカート、ゴムとリボンで止まってんの!」
外そうとすると服がずれてしまうというのだ。斑目は仕方なくもとの位置に戻り、だが椅子に座り直すほどのこともないと考えて立ったまま腕を組む。
「……さすがオタ部屋」
「へ?」
「あはは、アレだよ春日部さん。きっとテーブルが別れを惜しんでるんだ」
「えー?」
「この部屋で唯一まともな人だったじゃん。きっと『テーブルたん』もそんな春日部さんに行って欲しくなくって、思わず服を掴んでしまったと」
「うっわ、ここで来たか、その『ナントカたん』っていうの」
……どうして。
どうして『好きだよ』と言えないのか。
ふと、そんな疑問が湧いて出る。
無機物ですら、今のようにストレートに『行かないで』と言えるというのに。
「擬人化って言うんだよね?お前らアニメや漫画じゃ足りねーのかって感じ」
テーブルと格闘しながら咲が言う。
「そう言いなさんな。付喪神信仰は太古からあった人間の精神文化だ」
「でもそれを『萌え〜』とか言っちゃってるのは現代日本のオタだけでしょ」
「そのテーブルがむっさい男だと思い込むよりよほど健全デスヨ」
「キモいのには違いねーよ。えーと、……あれ?あれ?どうなってんだ?」
斑目の言葉を聞き流しながらスカートを救出しようとするがうまく行かない。立ちあがった勢いで布が深く食いこんでしまったらしい。咲はテーブルの上が空いているのを見て、その脚を持って持ち上げた。
「ウワ春日部さん?危ないでしょ」
「大丈夫だよ、ちょっと持ち上げるだけだし。って斑目、こっち見んなって!」
「そんな事言ってもなー」
ふらふらと揺れるテーブルが危なっかしく、彼は咲に近づこうか否か逡巡する。
「生地が傷んだら可哀想じゃん、あたしだって困るし。――あ、判った、こうだ」
脚の根元で布をつまみ、くるりと回すと、ようやくテーブルはスカートを離した。
「あ、斑目あんがとね。もういいよ」
「なにがモーイーヨだ」
テーブルを元の位置に戻そうとした時……咲の手がテーブルから滑り外れた。
「!」
「きゃ!?」
「かす――っ」
ガタンッ!
テーブルの脚が床に落ち、大きな音を立てる。その横に駆け寄った斑目は……。
……咲の体を抱きとめていた。
「――かべ、さん……」
脳内で、年末の記憶が蘇る。酔った彼女がふらついたのを引きとめた、あの時以来の触れ合い。……そして。
「だいじょうぶ……?」
そして俺の生涯おそらく最後の――正真正銘最後の、春日部さんのぬくもり。
「……は……ははっ。あ、ありがと、へーき」
目をしばたたかせ、至近距離で笑いかける咲に、斑目は自分の熱が上がるのを感じた。
そうだ。
こんなにあたたかい春なのに。花咲き誇る春なのに。
なぜ俺一人、散りぎわにこだわるような真似をしているのだろう。
明日から、ひょっとすると二度と会えないかもしれないこのいとおしい人に今、俺はなにができるのだろうか。
「……斑目?」
咲の体から手を離せない。その時間をいぶかしく思ったのか、咲は彼に聞いてきた。
「あ……ゴメ……っ」
口では詫びるが、両腕から力を抜くことができない。
「ご……ごめん……ちょっと、待って」
やっとの思いでそれだけ口にする。もう咲の顔を見ることもできず、彼はうつむいたまま目の前の人の細い腰を抱いていた。
「……うん」
ふわり。
肩に体温を感じ、彼は目を上げる。さっきと変わらない優しい笑顔が……彼の肩に両手を回していた。
「春日部さん……?」
「うん」
至近距離にある相手の目を覗き込み、その時、解った。
彼女は知っているのだ。この俺の、この想いを。
嫌悪でもからかいでも困惑でもなく、――期待と自惚れを込めて言わせてもらえばおそらくは彼女の優しさゆえ、気づかないふりをしてくれていたのだ。
見透かされていたことを……この苦しい想いを伝えられず煩悶する姿をずっと見られていたことを、恥ずかしいとは思わなかった。悔しいとは感じなかった。それら全てを包み込んだ彼女の手のぬくもりが、ただ嬉しかった。
「……俺……、さ」
「うん」
「春日部さんのことが……好きなんだわ」
「……うん」
言葉は自然に紡ぎ出された。
