>>154 確かに、福田和也のお遊び仕事や、教科書問題(左右問わず)に入れ込む連中よりは「高度な論理性」をもっていて「アカデミズムに近い」議論が
出来る市場でかつ、浅田グループの「フランス現代思想オタク」よりは何十倍も大きく「開いた」市場になる可能性がないとは言わないが、
それは「両者を足して2で割った」だけであり、両者の悪癖も同時に受け継いでいるということだ。
現に東グループの仕事は「浅田彰ほど華麗でもなければ、福田和也ほど周到でもない」という批判は結構目にするし、まんざら外れても居ないと思う。
結局、東は偏差値を落としただけで、浅田グループの轍を踏もうとしているのかもしれない。
「批評の棲み分け」を指摘し、単に逃げ切れずに失速しただけのクセに「モダンに回帰することを選んだ」とうそぶく師匠たちに背を向けた東の態度は強く支持したい。
それは他のサブカル文化人たちはとっくの昔に気付いていたこと(宮・宮コンビ 浅羽・大月コンビ 大塚英志etc)だが、少なくともオタク最大の誘惑の
一つである「メインカルチャーを背景に語ることで、天下を取ったような気分になる」という誘惑には(少なくとも一度は)勝ったのだ。
しかし、東があれほど叫んでいた「批評のまったくあたらしい可能性」が唐沢(兄)の指摘するような単なる「新たなタコツボの創造」に過ぎないとしたら、
そして東のオタク論に散見される「勇み足」がこういったどうしようもない論壇政治的な動機に裏付けられている(今のところそう考えるのが妥当なようだが)とするならば、これほど残念なことはないだろう。
東は若い。筆者とは10歳も離れていない。
それだけに東浩紀の今後の活躍に期待したい。