ポカポカと陽気のいい春の季節。そのあたたかい日射しは学校も包み込んだ。
「野比ィ、野比ッ!」
何度も呼ばれるが気持ちよさそうに夢の中に入っている。
「ふぁ…?……は……はい!」
「授業中に居眠りとは何を考えておる!この問題を前に出てやってみなさい!」
「……はい」
黒板の前でもじもじする。チョークを持つがその手は動かない。
「どうした、早くやりなさい」
「…分かりません」
「こんな簡単な問題が分からんとは授業中いったい何を聞いていたんんだ!
もういい!出木杉、答えなさい」
「はい、27です」
「よし」
「最近みんな、たるんどる。出木杉を見習いなさい
宿題は間違えずやってくるしテストはいつも100点だ
今日はたっぷり宿題を出す。忘れずにしっかりやってくるように」
「「「ええ〜〜〜〜〜〜!!?」」」
教室に不満の声が上がる。
「野比は廊下に立っていなさい!」
「……はい」
「先生もひどいよ…あんなに宿題を出されたら朝までやっても終わらないよ……」
一人でとぼとぼと歩いているなか、辺りが暗くなる。
ゴチン!
突然、頭に強い衝撃が走る。
「痛いッ!」
「やい!のび太!!」
「おまえのせいだからな!」
校門で待ち伏せていたのはいつもの二人だった。
「……………」
「今日はジャイアンズの練習日なのにだいなしになっちまっただろ!」
「そうだ、そうだ!どうしてくれるんだ!!」
食いつくようにのび太を責める二人。また殴ろうとするジャイアン。
「し、知らないよ!!」
すかさず逃げ出す。
「「こら、逃げるのか!!」」
なんとか逃げきれたがしょぼくれて下校するのび太。
「ハァ、ハァ…ボクだって好きで怒られているわけじゃないのに…」
後ろを振り向くが誰もいない、逃げ切れたようだ。
曲がり角にしずかちゃんがいるのが見えた。
「あれは…そうだ!しずかちゃんに教えてもらおう!!
ついでにおしゃべりしようっとウヒョヒョ!しずかちゃーーーん!!!」
「あら、のび太さん」
「やぁ、のび太くん」
(出木杉!?)
「のび太くんもいま帰りなの?いっしょに帰ろうよ」
「ああ…」
出来杉に誘われてなにか釈然としないのび太。
「でも出木杉さんって本当に頭がいいのね」
「いやぁ、たまたまだよ」
さわやかな笑顔で話す出来杉。
(くぅ〜!「たまたまだよ」だよって!キザなセリフ!)
「一人で勉強しているのにあれだけ成績がいいんでしょう。尊敬するわ、ねぇのび太さん」
「……うん」(くそぅ〜!見てろ〜!!)
内心が怒りで爆発する。
「ちょっと用事を思い出したから先に帰るね」
「ええ、さよなら。のび太さん」
かけ足で家に直行するがいつまでも二人の笑い声が聞こえてくる。
のび太の家の門の前に立ち止まる。右手には0点の答案を握りしめている。
「宿題のことはママにだけは気づかれないようにしないとな」
そ〜っと扉を開く。気づかれていないようだ。
ガシャン
急に閉まるドアの音が予想外に大きく驚く。
でも気づかれたような様子がない。
(いないのかな?)
居間のふすまをおそるおそる開けてみるが誰もいなかった。
そーっと台所も見ていたがやはりいない。
「ママー、帰ったよ」
辺りに声をかけてみるが返事はなかった。
「そうか、買い物か」
くつろいでおいしそうにどら焼きを食べているドラえもん。
ドタドタドタドタドタ!!
そこに階段を登ってくる音がする。
勢いよく扉が開かれる。
「ドラえもん!」
「おかえり、またジャイアンに追っかけられたのかい?」
ランドセルを放り投げ、すごい勢いでドラえもんに向かっていく。
「ドラえもん!先生がまた宿題をどっちゃり出したんだよ!それに出木杉のやつめ!
