マロンで東城綾を徹底的に叩き潰すスレ Part2

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474262
やっと論文書きあがりました…蝶長いです。

★前置き。

今回は東エンドの恐怖に対するカウンター的治療法として、2chで最も勢力の強い西エンドについて自説を展開する。
実はそうなった場合いちご100%はこの手の恋愛漫画としてはかなり凄い偉業を成し遂げるのだ。
傑作と言っていいメタファーを持っている。そして今回は直接の東城叩きではない。
あくまで東城のライバルとして位置づけられている西野がエンドを迎える意味の検証だ。対比としての東叩きである。
その点で他派には前もって謝罪する。これも第一話に東と西を出した河下先生を恨んでくれ。

では下記へ。
475262@論文1:04/05/18 03:52 ID:???
★いちごが西エンドに辿り着く意味とその必然性(東エンドにならない理由)についての考察。
では第一話から順に検証してみよう。
真中はいちごパンツの女の子を好きになる→いちごパンツの女の子は西野ではないかと疑う→
→それとは知らず真中は東城と仲良くなる→西野に告白し、付き合うことになる→
→いちごパンツの女の子が西野じゃないと分かる(東城の後ろ姿を見て)。

第一話が意味しているのは、真中の※運命の相手は東城であるということ。
そしてここで重要なのは※勘違いで西野に告白し、付き合ってしまったことだ。
大抵の読者がそうであるように、自分もまた東城がメインヒロインであるという認識が捨てきれない。
これは第一話の印象が 西(容姿) 東(中身) という構図になっているためだ。
そして容姿の上でも真中にとっての理想の女性、映画に撮りたいという幻想を描かせた女性は東城だった。
これはよくある東派の妄想ではなく、いちご100%作中の事実であり否定したくても否定できない。
中学卒業までの真中の心は、明らかに東城にのみ傾いていた。
西野は「綺麗」「可愛い」という程度の重要性しかなく、形式上「付き合っている」状態だった。
西野自身も第一話の時点で真中が東城に対して浅からぬ情を抱いていることを知っていた。
真中は彼女としての西野より、映画の話し相手としての東城を欲したのだ(この頃はメガネ付)。
しかし真中は西野に告白してしまった手前、露骨に東城を優先させることはできない。
その葛藤を見抜いた西野は、当初の目標を変え(二話12〜13P)真中とは別の高校に進学したのだ。
ここで西野は一度退場する。理由は何か? もちろん漫画の都合上、東城を明確なヒロインに据える布石だろう。
しかし「目標をもって進路を決定した」真中へのコンプレックスでもあったはずだ。
再登場(三巻26話)の折、西野はそれをはっきりと真中に伝えている。自分には夢がなかったと。
夢を追い求める真中と、それに付き合っていける東城。この関係に嫉妬したのもある。
西野は真に真中と対等になりたいと考え、夢を探したのだ。
そしてその夢の形(料理修行)が見えてきたとき、一度は別れを決意して真中に会いに行ったのだ。
結局39話で別れることになるのだが、その際に真中は「※勘違いで始まった恋」と明言している。
476262@論文2:04/05/18 03:55 ID:???
そう、真中と西野とは本当に勘違いで始まった恋だったのだ。
あえて書くとすれば運命(東城と結ばれること)に敗れて当然だったのである。
※「運命」の明文化は十巻85話で東城本人の口から出ている。

先に述べたように、いちご100%は当初「運命の出会い」と「勘違いの恋」を対比させていた。
そして五巻の時点で西野は敗れ、舞台から降りてしまった。二度目の別れである。

しばらく真中はそれを引きずるも連載の展開上すぐに東城へと心を戻す。
そして西、東、ともに転機となるのは奇しくも一周年である50話「予感」。
真中はこのとき東城に対し第一話の頃からの自分の思いに気づき、東城を抱きしめている。
この頃の真中はにいちごパンツの女の子が東城だと分かっていた。
真中にしてみれば正に運命とはこのことかといった感じで、だからこそ二人は〜と浮かれていたのだろう。
そして面白いことにこの50話ラストで西野は二度目の復活を果たす。
東西ヒロインが同列上に位置していることがここでも明確になっているのだ。

53話、東城を後ろから抱きしめてしまった真中はこのときもう一度第一話を振り返る。
「最初からこの娘のことを」 真中の想いはそれにすべて集約されている。
この時点で東城側の勝利は確定したと誰もが思うだろう。
ところが!
真中は次の54話で西野と再会する。西野は真中と別れたあとも成長し、強くなっていた。
真中はそんな西野に対し自分が「ちっともレベルアップしていない」と自己嫌悪する。
失恋さえも前向きに捉え先に進む西野に比べ、成長していない自分が恥ずかしかったのだ。

