ネギま 刹那uzeeeeeeeeeeeeeeee

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188マロン名無しさん
 ――御母様、何故笑ってらっしゃるのです――
 ――それはね、刹那。母様はとても幸せだからよ――



 お嬢様は何より美しく、そしてお優しかった。
お屋敷の人達から言外に疎まれていた私に、鞠のように柔らかな笑顔で微笑みかけてくださった時の事は、
今でもハッキリと覚えている。

 その時の私は言わば迷い子。
両親を亡くし、引き取り手の無かった私は、とある神鳴流剣士の元へと身を預けられ、
そのすぐ後に近衛のお屋敷へと連れてこられたのだ。
 母は繭の様に優しく、父は大岩のように逞しい人だった。
父母の最後は杳として思い出せない。
私はただ、腑をまき散らし、目を焼き潰され、喉元を切り裂かれた両親の死体を前に、
血塗れの床に座して、その光景を見るともなしにぼぅっと眺めていたらしかった。
父が畑仕事に来ないのを訝しんだ或る村人がそれを見つけ、そして私に尋ねたらしい。
――一体全体、何があったのかね――
化け物が殺した。と私は答えたそうだ。
――化け物……烏族、かね――
私の母は烏族だった。
私の父を愛し、普段は人の姿を取り、そうして村の外れで二人、
私が生まれてからは家族三人、ひっそり息を潜めるように暮らしていた。
村の人達もその事を知っていたし、私達に対する態度はどこか余所余所しいものではあった。
しかしお互いに最低限の交流はあったし、村を追い出そうともしなかった所を見るに、
彼等はむしろ寛容ですらあったのだろう。
……烏族のしきたりか何かを破った末に、殺されでもしたのだろうか。
村人がまずそう考えたのも無理からぬ事だ。
しかし私は、違う。見た事もない化け物だ。と答えたらしかった。
今では全く覚えにない事だが……ともかく、こうして私は天涯孤独の身となった。
 ――哀れな事よなぁ。村長の家で一晩眠りこけた後には、すっかりその時の事を忘れてしまっていたらしい――
 ――無理もない。半妖とは言え幼子、ショックが大きすぎたのだろう――
189マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:27:39 ID:???
 ――まさかとは思うが、よもやあの子供が両親を――
 ――これ、滅多な事を言うな。あの娘の普段はお主も知っておろう、そんな事のできるような子ではない――
 ――しかしどうする。父親は烏族と結ばれた事で、親族から縁を切られているそうだが――
 ――母親に至っては何処から来たのかも分からぬ。そもそも、烏族に預けるという訳にも――
 ――かといって此処にはあの子を引き取ろうという者もおらん。後は国に押しつける、か?――
 ――まぁ待て。私の知り合いに神鳴流の者がおる。妖の類においては彼等が適任、まずは話だけでもしてみようと思うが――
そうして、あれよという間に話は進み、一週間を待たずして私は近衛のお屋敷にその身を置く事となった。

 右も左も分からぬばかりか、帰る家さえ無くした迷い子。
そんな私が屋敷へ来て、初めて他人から向けられた笑顔。
その真黒な瞳の中に映る私の顔は、きっと戸惑いと驚きの感情で強ばってしまっていたに違いない。
笑顔がこんなにも人の心をかき乱すものだったとは、私は全く知らなかった。
「なぁなぁ……もし良かったら、ウチとお友達になってくれへん?」
だからだろうか。
その言葉も何だか夢物語じみていて、私の思惟はいよいよ千々に乱れる。
誰にも心など許すものかと頑なになっていた私は、その内面の檻をいとも容易くこじ開けられてしまった。
その日、私とお嬢様は、お互いに生まれて初めてのお友達となった。

 ――正気ですか。烏族の血が入った半妖を、お嬢様のお側に置いたままにするだなどと――
 ――あの娘は刹那をいたく気に入っている。なにより、生まれて初めて出来た友人なのだ――
 ――烏族は人外の化け物。時には人を化かして此を喰らったという伝説もあります――
 ――伝説は所詮伝説。記録によればここ数百年、烏族が人を襲った試しは一度も無いそうではないか――

