朝、起きたら早歩はぎっくり腰!
動くこともままならず、十川家に童子を預けるべくSOSを。
十川は早歩の面倒も看るといって聞かず、食事の支度までしてくれた。
もし自分に何かあったら、言葉を出せない童子は電話して誰かに助けを求めることも出来ないと
急に不安になる早歩。
十川は、十川母が童子にあげた玩具の中から笛を持ってこさせる。
何かあったら十川家に電話して笛を吹けばいい。
「早歩に何かあったら」という言葉に童子は懸命にホイッスルを吹く練習をはじめる。
長い間喉を使っていない童子は声帯が弱くなっているに違いない。
笛を吹けば訓練になるというのが十川母のそもそもの計画。一挙両得というわけだ。
声帯の退化など考えてもいなかった早歩はショックを受けるが、
「それはあなたがこのままの童子さまを愛しいと思ってくれた初めての人だから」
と十川は慰める。
他の親戚たちは、童子を喋らせること、遺産を手に入れるために自分の名前を言わせることに
ただそれだけに夢中だったのだから。
夕食を終えると、童子は十川家にお泊まりする事に。
携帯電話の向こうからかすかに聞こえる笛の音は、童子からのおやすみコールだった。
『お・や・す・み・な・さ・い』
童子が来て、早歩は自分が変わったと実感していた。
以前は仕事一筋で自分のことは後回し、今はカドが取れてきた気がする。
十川もまた、童子を喜ばせるために家で子犬を飼うことに決めており、昼休みにペットの本を
読んでは不審がられているという。
まるで父親と母親のように温かく童子を見守り育てている二人。
しかし! 十川母から凄い剣幕で電話がかかってきた。
十川がナルミという女と一泊で出かける、と旅館の予約確認で知ってしまったのだという。
ナルミって…童子の叔母の鳴海貴里江?
條辺の本家に行くつもりだと察して早歩は同行を申し出る。
「恋はライバルがいないと発展しないわねっ!」うまく焚きつけられたと思って十川母は
上機嫌であった。
童子の過去を探るために條辺の本家を訪れる三人。
屋敷は綾子の死後も、そのままに管理されていた。使用人の妙が三人を迎える。
曾祖母である都子(童子の祖母である綾子の姉)と対面した早歩は、ついに
童子の過去を知った。
綾子は自動車事故で急死した童子の父親を溺愛していた。
童子のワガママから息子たちは車を走らせ、そのせいで帰らぬひととなったのだ…と
思いこんだ綾子は彼女を憎み、綾子と都子の母親の名前でもあった「緋和子」の名前も
とりあげた。それから彼女は「童子」と呼ばれるようになったのだ。
顔も見たくない、側に置きたくないと言って童子を無視する綾子に、都子も戸惑い
妙は泣いて訴えた「顔も見たくないと。面でもつけていろと言うんでしょうか」
大人達の会話を敏感に察した童子は自分から言い出したのだ。
「お面したら、ばーちゃ、抱っこしてくれる?」
だが綾子はそれでも童子を許さなかった。
喋るな。人形のようにしていろ。それが出来ないなら、出て行け。
やがて童子は言葉をなくし、本物の人形のようになってしまったのだった。
童子の両親の墓前に手を合わせ、三人は帰路についた。
貴里江はつっけんどんな様子で童子へのお土産を手渡し、今度会わせてと言った。
「いつかあの子が大きくなった時、お母さんがどんな人だったか
教えてあげられるのは私だけなんだから」
ホテルに長期滞在していた作家の須藤先生が久しぶりにやって来た。
作家生活50周年記念パーティーの花束贈呈を、童子と、長期滞在仲間だった
マダム葉瀬にやってもらいたいというのだ。
面をつけたままの童子を、人々やマスコミがどう思うのかと不安になる早歩だが
毅然とした態度で通すことにした。
問題は着物だった。
童子は綾子を思い出すのか、和服の女性にひどく怯える。
マダム葉瀬が和服を着たために、案の定逃げ出し、隠れてしまった。
「千代おばちゃまと須藤のおじちゃまにお花を届けるんでしょ、出ておいで」
マダム葉瀬も言葉を添えた。
「千代さんは童子ちゃんのお着物好きよ。キツネのお面も大好き。
だから童子ちゃんも、和服の千代さんもお着物の千代さんも、好きになってほしいの」
千代さん泣いちゃうよ? と早歩に言われて、ついに出て来た童子。
二人の半襟はマダム葉瀬の見立てでお揃いだ。
「嬉しい?」と聞かれ、指でハートマークを作ってみせる童子をマダムは抱きしめた。
「童子ちゃん、大好き」
パーティーは無事に終了した。童子の花束贈呈は「かわいい」と騒がれたものの
思ったほど奇異な眼では見られなかったようだ。
むしろ問題は須藤先生の新しい担当が、早歩に猛烈なアプローチをしてくるところ。
「不仲になーれ、不仲になーれ」
邪悪な呪文を唱える十川母。
一方、早歩はまったくその気がない。今は童子だけで手一杯。
それに、須藤先生から住んでいた家に管理人代わりに入って欲しいと言われた事で
頭がいっぱいだった。
憧れの一軒家で童子を育てられる。自由にリフォームしてもいいという好条件だ。
引っ越しの準備で忙しくなった早歩は、童子の小さな変化に気づかなかった。
部屋の隅に積まれていく荷物と自分を見てくれない早歩。
十川母に連れられてマンションに戻った童子は、荷物が運び出されてからっぽに
なった部屋を見てショックを受ける。
マンションの外に早歩の姿を見つけ、飛びだそうとするのだが、子供の力では
エントランスのガラス扉が開けられない。
早歩が行っちゃう?!
「やーっ」
いや、と泣きながら抱きついてきた童子。
童子は自分の両親の遺品が処分されるのも、色々な家を転々とさせられる時も
いつも荷物が積み上げられるのを見てきた。
「いやな思い出がつきまとっているんでしょうね」
十川の言葉に、驚かせようと思って、黙っててごめんねと早歩は詫びた。
人形のように何もかも黙って受け容れてきたこの子が、初めて嫌だと言った。
いつかおまえと別れる日が来たら、今度は私がひとりでは歩けなくなるだろう…。
三巻おわり。