ここであらすじに区切りをつけるなら、ここからが西野の反撃である。
そして作者自身も当初は予測し得なかったはずの超展開へと移っていく。
477262@論文2:04/05/18 04:03 ID:???
最初に書いたとおり、今回の論文で重要なのは西エンドのもつメタファー(隠喩)である。
ここからはそれを念頭に読んで欲しい。
繰り返すが、西野は真中に対し「自分には目標がない」とコンプレックスを抱いており
そのために自分を磨き真中と対等の付き合いをしたいと考えて別の学校に進学し、自分の目標を見つけた。
真中と別れたことさえも、自分が立ち止まっていると感じたからだ(39話)。
そして最初こそ真中に追いつきたかった西野は、39話・54話の時点で真中を追い越してしまった。
ここからも西野は先へ先へと進んでいくヒロイン像だと分かる。

あらすじに戻ろう。59話・60話で正式に西野は作中での復活を果たす。
そして61話で真中は映画館でバイトを始める。そしてその近くのケーキ屋で西野もまたバイトをしていた。
夢への目標に近づこうとしているのだ。
これをあの二巻17話で西野が言った「好きな人に自分をあわせたくない」
「好きなことをやってチャンスをものにしたい」「そういうのをお互い分かり合えたらいいな」
という西野自身の言葉の小さな実現と、その第一歩だと思うのは自分の深読みすぎだろうか?

さて一体何が西野の反撃なのかというと、実はそれだ。
西野は真中を追いかけてついには追い越し、自分の夢の実現に向けて真剣に取り組んでいる。
皮肉にも真中が火をつけた西野がである。けれど西野は決して真中を見下していない。
どういうことか、つまり西野は真中の成長を直接的に促しているのだ。九巻74話、これが最も分かり易いだろう。
真中が前を向き、上を見上げるとそこに誰がいるだろうか。そう、「成長」の女性、西野だ。

賢明な方はもう気づかれただろう、前文で自分はこう述べた。
真中は53話で「最初からこの娘のことを」と自分の原点を浮き彫りにさせた、と。
つまり真中が後ろを振り返ったたときに映る「原点」、それが東城なのだ。
478262@論文4:04/05/18 04:08 ID:???
ここで一旦あらすじを東城に戻そう。
実は東城は盲目的に「原点」に縛られている女性である。
東城にとっても原点とは言わずもがな、主人公の真中である。一巻40Pを見て欲しい、
ここで東城は最初「志望校は桜海学園」と言うも真中が「せめて共学、泉坂」と考えを述べた。
そう、最初から東城は真中と一緒の進路をと考えていた。真中の夢に付いて行こうとしたのだ。
そして第三巻でその希望は見事に叶う。だがそこには一緒の夢である映像部はなかった。
なし崩し的に文芸部に入ってしまった東城だが、そこで自らの才能を開花させる。
八巻では文芸星屑での審査委員特別賞受賞。成長…という意味でなら東城もしているのだ。
だがここで筆者は警告する。それは表面上…能力的な成長に過ぎない、と。
四巻27話3Pだ。ここで東城は映像研究部への参加を部長に申し出るのだが、冷たい態度であしらわれた。
次のページで東城は部長に対しショックと失望を感じている。それから部長は誌面から消えた。
東城の、自分の思い人の夢、映画を無下にされて悲しかったのだろう。気持ちは理解できる。
しかし三巻23話、25話で自分を褒めてくれている部長に対し、東城はそういう態度をとったのだ。
これは真中が自分を認めてくれた一巻のときと比較すると、あまりに無情ではないかと思う。
それとも自分にアンチ東としてのフィルターがかかりすぎているせいだろうか? 悩みどころだ。
ここも東城が縛られていると判断する理由である。自分の思考基準が真中準拠で出来てしまっているのだ。
そのくせ三巻24話で「あたしの気持ちなんか分かるわけない」と激昂している。
ここでも読者に嫌われる要因、実は自分勝手なのでは? という疑念が浮かんでくる。