 ある日の事だ。
私とお嬢様は二人、お屋敷の側の小道を当てもなく散歩していた。
桜の舞う季節だった。
芳潤な香りが満目に漂い、その中を瑞々しい花々が舞うようにして震え、ひらり落ちる。
昼下がりの小道は静粛かつ柔和な空気に満ちていて、私達は時にとりとめもない話を語らい、
時に顔を見合わせ微笑み合った。
 そこへ、一匹の気性の荒い子犬が現れた。
190マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:28:23 ID:???
黒い毛並みに凛々しい顔付きはいかにも野良と見え、オンオン吠えながら私達二人を威嚇してかかる。
しかし、神鳴流剣術の基礎を学んでいた私は、其れを以てして見事子犬を追い払った。
子犬の姿が消えるやいなや、お嬢様ははっしと私にしがみついた。
柔らかい温もりが背中を伝い、野良犬との対峙で緊張に強ばった私の体をほぐしていく。
「せっちゃん、ウチ、怖かったぁ……」
泣きすするお嬢様を抱き留め、私はその耳の側へ口を付けて、
「もう大丈夫や。何があろうと、このちゃんはウチが守りますえ」と、そう囁いた。
顔を上げたお嬢様の瞳には涙が湛えられていて、それがすっと一筋……頬へ流れ落ちたと思ったら、
お嬢様は濡れたそのお顔に満面の笑みを浮かべられた。
それを見て、私は再びその心を激しくかき乱された。

 ――幼子ながら、身を挺して野良犬からお嬢様を庇ったというではないか――
 ――いやいやしかし、アレは仮にも半妖。伝説によれば、烏族は人を化かすのが得意であったとか――
 ――やれやれ、ヤツの心配性にも困ったものだ――
 ――いや全く。あの子は年のわりに礼儀も正しく、剣の腕も立つ。なかなかどうして見所がある――

 その一件以来、お屋敷の人達が私へ向ける目は次第に変わり始めていた。

 そんな折り、私は"詠春様より重大な話がある"との言伝を受け、
それまで近づく事を禁じられていた離れの個室へ一人訪れる運びとなった。
 建物に入った途端、お屋敷よりも一層強い木の香りが私を包み込んだ。
時折お香のような匂いがかすかに私の鼻をつき、厳粛な雰囲気がますますもって盛り立てられる。

 正座して緊張に身を固くする私を出迎えた詠春様は、開口一番こう言った。
「もうじき、木乃香を関東魔法教会のお膝元である真帆良へと……引っ越させるつもりだ」
!!!
微動だにしない程押し固められていたはずの私の体が、ビクリと震えた。
「刹那よ、お前はあの娘に良く接してくれた。おかげであの娘は以前よりも感情豊かになった。
 これならば真帆良に引っ越してからも上手くやっていけるだろう……私から礼を言う、本当に有り難う。
 心から感謝している」
「……いえ、私などには勿体ないお言葉……」
言葉と裏腹に、私は心中おだやかではなかった。
191マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:28:53 ID:???
お嬢様と、離ればなれになる……?
関東魔法教会の地ともなれば、そうそう会いに行く事も出来なくなるのではないか……???
ともすれば文句の一つも口を突いて出そうな私に、続く詠春様の言葉が耳の中へと無為に入り込んできた。
「刹那よ……どうだろう、一つ木乃香の護衛となってみる気はないか?」
「……え?」
あまりに無為過ぎたものだから、其れの意味する所が直ぐには理解出来ない。
「なに、難しく考える必要は無い。
 要は木乃香の回りに常にその身を置き、時に曲者からあの娘を守ってくれさえすればいい。
 だがそのためにはより一層の修行が必要であろうし、護衛としての心構えも要求される……
 まぁ、そう固く構える事もないがね。
 今から修行に打ち込めば、お前ならば中学に上がる頃にもあの娘の護衛を任せられるようになるだろう。
 どうだろう。この話、引き受けては貰えないだろうかね?」
「……は、はいっ、喜んで!!!」

