17年前の東京。
祖母(皆実の母)、父(皆実の弟)、弟と団地に暮らす
石川七波(ななみ)は、男子に混じって草野球のショートを守る、活発な小学5年生。
名字が石川だからという理由で「ゴエモン」と呼ばれている。
母は既に亡く、連絡帳に書く事はいつも決って
「おばあちゃんは、弟と病院です。お父さんは、会社です。」
その後は、隣の一軒家に住む同級生、利根東子(とうこ)と遊んだ事か、野球の練習に参加した、と続く。
春のある日。
いつもの様に野球の練習をしていた七波は、シートノックの球を顔面に当ててしまい、鼻血を出す。
監督に休んでいる様に言われた七波は暇になり、
辺りに散った桜の花びらを集めると、グラウンドを抜け出す。
駅で偶然、ピアノのレッスン帰りの東子に会った七波は運賃を借り、
彼女と一緒に、弟の凪生(なぎお)が入院する総合病院へと向かう。
ここへは、祖母も通院している。
病室に着いた東子は、喘息で腕に点滴を付けた凪生に同情したのか、
自分のピアノの楽譜を破り、自分が一番好きな曲だと渡す。
七波は凪生のベッドに立ち、桜の花びらを上から降らせる。
「凪生が休んでるから、小学校の桜の出前に来たんだよ。」
興が乗った東子もどんどん楽譜を破り、小さく千切ると、花びらの様にワッと空中に散らす。
そこへ検査を終えた祖母がやって来て、七波は大目玉をくらう。
祖母に伴われて利根家に謝罪に行き、帰宅した七波は洗濯物を干す。
ベランダからはピアノを弾く東子のシルエットが見えた。
互いに即興で口笛とピアノを合わせ、楽しい気分になる七波だったが、
ふと振り返ると、室内では帰宅した父に、祖母が検査結果の封筒を渡しているところだった。
翌朝。
登校時に赤い目をして現れた東子に、七波は昨日の事で叱られたのかと心配するが
東子は夜中まで宿題の作文「将来のゆめ」を書き直していたのだという。
日々の慌ただしさに紛れ、七波は東子の夢を聞きそびれてしまった。
その夏には祖母が亡くなり、秋には凪生が通院する事になり、
病院の近くに引っ越したので、東子とも、何と無く疎遠になっとしまった。
七波の夢は「東子ちゃんの様におとなしい子になる事」だったが
転校先でも相変わらずお転婆で、やっぱりあだ名は「ゴエモン」になった。
2004年、夏の東京。七波は28歳で会社員。
父は仕事を退職し、凪生は努力の末に医学部に入り、今は研修医になっていた。
凪生は病院で、偶然にも看護婦になっていた東子と再会し、親しくしている様だ。
そんな話を聞き流した七波には、父・旭の事が気掛かりだった。
最近自宅の電話代が跳ね上がり、旭は散歩と称して出かけては、
二日間帰ってこなかったり、という事がままある。
凪生は宿直で家を空ける事が多いのであまり判らないが、
七波は父がボケたのではないかと心配しているのだ。
ある週末の夜、買い置きしていた桃が無くなっているのを、
七波は旭に「食べたのか」と聞く。
旭は「食べたかも」と答え、散歩のついでに買ってくると外出。
心配になった七波は跡を追う。
帰宅していた凪生にそう告げると、関心無さそうに「いってらっしゃい」と言われ、こちらも何かおかしい。
一方旭は、自転車の籠に隠してあったリュックを背負い、何故か駅へ。
七波が妙な散歩だと跡をつけていると、突然「七波ちゃん」と呼び止められる。
17年ぶりに見る、変わらない東子の顔。
彼女に何をしているのかと聞かれた七波は、まさか父のボケが心配で
とも言えず、「家庭の事情で尾行などを」と言葉を濁す。
前方に旭を発見した東子は、さり気ないふうを装ってその後ろに付くと、
彼が買った切符と同じ切符を2枚買い、少々強引に七波と行動をともにする。
旭は東京駅で降り、広島行きの高速バスに乗ろうとする。
たいしたお金も持たずに出てきた七波が諦めかけると、
東子は「貸すわよ」と、バスの切符を2枚買い、またも強引に七波に渡す。
乗り込む前には自分の上着と帽子を七波に被せ、とっさに変装させるという機転まで見せる。
二人は難無くバスに乗り込み、旭から離れた席に座る。
何とはなしに気まずい七波は、看護婦になったという東子に凪生の話をふる。
凪生は皆に可愛がられていて、やはり「ゴエモン」と呼ばれているらしい。