しずちゃんとデレデレしてるんだ! こうなったら今日の宿題をやって見返してやる」
支離滅裂な言動を早口ではなす。
「じゃ、早くやったほうがいいね」
「だから例のペン出してよ」
のび太が手をさしのべる。その手は鉛筆をもつような手になっていた。
「例のペン?」
きょとんとするドラえもん。
「またまた〜、分かっているくせに〜。コンピューターペンシルのことだよ」
身体をすり寄せてくる。
「もう使わないって約束しただろ!!」
「そんなこと言わないでさ〜」
「のび太くん、勉強は自分の力でやらないと意味がないんだよ」
「次からは自分の力でやるから!」
「…………」
「今回だけ!お願い!もう二度と使わないからさ」
「前もそんなことを言ったよね…」
「僕の頭であれだけの宿題をやったら一年かかっても出来ないって君も分かってるだろ」
「あきれた!」
「ねぇ〜、ドラえもんく〜ん。今日の僕の分のおやつをあげるからさ〜」
目の前にあるどら焼きが増えたように見える。
「……今回だけだよ」
「さすが!ドラえもん!分かってる!大好き!!」
ポケットをごそごそさせながらあきれているドラえもん。
でもどら焼きの誘惑には勝てそうにはなかった。
「ホントに、もう…………」
バチン!
「……………」
スイッチの切れるような音と共にドラえもんが突然倒れる。
「ん?」
いつもの声の返事がない。
「ドラえもん。どら焼き食っちゃうぞ」
どら焼きを食うふりをするが反応がない。
「どうしたの!?ドラえもん!!」
いくらゆすっても反応がなかった。
「どうしたんだよ!ドラえもん!!しっかりして!!」
しばらくぼーっとしているのび太。やがてカラスの鳴く声が聞こえてくる。
部屋が赤く染められる、夕焼けが見えてきた。何かを思い出しそうになった。
「そうだタイムふろしきだ!!」
急いでドラえもんのポケットに手をつっこんだ。無我夢中で。
だけどいつもの広がるような開放感がなくなっている。ただのポケットになっていた。
「何なんだよ!一体!!」
押し入れにあるスペアポケットも試してみたが同じだった。普通のポケットになっている。
「タイムマシン!」
机の一番上の引き出しを開けたが、ただの机になっていた。
「………そんな」
他の引き出しも開けてみたがただの机だった。何もする術がない。
「…お願いだよ…目を覚まして…もうわがままなんて言わないよぅ…
…自分の力で100点を取る……絶対に困らせたりなんてしないから!
…そうだ!…おやつだってこれからずっと全部ドラえもんにあげるよ!!だから!!!」
止めどなく流れる涙がドラえもんを濡らす。
「…………………」
何の反応もない
「…そんな……
わああああああああああああああああああ!!!!」
バチバチチバチチチッチチチチチチチチチチチチチチチ!!!!!
「なんだ!?」
空間にひずみが出き始める。そこから見覚えのあるタイムマシンが現れた。
ただいつもと違うのはぼろぼろになっていた。見慣れた黄色いロボットがタイムマシンに座っていた。
「…ドラミちゃん!良かった!!」
さらに涙が出るのが押さえられなかった。やっと事態が好転したような気がした。
「のび太さん!お兄ちゃんは!?」
「それが大変なんだよ!!」
横たわっているドラえもんを見る。
「やっぱり……」
ドラえもんの状態を診るドラミ。まずドラえもんのポケットに手を入れた。
それから引き出しを調べた。ドラミのタイムマシンから焦げ臭いにおいがする。
「まさか…ドラミちゃんも」
「ええ…私の四次元ポケット、道具も使用不能になっているの」
「…それじゃ…ドラえもんは大丈夫なの……?」
「のび太さん!私もここには長くはいられないの!!
タイムマシンも無理をさせたからあと一回ぐらいしか使えないわ」
急いでタイムマシンに乗り込むドラミ。
「待って!ドラミちゃん!!ドラえもんは!?」
「…お兄ちゃんは…もう動かないかもしれない」
「……そんな」
バチチチッッチチチチチチチチチチチチチチ
再び空間にひずみが広がる。その反動か、ドラミのタイムマシンから煙が出ている。
「でも…のび太さんがお兄ちゃんのことを想っていくれているなら
いままで経験してきたことをずっと覚えてくれるなら
もしかしたら未来政府を覆せるかも……………」
話が途中のまま途切れる。
バシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ
ドラミのタイムマシンが消える。日が沈んだ…
「のびちゃーん、帰ってきたの〜?」
一階から母親の声が聞こえてくる。
「…………………」
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「野比、出木杉よくやった。 いつも全問正解しているのは野比と出木杉だけだ
それにひきかえ、剛田と骨川はなんだやってこないとは!廊下に立ってなさい!!」
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「しずかちゃん、一緒に帰らない?」
「ごめんなさい。出来杉さん。友達と約束してるの」
「そう、じゃあね」
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「のび太さん。いっしょに帰りましょ」
「うん」
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「すごいわね、のび太さん。昨日の宿題はとくに難しかったのに
それに前のテストは100点だったもの。尊敬するわ」
「ありがとう」
かすかな笑顔を見せる。
「ねぇ、これからうちに遊びに来ない?」
恥ずかしそうにのび太を誘う、しずかちゃん。
「ごめん、用事があるんだ。さよなら」
「……そう」
見送るのび太の後ろ姿にはどこか陰があった。
(忘れちゃったのかな…ドラちゃんのこと…)
「あ、雪だ…」
降ってくる雪に手をさしのばすしずかちゃん。
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「やい、のび太!」
「お前みたいな真面目な奴がいるからこっちが迷惑するんだぞ!」
「……………」
ゴチン!