 その日から、私は一心不乱に修行へ明け暮れる事となった。



 断面に魅入られた。
固く覆われた其れを真二つに切り裂いた、その先に広がる断面の何と素晴らしい事か。
頑なに隠されていた内面よりこぼれ出す、儚くも美しい腑の何と眩い事か。



 修行は剣術に始まり、柔術、暗器術、果ては陰陽術にまで及んだ。
私はそのいずれをも、『この年の子供とはとても思えぬ早さ』とやらで身に付けていった。
中でも取り分け飲み込みが早かったのは剣術だ。
実戦に重きを置く神鳴流剣術では、獣の類を相手にした修行も多々行われた。
命の遣り取りをしうる以上、相手の命を実際奪う行為にも慣れる必要性があるのだろう。
これが意外と躓く門下生も多いそうなのだが、私の場合は何の躊躇いも無かった。
まるで息を吸うようにして、次々と狙いの獣達を切り伏せて行く。
 そうして、私が修行の締めくくりとして羆の群れを斬った時の事だ。
192マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:29:23 ID:???
「刹那よ。命あるものを斬る時、お前は何を考える。何を思う」
「……なにも、考えてはおりませぬ。ただただ、無心です」
羆達を切り伏せた後、剣術の師範から向けられた質問へ、私は淡々と答えた。
獣を斬るにも、人を斬るにも、一切の雑念を要としない。
ただただ神鳴流剣士としての任務さえ全うできれば良い……
一刻も早くお嬢様の護衛として認められねばと躍起になっていた私にとって、
それ意外に相手を斬る理由など有りもしなかった。
「そうか……では、刹那よ。お前は何故笑っている。
 何故にその口を歪めながら相手を切り伏せる」
「私が……笑っている?何を仰って……」
そう言って左の手を顔に当てて、初めて気がついた。
私の顔は確かに歪んでいた。
口元は斜めにつり上がり、目尻はさも愉快そうに垂れ下がっている。
「……神鳴流には、一般に戦闘狂と呼ばれるような人種も多い。
 なに、任務さえ確実にこなせるのであれば何の問題も無い。
 その点お前は心配要らぬよ、その腕前は私が保証しよう」
師範はそう嗤って、元来た獣道を足早に引き返して行く。
試験はもう終わっていた……本来ならば数刻かかってもおかしくない試験を、私はものの数分でこなしてみせたのだ。
「私はただ、無心で……」
本当だろうか?
……例えばそれは、獣を真二つに切り裂いた時の、指先から伝染する痺れたような疼き。
あるいは、ただひたすらに斬り、そして断面をさらけ出す事のみを無意識の自我として追い求めた。
斬るのみならず、その断面をも何より執拗に求めた。
何故?
……あぁ、そうか。
私は無意識の内に見惚れていたのだ。
相手を切り捨てた末にさらけ出される、その断面の美しさに。
かつて神鳴流一の戦闘狂と呼ばれた師範が、先行く足をピタリと止め、こちらを飄然と振り返った。
「ただ斬る事にのみ喜びを見いだす……お前は逸材だよ。紛れもない、な」
193マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:30:35 ID:???
違うのです、師範。
私は、わたしは……。