そして七巻57話…二年次になると、東城は真中とクラスが違ってしまう。
実はこの事件、現在進行形で連載に関わってくる以外にも重要な意味があったのだ。
479262@論文5:04/05/18 04:15 ID:???
さてその重要な意味とは何か。
それは東城の信じる運命は真実でも、その後の状況は自分で実現させてきた追従だったことである。
確かに高校進学の時もそうだったが、それとこれとでは意味が違う。
あれは口約束とはいえ真中が望んだことだった(一巻一話40P)。
しかしつい最近だが、三年に進級した東城は真中とクラスを合わせてきた。成績優秀者の東城がだ。
もはや盲目的な依存・追従であり、先に述べたように原点(真中)に執着していることを意味している。
それは一般的に「依存」と呼ばれるものだ。つい先日それが作中で浮き彫りにされた。
真中自身が「これでいいのかな」と漏らすほどである。話数の確認ができないのが悔やまれる。

ここで西野と対比させるとすれば、西野の原点もまた真中であった。
真中への思いと東城への嫉妬心、目標のない自分へのコンプレックスを反動に西野は成長した。
これは言い換えると、原点(真中)からの出発・脱却になる。

状況からすれば学校も一緒、クラスも塾も進路も一緒という東城が正ヒロインだろう。
しかし先も述べたとおり、それは運命ではなくニセモノのシナリオとなってはいないだろうか?
最初の出会いは確かに運命だった。真中も東城もそこに自分たちの原点を見つけるのは当然だ。
だがそれは三年という月日の中で全く先に進んでいない、立ち止まっている状況だと言えないか?
特に東城は心理的には原点から先に一歩も出ていない。西野と正反対だろう。
480262@論文6:04/05/18 04:18 ID:???
そろそろまとめに入ります。

ここまで展開してきた論理をまとめると、
真中にとって
東城=運命の相手 原点のヒロイン 真中に執着・依存
西野=勘違いの恋人 成長のヒロイン 真中からの脱却・自立

テーマ的な対比においてはどちらも不可欠の存在である。
しかし少年誌作品の性質上、主人公の成長は必然だ。ではこれを最も表している存在は?
西野だ。これが漫画・いちご100%のエンドが西野以外に考えられないという根拠の一つである。
通常、ありえない現象だ。
正ヒロインとして完璧な設定と状況を与えられた東城は、皮肉にも真中を乗り越えなければ成長できない。
自分の成長のためにも、東城は自作自演の状況を否定する必要があるのだ。
481262@論文7:04/05/18 04:25 ID:???
では最後の本題に行きましょう。

ここで西エンドの持つ深い意味を語ろう。
論文1もしくは第一話を読み返してみて欲しい。
・東城は偶然に降ってきた運命の相手だった。(※真・受動)
・西野は勘違いから告白した相手だった。(※偽・能動)

そして展開のあり方も振り返ってみよう。
・東城はずっと真中に自分を合わせ付いてきた。
・西野は真中から離れて自立した女になろうとした。
西エンドになった場合、これがどう作用するか。
つまりそれは、真中と東西ヒロイン全員の立場から見ると

東城&真中=「作者から用意された運命の否定と本当の意味での 成 長 」
真中→西野=「勘違いから生まれた 真 実 」 
西野→真中=「傷つきすれ違ってきた想いの 成 就 」

となる。
なんと最後の最後で第一話の※「真と偽」がひっくり返されてしまうのだ。
少年誌の恋愛漫画でこのような展開がかつてあっただろうか?
もし最初から計算されつくした展開ならば、作者はある意味恐ろしく文学的なことをやっていると思う。
そしてこれが自分の予測した「傑作化するいちご100%」ということなのだ。
もちろんそれはメタファーにおいてだが、大抵の読者ならそれを感じ取れるはずだ。
西エンドのいちご100%…これ以上皮肉的でしかし納得の行くラストがあるのなら教えて欲しい。
482262@最後に:04/05/18 04:31 ID:???
これらの論拠のほかにも、自分は西派として二度の別れを経験しそれでも真中を支える西野にエンドを与えたい。
ずっと後ろ向きに運命を信じてきた東城は、前を向くことで成長できる。真中以外の幸福を探しにいけるだろう。
では西野は? ひたむきに前を見続けてきた彼女でも疲れることはあるはずだ。
だから、だから最後くらいは抱きとめて振り向かせ、嬉し涙を流させてやってくれと、あのバカ真中に切に願う。
以上です。

どうも、超長文失礼いたしました。
すべてを読み終えた方に。2chのこんなアンチスレで長文真面目に読んでくれてありがとう。
では飯食いに行ってきます@今日はバイト休み