「よく似てるからすぐ分かった」と言う東子。
七波は気が詰まり、「見付かるといけないし、もう寝よう」と東子に背を向ける。
窓に映る東子を見つめながら、七波は秘かに「会いたくなかった」と思う。
「この人の、顔といい、髪といい、
あの桜並木の町の、日溜まりの匂いがする」
まだ祖母が生きていた、あの頃。
もう寝たきりになって、ボケていた祖母は、七波を娘の友達だと勘違いし、よく
「なんであんたァ助かったん?どこへ居りんさったん?」と聞いてきたものだった。
(娘は、もう帰ってこないのに)その事は今も、苦い記憶として七波の胸に残っている…
広島に着いた二人は、少し離れて旭を尾行する。
彼は七波の知らない年輩の婦人を訪ね、玄関先で何か話をしては、同じような年の婦人達を何軒も訪ね歩く。
進展の無い尾行に飽きてきた様子の東子に観光を勧め、七波は一人で旭を追う。
やがて旭は平野家の菩提寺を訪ね、リュックから出した桃を墓に供える。
平野の墓には、旭の実父と三人の姉、そして実母(七波の祖母)が眠っている。
旭は疎開先の茨城の親戚宅で終戦を迎え、その後も大学まで広島に帰らず、その家の養子になった。
彼は「ヒロシマ」を知らない。
寺を出た旭は川沿いに出、そこで待ち合わせをしていたらしい老人と河原に座って長話をする。
この河原は、かつて戦争スラムと呼ばれ、バラック小屋が密集していた場所だった。
皆実が暮らした場所。今は整地され、美しい緑野が広がる。
退屈になった七波はふと思い立ち、東子に連絡を取ろうと、借りっぱなしになっている上着のポケットを探った。
別れ際に渡された東子のケータイ番号のメモと、前から入っていたらしい手紙。
それは、凪生から東子に宛てたものだった。
『利根東子様
今日、ご両親がみえて、もう貴方に会わない様に、と言われました。
僕は、祖母や父や姉に大切にされて、今まで生きてこられました。
東子さんのご両親だって、同じだけ東子さんを大切に思ってこられた筈ですよね。
だから、その人達を裏切ったり、悲しませたりする権利は、僕にあるとは思えない。
ただ、僕の喘息ですが、環境のせいなのか、持って生まれたものなのかは判りません。
今はすっかり元気です。
姉は今も昔も元気です。
さようなら 石川凪生』
おとなしい筈の東子の強引な様子に思い当たった七波は、
そのまま父の背中を眺めながら時を過ごす。
老人と別れた旭も、じっと河原に座り、過去へと想いを馳せていた。
(旭の過去)
広島の大学に入学した旭は、実母と暮らす様になる。
洋裁の仕事で生計を得ていた母は、近所の戦災孤児の女の子に裁縫を教えたりしていた。
よく来ていたのは中学生の兄と暮らす、「少し頭が足りない子」だと評判の京子だった。
手先が器用な京子は裁縫の上達は早く、母は彼女を娘の様に可愛がっていた。
自然、旭とも親しくなり、彼女の身の上話を聞いたりもした。
「うちねぇ、赤ちゃんの時、ピカの毒に当たったん…
ほいで、足らんことになってしもうたんと」
「誰が言ったの?」「みんな言うてじゃ」
「先生も?」「うん」
「…すぐ原爆のせいとか決めつけるのは、おかしいよ」
旭は京子の勉強をみてあげる事にし、暇を見ては、彼女と過ごした。
京子は旭が標準語を喋るのを聞いては「東京におるみたいじゃ」と嬉しがった。
(現在)
昼を大分過ぎ、七波は、平和資料館を見てきたという東子と落ち合う。
東子はおかしな様子で、暫く黙っていたかと思うと、突然吐いて、うずくまってしまう。
その間に旭は宮島行きのバスに乗って行ってしまう。
気分の悪そうな東子をほっておく訳にもいかず、七波はラブホテルで休憩する事に。
部屋に入ると、東子は七波に謝り、自分は看護婦失格だと言う。
「あれが家族や友達だったら、と思っただけで、もう…」
「関係ないよ。その方がまともなんだよ、多分」
そう慰めると、東子の吐いた物での汚れた服を洗おうと七波は洗面所に立つが、その間の服をどうしようかと途方に暮れる。
東子は備え付けのガウンを勧め、ドライヤーもあるから、と慣れた様子で指示を出す。
ポケットの手紙を思い出し、凪生と来たのだろうか、と下世話な想像をする七波。
ホテルを出、旭を見失ってしまった事を謝る東子に、七波は宮島には叔父が居るから心配はない、と言う。