 断面に恋い焦がれた。
薄く覆われた其れを真二つに切り裂いた、その先に広がる断面の何と愛しい事か。
薄く隠されていた内面より溢れ出す、朱く温かい蜜の何と甘い事か。



 ――御父様、何故笑ってらっしゃるのです――
 ――それはね、刹那。父様もきっと幸せだからよ――

 「ん……」
窓枠にかけられたカーテンの隙間から零れる淡い光に、私はうっすら眼を覚ました。
学園の寮室に備えられたクーラーがごぅごぅいう幽かな音と、目覚まし時計のカチカチ鳴る音、
それと同室の者達の静かな寝息の他には、何も聞こえない。
手元の時計を見れば、時刻はまだ朝の4時を回ったばかり。
まるで鳥のように目覚めの早い事だと苦笑した。
それに答えるように、寮の近くで烏が一匹、カァと鳴いた。
――なにか、怖い夢を見ていた気がする――

 目覚めのシャワーを浴びながら、ぼんやりと考える。
何処か懐かしいような、何故だか怖ろしいような……そんな夢の漠然とした感覚だけが手元に残って、
しかし其の中身が思い出せない。
霧がかったままの頭をぶんと振り、代わりに、そういえば今日は七夕だったという事を思い出した。
私がお嬢様の護衛に抜擢されてから早三年目、従者という立場と数年の月日が生んだお嬢様との距離も、
ここ最近は急速に近づきつつある。
勿論これはネギ先生や明日菜さん達のおかげでもあるだろう。
目前をちらつく二人の顔に感謝の念を抱くと共に、胸の中が暖かくなった。
そうしてお嬢様の笑顔を思い浮かべる。
194マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:31:05 ID:???
京都のお屋敷にいた頃と同じ、鞠のように柔らかな笑顔……二人うち解けてからは自然、
そんなお顔を再びお見せくださるようになっていた。

 もぞり。

足の付け根をやや斜交いに、何かが這い上がる錯覚に襲われた。
それはさながら喜楽の熱源、どこか闇然とした粘り気を感じる。
……何だ、これは。
情欲の念にも似ながらどうにも異質だ。
相反する感情を綯い交ぜにしたような不気味な衝動に、私はおそれ、戸惑った。
と思うとたちまちの内に霧散し、後にはゆらり立ち尽くす、いつもの私だけが残る。
「……妙な夢を見たせいだろうか」
そうぼやいて、未だ鮮明さを取り戻せない鈍間な頭を振り振り、浴室を出た。
時刻は5時前、シャワーに思ったより長く時間を取られていたようだ。

 「なぁなぁ知っとる?まほら学園寮に纏わる七夕の伝説やって」
「なに亜子、ま〜た麻帆スポ?」
「何々、面白そうじゃん!どういうお話?」
「あんな、七夕の夜に寮の部屋で想い人と二人きりで交わると、お互い一生のパートナーになれるんやって」
「うひぃ〜、交わるって……随分過激な伝説だよね」
「ゆーながまたむっつりスケベしてるよー。
 交わるって言っても別にキスだけとか、ただ抱きしめ合うだけとかでも良いじゃんねー」
「このっ、むっつり言うなぁっ!!!」
「あははは……」
 何でもお祭り毎に仕立て上げるまほら学園生達にとって、七夕もやはり例外ではないようだ。
各教室前の廊下にはご丁寧に簡易な七夕の木が立てかけられ、生徒達それぞれの想いを託した短冊が吊されている。
七夕にちなんだ夜通しのイベント等も開催され、外泊も申請さえすれば容易に認められた。
ここまで融通のきく学園は、日本全国探しても此処くらいのものでは無いだろうか。

 「なぁせっちゃん、ちょっとの間でええから……ウチと一緒に歩かれへん?」
帰宅前のHRが終わると同時、お嬢様が足早に私の席へと歩み寄り、不安げな口調でそう言った。
ふっと花のような香りがした。
195マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:31:35 ID:???
「何処であろうとお供いたしますよ……このちゃん」
私に断られはしまいか心配なのだろう、だから私は殊更に優しい口調で、懐かしい呼び方でそう答えた。
ふっくらと笑みに綻びるお嬢様のお顔は、百合のつぼみの咲き開く様を思わせた。
いかにも儚げでどうにも目を離す事ができない。
美しき花が萎まぬ様に守りきるは、護衛の使命だ。

