魔法先生ネギまは絶望的だと思ってるヤシ→11000+

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27糸色望: 今週の漫画教室
ラストのネギの頬を刹那の一撃が掠めて鋭い傷が走る、一連の場面では、
「自分の絵柄の持つ性格と可能不可能に無頓着」という、赤松の漫画家としての
致命的な実態が露わになっている。

あの一連の止め絵で残心感を出す演出は、劇画系の、よりリアルな体感に近い表現が出来る
絵柄であってこそ有効な演出となる。
一定限度以上の激情や緊張感、痛覚を表現出来ない、素っ気ないアニ絵である赤松絵では、
あの場面のネームを絵に起こしても、ポーズ絵が単にそこにある、というだけの、白けた感覚しか得られない。

あの絵柄では、同じ効果を求めるにしても、違う演出が求められてしかるべきなのだ。


では、何故そう出来ないのか? 結局赤松の総てがコピーの切り貼りに過ぎないからであろう。