コンコン。
荻上は部室に入るときいつもノックをしている。
ガチャ。
「・・・・だれもいないか・・・。」
最近、こんな日が多い。
「仕方がないといえばそうなんだけど、大野先輩もいないのか。
・・・・上野かな?」
そうか、と思い当たる。今日は火曜日。大野は午前のみの授業なのだ。
とりあえず、しんとした部室の中に入って荷物を置く。
狭いはずの部室が、一人だととても広く感じられる。
「・・・・別にいいか。誰かいたからってなにかあるわけじゃないし。」
落書き帳を広げて、いつものように絵を描く。
お気に入りのキャラを納得がいくまで描き込むのが荻上の絵を描くときの楽しみ方だ。
最近のお気に入りは、某ロボットアニメ主役の親友。
笑顔、怒りの顔、悲しみの顔。
横顔、うつむいた顔、振り向いた顔。
「・・・・・。」
黙々と書き続ける。
カリカリ・・・・。ゴシゴシ・・・・。カリカリ・・・・。
一時間も経っただろうか。
「ふう。」
ふと時計を見、少し、驚く。
(この時間でも誰も来ないのか・・・。)
いつもなら、大野か咲がやってきて賑やかに会話する。
二人は荻上をよくおちょくる。会話のテーマに対しての意見を聞く。
それについて子供っぽい意見をかえす荻上を笑ったりからかったり。
「・・・ないとないで・・・・。」
(寂しい?そんな・・・。)
そう思った自分がとてもらしくないと感じて。
「でも、あるはずのもんがないと、やっぱ寂しいよなあ・・・。」
少し笑って、考える。
(自分は、何でここにいるんだろう?)
(別に絵を書くならここにいなくたって。)
そう思うけど、ついここに来ている。
誰かいるかなって思って、来る。
「なんで、私は・・・・。」
荻上は、知らず知らずのうちに大きな存在になっていたこの空間に気付く。
斑目達がいなくなって、人がいないことが多くなった。
大野は一番いるが、時間があるときは上野へ行ってしまう。
咲はお店のことで大変なようで、たまにしか来なくなった。
高坂はゲーム会社に缶詰で顔すら見ていない。
笹原は、就職活動で大変そうだ。
「みんな忙しそうだあ。しょうがないよな・・・。」
荻上にとって、ここは唯一の人との接点だ。
性格もあって普通の人にも、あれな人の中にも友達はいない。
荻上に関わってくる人がいるのはここだけなのだ。
いつの間にか、迷惑と思ってた彼らの言動を、求めていた自分がいた。
ポタ、ポタ。
描いていたキャラクターがぼやける。
「あれ?なんで・・・・。」
寂しさのためだろうか、自分が情けなくなってきたのだろうか。
本人にもわからないのだろうけど、泣いていた。
「うぇ・・・。ヒック、ヒック。ええぇぇ・・・・。」
止め処がなくなってきて、堪え切れなくて声を上げて泣いた。
五分ぐらいたっただろうか。少し収まってきた。
「・・・・弱いまんまだ。あの頃となあんも変わってねえ。」
中学時代のいやな思い出。一人で強くなろうと上京した日。
自分を変えようと頑張ってきたはずなのに。
「・・・こんなんじゃあ、駄目だぁ。一人でも生きてけるようにしなきゃあ・・・。」
きっ、といつもの表情に戻って心を立て直そうとする。
「・・・そろそろ帰んべぇ・・・。」
その時。
ガチャ。
扉の開く音にはっとする。
「あ、荻上さんだったのか。」
笹原だ。いつのも柔らかな笑顔をたたえてはいるが、疲れは隠せない。
スーツの上着を脱いで、ふらふらと入ってきて座る。
「せ、先輩!どうしたんですか。」
荻上はさっきまで泣いてたことを悟られないかと、ひやひやしている。
「いやー、明日二次面接なんだけどね。時間が出来たから少しよろうかと。」
「そうなんですか。」
なるべく平静を装って。さっきまでのことがばれないように話す荻上。
「まあ、大学でのすべてはここだったからね。願掛けみたいなものかな?」
「それにしては今までは不発だったようですけど・・・。」
「あはは、そうね・・・。」
乾いた笑いをする笹原。しまった。そう思う荻上。
いま必死にやってる人に言ってはいけない事を言ってしまった。
「す、すいません、無神経なこといってしまって・・・・。」
「ん、ああ、いいよ。事実だし。」
少しの沈黙。
「・・・今度も同じ業種ですか?」
「んー、まあ、似たようなものかな。結果が出たら教えるよ。」
「はい。でも、まだあるんですね、募集。」
「うん、なんか新聞に載っててね。まあ、受けてみようかと。」
「そうですか・・・。頑張ってください。」
「うん。」
笑顔で応援に答える笹原。
先輩、頑張ってるんだな。そう思って、少し励まされた気分になった。
「それにしても早い三年半だったなあ。」
笹原はんーっと背伸びをしてぼんやりと回りを見渡す。
「こんなサークル入るなんて思ってなかったしなあ。」
「そうなんですか?はじめからこういうところ入ろうと思ってたんじゃないんですか?」