 私とお嬢様は共に連れ立って、学園を遠く離れた小川のほとりを当て処もなく歩いていた。
時折思い出したように鳴くセミの声が、どこかうら寂しさを思わせた。
「せっちゃん……学園寮に纏わる七夕の伝説って、知っとる?」
とりとめもない話に織り交ぜ、さりげない風を装って、お嬢様がそう切り出した。
「えぇ、今日の昼に亜子さん達が話しているのを拾い聞きしましたから、大体どのようなものであるかは理解しています」
「そか……」
ちょろちょろと流れる小川の音が、まるで私達の会話を盗み聞きしているかのように思えた。
気にもならなかったはずのセミの声がいやに喧しい。
悪意無きいたずら心が、物珍しげにこちらを窺っている。
お嬢様の言わんとしている事が、その想いが分かるからこそ、他の誰にも聞かせたくはなかった。
そう、今は世界にお嬢様と私……その二人きりでいい。
「せっちゃん……もし嫌やなかったら、やけど……」
のそり西へと沈む朱塗りの太陽を遮り、黒い烏が一匹、カァと鳴いた。
「今夜、ウチの部屋に一緒に……居てくれへん?
 ネギ君と明日菜は外泊で、夜の内はおらんから……」
そう言い切って、私の目をじっと見据える。
「お嬢様、先刻も言いましたでしょう……いつ何処であろうと、お供致します」
そうだ、木乃香お嬢様は……この人は私だけのものだ。
何処へでもついて行くし、何処までも離しはしない。
お嬢様と常に共に在るは、私だけだ。

 私は寮の自室で一人、制服のままベッドに仰向けになって寝転んでいた。
ルームメイトは七夕絡みのイベントへ出かけており、夜遅くになるまでは戻って来ない予定らしい。
体中が、風邪でも引いたかと思うくらい熱かった。
クーラーは存分に効かせてあるはずだが一向に火照りが収まらない。
喉が渇く。
196マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:32:06 ID:???
視界がぼぅっとする。
よもや本当に何かの病ではないかとすら思う。
頭の中にはお嬢様の顔、顔、顔、顔、顔ばかりが浮かんで、私の思考は無限の循環に囚われる。
お嬢様――お嬢様を、手放したくはない。
お嬢様と常に共に在りたい、一つになりたい。
他の誰にも触れさせはしない、誰の目にも届かぬ所へ囲ってしまいたい。
そうだ、そして――
お嬢様への思いに耽る時間は日々あれど、これ程までに強く想った事は今まで無かった。
恋の病か。病とはよく言ったものだ。
手先までもが震え出して、いよいよ病人の様相を呈してきた。
――七夕の夜に寮の部屋で想い人と二人きりで交わると、お互い一生のパートナーになれるんやって――
昼間の話題がふいに思い起こされた。
今夜お嬢様の部屋で、二人交わる……それは私にとって何より相応しい舞台のように思われた。
そうだ、そうしよう――

 お嬢様に指定された時刻は夜中の九時、今からあと十分弱と言った所だ。
片膝を立てて部屋の壁のデジタル時計に見入り、そのまますっと立ち上がると、
私は制服から私服へと着替えをすませ、床に置いたままになっている夕凪をひょいと拾い上げた。
私の手に握られただけで、只の器物に過ぎなかった刀が途端、生きているように見えた。
付喪の精霊でも宿っただろうか……鞘に収めたまま、軽く振ってみる。
何て事はない。いつも通りの夕凪だった。
一つ隣の部屋からは賑やかな音楽が漏れ聞こえてくる。
七夕にかこつけて友人同士集まり、どんちゃん騒ぎでも繰り広げているのだろう。
『Why won't you wake me up from this? All I need is a prince to kiss...』
この声は桜子さんだろうか。
英語の授業ではいつも舌を噛んでいるというのに、歌となると妙に発音が上手かった。
……そろそろ頃合いだろう。

