■浦沢直樹さんvs井上雄彦さん■

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677マロン名無しさん
浦沢直樹試論1   夏目房之介

(前略) 浦沢さんに一度ちらっと見せてもらったデビュー前の作品は、まったくこの頃の手塚の絵とコマ構成で描かれていた。その後初期
大友克洋に出会って「これこそが自分の描きたかったマンガだ」と思い、我々の知る浦沢が誕生することになる。
 浦沢マンガのもつ「読み」の「わかりやすさ」と、同時に読者を裏切るカットの切り返し、飛躍、アンチ・ロマン的な展開やシニカルな視線
の同居は、マンガ史的には手塚と大友の遺産なのだ。映画でいえば全盛期のハリウッドとニュー・シネマの同居である。
(中略)一方、浦沢を大メジャー作家にした『YAWARA』(86〜93年)には、様々な作品をなぞった跡が見える。江口寿史の「かわいい女
の子」絵、『巨人の星』の親子関係と父のライバル特訓、『めぞん一刻』のすれ違いなどなど。数えれば、相当数のなぞりや類似を指摘できるだろう。
 それらはおそらく、浦沢が「誰でも読めるメジャーなヒット作」としての要素を習得すべく意図的にくりこんだものだろうと思う。ただしマンガ
に詳しくない読者には、その手つきはほとんど見えない。そして『YAWARA』の中心読者は、そんなことを気にしない読者であった。
 が、よく読むとそこには浦沢の「ほんとはパロディでもあるんだよ、へへ」という笑いが見える。『パイナップルARMY』(工藤かずや作
 85〜88年)に注目しながら、この手つきの「あざとさ」を感じて幻滅したマンガ好きの読者もおそらくいただろう。
 しかし、その後の浦沢作品をみると、そうした「あざとい」戦術を平然とこなし(あるいは受け入れ)、それを身につけてしまうのが、
まさに浦沢という作家だったのだということがわかる。
 結果『YAWARA』によって浦沢は、大友チュルドレンから脱してメジャー・ヒット作家としての手管と地位を獲得した。(中略)
678マロン名無しさん:2005/08/25(木) 07:55:08 ID:M10CPy7/
(中略) 浦沢直樹を大衆的なメジャー作家にした『YAWARA』の、作家浦沢にとっての意味は二つある。
 ひとつは様々な他作品のサンプリング的ななぞり、模倣による、大衆娯楽作品としての表現技術の習得。あるいは、
そのことで逆に浦沢マンガとしての完成度の純化をなしとげたこと。
 次に、雑誌を支える売れっ子作家としての地位の獲得である。これが『MONSTER』以後の作品系列を編集部側
に認めさせる背景になり、読者にも「あの浦沢が」という驚き(読者にとって心地よい「裏切り」)と独特のオーラを
生じさせることにつながる。
 前者は、表現者・作家としての浦沢の側面であり、後者はプロデューサーとしての資質に属する。むろん、はじめから
彼がそれを目指したわけではないだろうが、途中からは確信犯的な部分をもっていたと僕は考えている。

679マロン名無しさん:2005/08/25(木) 07:56:13 ID:M10CPy7/
(中略)浦沢は、この時期「一般受け」と「うるさがた受け」の両面作戦を行っていた。
 『YAWARA』には、週刊連載の毎週の「引き」(次を期待させるつなぎかた)があり、
隔周誌連載の『キートン』は読みきりないし1話短期完結型(『ゴルゴ13』型)。
 この差は、同時に読者の対象年齢にもかかわる。前者がやや若い20代を中心読者とした
「ビッグコミック・スピリッツ」、後者がより大人の30代向け「ビッグコミック・オリジナル」
連載だったことに対応するだろう。
 わかりやすくいえば、前者が「はらはらドキドキ」型、後者が「じっくり理解」型とでもいおうか。
680マロン名無しさん:2005/08/25(木) 07:58:06 ID:M10CPy7/
(中略)こののち浦沢がやったのは、「引き」の連載方式でより大人向けの作劇を実現した『MONSTER』
(オリジナル 94〜02年)であり、ここで彼はやや「うるさ型」読者をひっぱるタイプの作家にシフトしてゆく。
 読切的な『ゴルゴ』型から、むしろ長編的な手塚『アドルフに告ぐ』型の作家になってゆくのだ。
(中略)浦沢が『20世紀少年』(99年〜連載中)で過去を問い、『MONSTER』で明確になった「記憶」と
「人間的感情の喪失」という主題を日本の70年代以降に向けたのは39歳の年。自身が青年誌の想定対象年齢を越えてゆく時期である。

 浦沢は、「おたく第一世代」と同時期の生まれで、いいかえればマンガやアニメにおいてもっとも活性をもった消費層となった世代に属している。
 彼らが「マンガとは何だったのか」をたどり「自分とは何か」を問い始める時期と、復刻や二世マンガ、リメイクの流れとが、もし関係するなら、
浦沢『PLUTO』の意味もまた、その線上でみえてくるだろう。

 少なくとも今、浦沢が『PLUTO』で試みようとしている、自立した創作としてのリメイクとは、浦沢自身のマンガ読者としての
自己確認作業でありうるし、手塚→劇画→大友→浦沢という戦後マンガ史を貫く読者体験と表現及び市場の地層探査でもありうるのだ。

 その意味で『PLUTO』と浦沢直樹は、現在マンガ批評が注目せざるをえない対象なのである。