荻上にとって意外だった。
笹原は他の先輩達に比べるとめちゃくちゃ濃いわけではないが立派なオタクだ。
「入ろうとは思ってたけど、俺隠れオタだったしねえ。」
「え?隠れオタですか?」
「そうそう、高校の頃は自分隠してて本当の友達なんて出来なかったし。」
「え・・・・?」
「俺大学デビューっていうのかな?ここ入るきっかけですらドッキリだったからねえ。」
「毎年恒例って言う・・・。」
「あれで自分が興味があること看破されなかったら今も同じだったかもね。」
(あ、そうか、だから先輩は私に優しいんだ。)
荻上が自分と似た境遇であることを気付いていた笹原。
この難儀な後輩のことを常に気遣っていたのである。
「いやー、一回覚悟決めると後はまあ、知ってのとおり。堕ちるところまでって感じ。」
笹原はあはは、と笑う。
「でも後悔はしてないよ。この大学生活が終わることが寂しくてたまらないんだ。」
就職で必死になっている間に思い出していた今までの生活。
笹原はぼんやりと周りを見渡す。
「本当、色々ありました。」
笑みを浮かべ、懐かしむようにつぶやく。
そのまま、机に突っ伏して、顔を組んだ腕の中にうずめる。
「先輩・・・・?」
すー。すー。
そのまま寝入ってしまったらしい。
「疲れてるんだなあ。」
泣き止んだ頃に帰ろうかと思っていた荻上は、
「先輩をほっといて帰るわけにも行かないし・・・。
いや、そうじゃない。きっと私はここにいたいんだ・・・。」
先輩がいっしょにいる空間。
もう、そう長くあるわけではないこの空間にいられるから。
(寝ててもいい。少しでもいっしょに・・・)
(やっぱ私は弱いのかな?でも、それでも・・・。)
(少し疲れちゃったなあ・・・。)
そう思うと荻上も机に突っ伏して、いっしょに寝入ってしまった。
「・・・うえさん、荻上さん。」
声をかけれられて目を覚ますと、笹原が微笑みながら起こしてくれていた。
「・・・はっ、すいません。私寝入っちゃったみたいで・・・。」
「いやいや、お互い様だよ。俺が先に寝ちゃったからねえ。」
あはは、といつもの笑い方をする。
「あ、もうこんな時間。先輩、帰らなくてよかったんですか?」
「ああ、別に明日まではどこにいても。荻上さんが起きたら帰ろうかなって思ってたけど。」
「す、すいません・・・。」
「だからいいって。・・・・いいもの見れたしね。」
「え?」
「いや、いや、なんでもないよ・・・。あはは・・・。」
(いえないよなあ・・・。寝顔を見てたなんて・・・。)
「そうですか・・・。じゃ、帰りましょうか。」
「うん、そうしよっか。」
荻上は手早く荷物をまとめると、すくっと立ち上がる。
笹原も荷物を持つ。
「あ、荻上さん。」
「なんですか?」
「なにかあったら相談してね。頼りない先輩かもしれないけど、話聞く位なら出来るから。」
「え・・・。なんで、急にそんな事言うんですか。」
「いや、大したことじゃないんだけどね・・・。最近、これないからさ。なにかあっても、わからないし。」
「・・・・大丈夫ですよ、私そんなに弱くないですから。」
「そっか。ならいんだけどね。あはは。」
つっけんどんな荻上の答えに、いつものように、笹原は笑う。
(先輩、泣いてたの気付いてた?・・・でも、突っ込んで聞いてこないなあ・・・。)
それが彼の優しさである事にとうに気付いている。
「・・・でも、一人で手に負えないときは・・・お願いします・・・。」
「ん?ああ、まかせてよ。頼りにならないかもしれないけど。」
「いえ・・・、そんな事ないですよ・・・。」
(きっとそう。私が困っているときに一番頼りにするのはこの人なんだろうなあ。)
(誰よりも、この人に会いたかったのかな、私は・・・。)
自分の中で新しい感情が目覚めていることにはとうに気付いていた。
(先輩が就職が決まったら・・・。この想い、いってみるのもいいかな・・・?)
今はきっと言っちゃいけないから。
(でも先輩、就職決まるんだべかぁ?)
「荻上さん?」
「え、あ、はい!」
「なにか考え事?」
少し笑って、訊ねてくる笹原。
「い、いえ、なんでもありません。就活、頑張ってくださいね。」
荻上は考えを読まれてしまった気がして、真っ赤になってうつむいて答える。
「うん、そうだね。頑張るよ。いろいろ、あるしね。」
「いろいろ?」
「あ、あ、なんでもないよ。さあ、帰ろうか。」
笹原はあわてて扉のほうに向かう。
(いろいろ・・・?考えても仕方ないか・・・。)
荻上も後ろについていく。
ガチャ。
バタン。
帰り道にて。
「そういえば、今日は他に誰も来なかったねえ。」
「そうですね。大野先輩は午前のみだからきっと上野だし。」
「春日部さんと高坂君も忙しそうだしねえ。・・・・朽木君は?」
「あ!」(わすれてたあ・・・。)