 自室を出て、廊下づたいにお嬢様の部屋の前へ往くと、中の明かりが点いていない事に気が付いた。
コンコンと二度扉を叩いて、声をかける。
「お嬢様、刹那です。いらっしゃいますか?」
「……ええよせっちゃん、入ってきて。鍵は開いとるから……」
197マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:32:39 ID:???
言葉の通り、私がノブを捻れば何の抵抗もなく扉が開いた。
中へ足を踏み入れ、後ろ手に扉とその鍵を閉め、そうっと靴を脱いで部屋へと上がる。
照明が点いてないとはいえ真っ暗闇という訳ではなく、ダイニングのテーブルの上には蝋燭が立てかけられ、
その幽かな光が部屋の中を放射状に照らし出していた。
アロマキャンドルというヤツだろうか、ほのかに百合の香りがした。
……ぱさり。
音のした方へと目を向ければ、ベッドの上でお嬢様が掛け毛布を捲って半身を起こしていた。
――お嬢様は何も身に付けてはいなかった。
蝋燭の淡い光に、その素肌をすっかりと晒しきっている。
形の良い乳房が張りよく震えるのが見えた。
「せっちゃん……こっちに来て」
私はこくりと肯き、ゆっくりベッドへと歩み寄る。
左方の壁には窓枠があり、そこから覗く風景はすっかり真っ暗になっていた。
星明かりの一つも見えない曇り空。
これでは織り姫と彦星は相見える事かなうまい。
漆黒の闇にその身を溶かし、時節外れの烏が一匹、カァと鳴いた。
「このちゃん……」
「……せっちゃん」
近づく私の声に、お嬢様は体をこちらへ向け、ゆっくりと目を閉じる。
……あと三歩、二歩、一歩……。
―――。
しゅっ、と空を切り裂く音がした。

 「え……」

目を限界にまで見開いて、お嬢様が自分の腹を凝視した。
丁度ヘソの上をなぞるようにして、一本の朱い線が真一文字に引かれている。
と思うと、パカッと音でもたてそうな程に見事な大口が開き、血と腸と腑とが次々に零れだした。
「あっ!がっ……!!!」
奥歯をぎりぎり噛み締めてお嬢様が前のめりになる。
そこへ、再び夕凪を振るった。
198マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:38:46 ID:???
じゅっ!
首が飛んだ。
飛んで部屋の床にぶち当たり、そのままころころ転げてテーブルの足の辺りで止まる。
こちらに向いたそのお顔には、この上ない驚愕の色が浮かんでいた。
私は鮮やかな朱の色を次々噴き出すお嬢様の体へ向き直り、三度夕凪を構え、
腹の裂け目をなぞるようにして、一閃の元に刀身を薙ぎ払った。
お嬢様の上半身と下半身が綺麗に分かたれ、そこには何よりも美しい断面が……
幽玄なその姿を包み隠さずもせずにさらけ出される。
――美しい――
がらん、と夕凪が床に落ちる音がした。
誘われるようにして伸びた両手が、その美しい切口の中へ吸い込まれていく。
――私だけのものだ――
湯気の立ちそうな程に温かな感触と共に、腑がにちゃにちゃと私の手に絡みついた。
興奮が収まらなかった。
鼻からは熱い息が漏れる。
額に汗がにじみ出す。
頭の芯が芯でなくなり、膝下がガクガクと震えた。
――今一つに――
ずるっと引き出されたのは大腸だろうか、消化物のようなものが詰まっている。
噎せ返るような血の匂いにこめかみの奥が焦げ付く思いがした。
途端、脳の奥底から引き摺り出すようにして、私の中に深く沈められていた記憶がその鎌首をもたげ始める。