なぜ今まで言えなかったのかと、自分でいぶかしむくらいに。
自分は泣いてしまうんじゃないかと思ったが、涙は出なかった。むしろ、彼女に伝えるべきことを伝えることができた喜びに、頬が緩んでいるのが判る。
他にもいろいろ言いたいと思ったが、不思議とそこから先は言葉にならない。結局何も言わず、あらためて彼女を抱く腕の力を強めた。
「斑目……ありがとね」
彼を抱き締め返しながら、咲は言った。
「言わないつもりだったんだよね?言ってくれて、ありがと。あたしからは他になんにもできないけど、あんたが打ち明けてくれたってこと、とっても嬉しい」
他になにもできない……それがすでに彼女の答えだと気付いた。『覚悟のできる鉄板レース』でこのダメージか、と、判っていても心をかき乱す彼女の言葉に打ちのめされながら思う。
「……いや、いいんすよ。言えるチャンスが来ただけっスから」
「あたしも、今の斑目は嫌いじゃないよ」
「春日部さん――」
「むしろ好きなくらい、かな。だから、あんたには誠心誠意応えることにする。あたしは今、コーサカのことしか考えらんない。ごめんね、斑目」
高坂の名前を口にするだけで、咲の瞳の色が変わる。愛する人のことを考えるだけで、人はこんなにも美しく輝くのだ。
斑目は、咲の想いがどれほど強いか見せつけられたような気がした。
「……くはぁ。やっぱ、はっきり言われるとキッツイなあ」
咲を抱く腕を緩めながら……それでも、彼は笑顔を浮かべた。
「でもまあ、いいや。俺にしては上出来じゃないっすか?」
彼の笑顔につられて、少し心配そうだった咲も笑みをこぼす。
「うん。斑目、オトコだった」
「マジか」
「カッコよかったよ」
「ヤリィ!」
大げさにガッツポーズをとる斑目に背を向けて服を直し、咲が再び振り返る。
「どうする、そろそろ行く?それとも、……もう少しここにいる?」
「んー、そうだな」
少し思案してみる。後半は彼女の気遣いだろうが……。
窓の外に気付くと、午後の陰り始めた日差しに桜の花びらが舞っている。
ふと頭の中に、陳腐なフレーズが浮かんだ。――さくら、ちる……か。
……いや。
「んじゃ、行こーぜ」
「あれ、立ち直ったの?意外と根性あんね」
「なにをおっしゃる。体力ゲージなんかとっくにゼロですとも」
あらためてポケットから鍵を取り出し、咲の目の前で振ってみせる。
「ムシロ俺も飲みたい気分ってワケっスよ」
「あ、そーゆーことね。あはは、ほんじゃ行こっか」
「おう」
二人で部室を出て、ドアを締め、鍵を掛ける。
前を歩いてゆく咲について行きながら、斑目は部室を振り返った。
いま閉めたドアの、その向こうの、窓のまた向こう。日差しに踊る薄桃色の花弁。
いや、違う。
「どしたの?」
「ん、最終確認。いま行くわ」
さくら、さく、だ。
さっきの告白の行方の話ではない。俺の心で少し遅く、桜の花がいま咲いたのだ。
――しかし、アレだな。斑目は思った。
いっぺんフラれたぐらいじゃ、俺はあきらめ切れないってことじゃねえか。なにが春日部さんのためだ。彼女にしてみりゃメーワクな話だよな。
……だけど、しょうがねえよな。マムシ72歳、なにしろ前世がヘビなんだから。
彼は軽く笑うと、少し先を行く愛するひとに……これからも自分が追い求め続けるひとに並ぼうと歩を早めるのだった。
おわり
以前絵板でこんなハナシをしまして。追いコンでの斑目の疲弊ぶりは飲み会前になにかあったんじゃなかろうかと。そんなあたりから膨らんだSSでございます。
「斑目告白話」は俺自身初めて書き上げたがまー難物!過去に作品をものした皆様の筆力っつうか妄想力に感嘆するばかりっすわ。
まあようやく俺的にプロットが落ち着いたので投下。お気に召していただければいいんだが。
タイトルとストーリーの軸は多分知らない人の方が多いアイドルユニット「てん・むす」の同名曲。これでもかのSPEEDの後輩にあたるんよw
いい個性のキャラが揃ってたし、曲も詞もいい歌なんだけどね。歌唱力とダンススキルを度外視すれば。ってソレでは以下略。
ではまた。
>さくら、さく
グッドですよグッド! グ〜〜〜〜〜〜〜〜ッドゥ!