力任せにのび太を殴るジャイアン。
「……………」
何の表情も表さずジャイアンの眼をしっかりと見つめる。
「な、なんだよやるのか!?」
「もう行っていい?」
「あ…ああ」
「どうしたのジャイアン、行っちゃうよ?」
「…あいつ…どうしちまったんだ…」
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「お帰りなさい、のびちゃん」
「ただいま、母さん」
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のび太が突然、大人のように変貌する。
とまどう、親、周囲の友人たち。
しずかちゃんがそんなのび太に恋をするのは無理がなかった。
誰より違う目をする少年、誰よりも違う世界を生きる少年になったから。
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そして、15年後………
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あの日から15年後。
この月日は、何かを忘れていくには充分な時間だった。
未来とつながりが絶たれたときから何か大切な想い出も消えていくようになった。
トントントンッ
「そろそろ帰ってくるころね」
時計を見ながら料理を手際よく終わらせる。
「ただいま」
(帰ってきた)
エプロンを脱ぎ、玄関に迎えに行く。
「おかえりなさい、あなた」
「ああ」
のび太の靴をきちんと整える。
「ご飯にします?」
「頼む」
コートを預かりハンガーに掛ける。のび太はそのまま階段を登っていく。
「ご飯ができたら呼びます」
「ああ」
いい香りがするスープの味見をする。
「うん、今日も上出来ね!」
料理の用意ができたので二階へのび太を呼びにいく。
コンコン
鉄製のドアを軽く扉をたたく。
「ご飯の用意ができましたよ」
部屋から返事がない。
「仕事部屋のほうかしら?」
足をさらに奥へ運ばせる。
(めずらしいわね。私がいるときは行かないのに)
コンコン
「ご飯ですよ」
「…静香、入ってきてくれ」
小さな返事が扉の向こうから聞こえてきた。
(どうしたのかしら。この部屋には入らせてくれなかったのに)
「はい、失礼します」
鉄製のドアを開ける。
手にひんやりと冷たいのが伝わってくる。
「…え?」
ドアを開けたらもう一つドアがあった。
(どういうこと?)
二つ目の扉は木製のドアだった。
「入ります」
ギィ
少しきしませながら扉を開ける。
「ああ」
開けた先に広がる光景にはなにか違和感があった。
どこかで見たような部屋の配置。
「ここは…昔のあなたの部屋」
幼少の頃の、のび太の部屋そのものだった。
今では懐かしい、畳、机などがそろっている。
「長い間、秘密にしてたね」
「どういうことなの……これがあの時の……」
「うん、この思い出だけは、壊したくないから、失いたくなかったから」
「…いいえ、やっと話してくれて嬉しいわ、あなた」
「すまない」
部屋にまだ何かがあった。のび太が移動すると確認できた。
真ん中にそれはあった。どこか非常に懐かしくさせるものが。
「覚えているかい?」
「…ええ」
「…みんなは記憶を失っていったのに、なぜか君だけは覚えていたね
だから僕は大人になっても君に近づいたのかもしれない、この想いを共有したかったから」
「それだけの為だけに…?」
「うんん、それだけじゃない、君を好きだという気持ちは子供のころから少しも変わらないよ。静香」
「…うれしい」
「それは?」
「僕が、僕なりに15年間築いてきたものだよ」
「それであの職業に…
なぜ、あの日からあなたが遠い人になったか、やっと分かったわ」
「つらい想いをさせたね」
「いいえ、それでも、私とても幸せでしたから」
「ありがとう」
ずっと造っていた部品のようなものを丁寧に組み込む。
ブウウウウン
短い起動音が鳴った。
「やぁ、のび太くん
宿題はできたかい?」
「できたよ、ドラえもん」
完