Fate/stay night 萌え統一スレッド104

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154マロン名無しさん
>>153
 例えば宮台真司の読者の半分以上はその内容を理解できてなく、「援助交際とかするのって、なんかドラマみたいに<傷>を負ってるっぽくて
カッコイイかも」とかおおよそ宮台の意図とは反対のカン違いをしてしまっている。

 東浩紀はこの情況を「批評の棲み分け」と呼び、痛烈に批判した。
 そしてその批判は主に浅田グループに向けられれ、両者の対立は決定的となり、ついには「もう論壇・文壇の年上たちは相手にしない、若い人たちが
ボクの読者だ!」と現在の斉藤環とのタッグに至るのである。

 個人的な意見を書かせてもらえれば、東の「批評の棲み分け」論は秀逸だ。それは浅羽通明がニューアカのまさに終りかけた時代に、更にさかのぼれば
丸山真男の「タコツボ」論の頃からの議論だったが、この種の議論はその時代ごとに、「誰が」言うかが結構大事だと思うので東のこの批判は面白かったと
思う。

 だが、現在の東の仕事はどうだろうか。
 どうやら彼は「福田和也にもならず、浅田彰にもならない」第三の道を選択しようとしているようだったが、実際問題斎藤環たちとやってることは
唐沢俊一(兄の方、漫画家じゃない方、裏モノの方)の指摘どおり、「オタ関係の市場を、現代思想で囲い込もうとしているだけ」である。
 具体的に言うと、師匠の(?)浅田グループが「ニューアカ残照のフランス現代思想オタクグループ」に引きこもったとするならば、東達は今、自分たちが
引きこもるべき、「エヴァ騒動の残照の、現代思想でオタ文化を解説するのってカッコいいよねグループ」を新たに創ろうとしているだけだということなのだろう。

 筆者は唐沢(兄)の仕事はあまり面白いと思ったことがないが、この批判はかなり的を得ていると思う。
 少なくとも東が言い訳するように「オタク意外がオタク文化を語ることへの嫉妬」なんてことで片付けられる問題ではない。