 あの日、私は畑仕事の手伝いの疲れから普段より早く布団に潜り、まどろむ間もなくすぅっと深い眠りの中へと落ちた。
 ……ふと、何か粘り気のある音を聞いたような気がして、パチリと目が覚めた。
虫の声の一つも聞こえない夜だった。
窓の外は漆黒の闇、月も星もその姿をすっかりと隠してしまっている。
音は居間の方から聞こえてくるようである。
私は母様に似て耳がいい。
父様や村の人達が聞き取れないような細かな音も、私の耳はこぼさず拾い上げた。
何だろう、その音がどうにも気になって寝付けないものだから、居間にいる誰か……父様か母様か
あるいは二人一緒か、その邪魔になってはいけないと思いつつも、其の正体を確かめずにいられなかった。
199マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:39:20 ID:???
寝部屋を出て、ひたひたと廊下を歩き、居間の襖をそぅっと開けて中を覗く。

にちゃり。

粘着質な音が響いた。
父様と、いつも通り人の姿を取った母様が、二人揃って居間の囲炉裏の側に居た。
母様も私と同じく耳が良いので、居間へとやって来る私の足音に気付いていて、
襖から覗く私の顔を見るやいなや、にっこりと微笑みかけてくれた。

にちゃり。

その吊り上がった口から、ピンク色の小さな切れ端がぽとりと落ちた。
人の腑だった。
まるで行儀の悪い子供がケチャップで口の周りでも汚すかのように、赤い色の汚れで母様のお口の周りはベトベトだった。
母様の側には腹に大きな口を開けた父様が横たわっていて、時折ビクンッと大きく痙攣をする。
やや離れた床には、その刃を真っ赤に染め上げた包丁が転がっていた。
寝ぼけた頭に目の前の光景は夢の一節のようにも思え、私はぼんやりとした心持ちで母様へ問いかけた。
「御母様、何故笑ってらっしゃるのです」
すると母様はそのお綺麗な顔をくしゃっと歪ませ、こう答えた。
「それはね、刹那。母様はとても幸せだからよ」
父様の体がビクンッ!と一際大きく震えた。
そのお顔はすっかりと引きつってしまっていて、まだ意識があるのかどうかも分からなかった。
その引きつったお顔が、私にはまるで笑っているかのように見えた。
「御父様、何故笑ってらっしゃるのです」
私は父様へとそう問いかけた。
「それはね、刹那。父様もきっと幸せだからよ」
代わって、母様がくしゃり顔を歪ませ答えた。
「幸せ……?」
まだ夢でも見ているかの思いで、私はぼそりと呟く。
――夢の中だから、これで幸せなのだろうか。
腑をついばみ、滴る血のしずくを舌で舐めとって、母様が鈴を転がすような音色で仰った。
200マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:39:50 ID:???
「ねぇ刹那、よくお聞きなさい。
 烏族の女はね、相手を強く愛すれば愛するほど、関係で結ばれるだけでなく、
 血の一滴から肉の一片に至るまで、其の全てと一つになりたいという欲求に駆られるようになるの。
 あなたは烏族の血を引いているけれども、まだ若いから……此れを理解するのは難しいでしょう。
 けれど、いつか其の時が来るやも知れません。
 そうしたらね、刹那。決してそれを抑えようとはせずに、素直にその欲求に従いなさい。
 それが烏族の女の幸せなのだから。
 本来そう強い愛を抱く事のない私達種族が、それほどまでに相手を愛せたという事は……
 私達一族の女にとって、何よりの誇りなのだから。
 尤も、相手を愛しすぎればその欲求を抑えようという気さえ起きないでしょうけれども。
 私みたいに何年も欲求を抑えて苦しみ続けるよりも、一思いにやってしまいなさい……だってね、刹那。
 母様は今、とっても幸せなのよ。
 里を捨ててまで添い遂げた人と、今こうして一つになろうとしている……これ以上の幸せが他にあるものですか」