切なくて、それでいて爽やかなお話。斑目の心象を桜になぞらえた所も美しくてヨカッタです。
何より、内面で悶々としていた斑目が、咲が気付いていることを知り、自然体で告白ができたあたりは、読んでいて悶えました(w)。
確かに、このエピソードを踏まえて9巻巻末おまけマンガを読むと、スゲー萌えます。
特に9巻ラストで、大野オギー恵子が訝しむなか、咲の「ん?」で終わるアレを思うと、部室であんなコトがあった後の表情だけにニヤケちまうよホント(w)。
>……だけど、しょうがねえよな。マムシ72歳、なにしろ前世がヘビなんだから。
ここは好きなフレーズです。
一度の玉砕では諦め切れない。そうか、そうだよなと妙に納得。確かにそれで世界が終わるワケではないのだから。
そんな、陰に落ちないラストもステキです。
気持ちのいいお話、ゴチソウサマでした!
やっぱり、斑目物の王道は咲よのう!
426 :
うすびぃ:2007/02/10(土) 01:25:50 ID:N2P3Ar/Y
ペンションの風呂場にて
笹原 「パンツplease」
ダラさん「へ?・・・私の・・・履くの? (ぱんつ?ズボンのことか!?いややはり下着?普通
貸し借りしねーだろ?俺が卒業して笹原の代になって変わったのか
げんしけん・・てか俺ブリーフしかねえぞってかお前100パーセント
英語!ってかお前荻上さんに告白するんじゃ・・春日部さんたちの話は間違いだったのか!
てか仮に荻上さんに告白するとしたら俺のパンツも笹原の一部として告白ってバカか俺は)」
成田山にて
咲ちゃん「あれ?待っててくれたの・・・それって結構キモイかも」
ダラさん(わかってた・・・俺はこのまま何も言わなければそのまま終わるってこと
で安心できるって)
大野さん「今言わないでどうするんですか〜咲さんに告白するんですよ〜!///
マダラメさんは//咲さんが//好きすき好きなんですから!!」
アンジェラ「Hナノハイイコトヨ///」
朽木 「ちくわちくわです 春日部女史をちくわだと思って告白するんです」
スー 「ココハネパパトママガハジメテアッタバショナノ」
ダラさん ガビーソ(酔っ払いたちにこんな形でばらされるとわ・・
もっと綺麗に散りたかったヨ)
お・・・笹原 どした?」
笹原 「マダラメお座り!!」
ダラさん「(はーあったけー頭の後ろのぷよぷよが・・フフッ春日部さんに
プヨ2教えたっけ・・それもいい思い出だ・・・・ハッ
ズボンの隙間から見えるそのパンツわ!!!!あのときの俺のパンツ!ってか
お前・・なんで正月なのに短パンなんだよ!上セーターなのに!
まるでのび○君じゃねえか!!・・・フッわかったよ笹原。俺はお前に見透かされていたんだな
「マダラメ」として生きていくよ。ただいま笹原)」
笹原 「ニヤ お帰りなさい」
ダラさん(ふっ括弧の会話もお見通しなんだな。笹原よ。最初から盗まれていたんだな俺の心は
帰ったらネクタイで縛ってもーらおっと♥)
427 :
うすびぃ:2007/02/10(土) 01:27:14 ID:N2P3Ar/Y
大野さん「ウフフ・・・って話なんですけど」
荻上 「帰って下さい。〆切忙しいンで」
>さくら、さく
胸がいっぱいで言葉が出てきません
自分自身、試行錯誤してきますたが、こんな話がずっと書きたかったのです
こうして読めてすごく幸せでした。ありがとう。
>大野さんの妄想(?)w
>仮に荻上さんに告白するとしたら俺のパンツも笹原の一部として告白ってバカか俺は
ここがおもろいwwwSSならではwww