にちゃり。

そう言って笑った母様の口から、再び肉片がこぼれ落ちた。
――誰だ。
これは母様じゃない。
烏族の姿を取った母様とも違う。
私はこんな化け物を知らなかった。
「それにほら、この父様のお腹の断面の、其の美しさを見てご覧なさい?
 烏族とは得てして物の断面を好むもの。
 あなたにもこの素晴らしさが分かる時がきっと……」
母様がこう言い終えようとしたその時、父様の体が突然に跳ねたと思ったら、
白目を剥いていた筈のその眼球が、ぐるりと回って囲炉裏の方を向いた。
そうしてその左手を何の躊躇もなく囲炉裏の中へ突っ込み、焼き切れを素手で掴み上げると、
焼けたその先を母様の右目へと一直線に押し付けた。
「いっぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
甲高い叫び声が私の耳をつんざく。
焼かれた目を押さえて転げ回る母様を脇に、父様は腹から臓物を零しながら半身を起こし、
のそりと這うようにして床をずっていった。
201マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:40:21 ID:???
やがて離れの床に落ちていた血塗れの包丁を手に取ると、頭を床に擦りつけて悶える母様のそばまで這いずっていき、
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっ!!!」と絶叫を上げ、包丁の刃を母様の首へと突き刺した。
腑をぶちまけながらも、母様の首を包丁の刃でギチギチと切り開くその姿は、まるで異形の化け物を思わせた。
――誰だ。
これは父様じゃない。
私はこんな化け物を知らなかった。
二体の化け物が血と肉とをぶちまけながらに揉み合い、仕舞いに私はこの争いに巻き込まれて
命を落とすのではないかとさえ思えたが、足がどうにも竦んでしまってその場を離れる事が出来なかった。
やがて化け物は互いに動き回る事を止め、ビクンビクンとただ痙攣を繰り返すだけになり、
次第にその痙攣も小さくなっていって、いつしか居間で息をするものは私だけになっていた。
私は見知らぬ化け物の骸を前に、血ぬれの床に座して、ただぼぅっとその光景を眺め続けるばかりだった。
――けれど、いつか其の時が来るやも知れません――
かつて母様だった化け物の残したその言葉だけが、まるで不吉な予言のように私の心を雁字搦めにしていた。
 そうして私はその出来事を心の奥の檻に押し込め、二度と浮かび上がってくる事のない様、
深い深い記憶の底へと埋もれさせていった。

 ああ、そうだった――今ようやくにして思い出した。
お嬢様の腑をついばみ、滴る血のしずくを舌で舐めとりながら、私は想った。

 かつて近衛のお屋敷で、最後まで私に警戒心をありありとぶつけてきた男の言葉が、
忌々しげにこちらを睨み付けるその顔と共に、ゆらり脳裏へ浮かび上がってくる。
202マロン名無しさん:2005/08/03(水) 08:41:05 ID:???
――半妖め。私は騙されんぞ。伝説曰く、烏族は人を化かすのが得意であったと――
成る程、傍目にはそう見えるだろう。
ダイニングのテーブルの足の側には、その顔に驚愕の極みを張り付けたままのお嬢様の頭が、
こちらを真正面に見据えている。
――時には此を喰らいもしたそうではないか。忌々しい化け物め――
成る程、傍目にはそう見えるだろう。
くちゃくちゃとお嬢様の肉片を噛み締め、溢れ出る密の甘さに顔を綻ばせる……お嬢様の味がした。
 ――だが、違う。
これは偽りとも裏切りとも違う、紛れもない『愛』だ。
お嬢様の血の一滴、肉の一片が、今まさに私と……真に一つになろうとしている。
これが愛でなくてなんだと言うのか。
お嬢様の半身の断面に見とれ、その中に手を差し入れて、掻き出しては其れを啜る。
お嬢様の命と私の命が解け合うのが感じられた。
愛しいからこそ、慕うからこそ、より近づきたいと思う……身も心も一つになれればと。
そう、私はお嬢様に、お嬢様は私になるのだ……これ以上の幸福などあろうものか。

 あぁ、お嬢様、御母様……私は、刹那は……幸せで御座います!!!