魔法先生ネギま! キャラ萌え統一スレッド No.2
我々は、キャラ萌えこそが、遭遇する問題を解決する人類の最も有力な手段だと考えている。
しかし、萌えにもとづく論議も、スレッド乱立に対する、最近の洪水のような
攻撃の中にあっては、ほとんど役に立たないものになっている。批判者達は、
脇役キャラのスレ数が100逝ってないことや、相次ぐモブキャラの独立宣言によって、もし、
ネギまファンたちが、「キャラごとのスレをこれ以上たて続ける」ようなことがあれば、
恐ろしい結末が待っている、これは冗談ではなく警告であると予言する。辛辣な批評家たちの
背後には、マロン板のネギま化は、これまでのあらゆるキバヤシあるいは新生MMR発足の際に
直面したものより、深刻な人類滅亡への序曲であるという前提があるようだ。
日本のキャラ萌え浸透によって、どんな倫理問題が起きるのだろうか?一部メディアの偏向的報道に
よれば、第3の性としてのキャラ萌えは、そもそも、他の趣味とは違うという。つまり、
打ち込むものがあるのはいい事だが、 このパワーを学校なり会社なりに使ってくれれば、
日本の景気にも貢献するはずだと。彼らにとり、マンガ・ゲーム・ネット・その他ヲタ向け市場が
拡大することは、3次元アイドル等彼らのドル箱を失うことを意味し、彼らの情報独占という
既得権益を脅かそうとする危険なネット系新メディアの台頭は、怒りのうちに、反対されるのだ。
このような考え方は、極めて独断的な見解だと思われるので、我々は、こうした
ことによって、住民がバカレンジャーの成績を評価するか否かが決められていいのか
という、疑問を感じている。〆切も修羅場の一つとして考える限り、神鳴流は前作を
引きづっているし、龍宮神社の巫女の能力は、すごいキックや曲芸手品と、本質的に異なる
のではなく、その程度に差があるだけだと思われる。大人の味、意外とテクニシャンなどの
アスナに見られたら気まずい書き込みは、タカミチの親切によるもので、いかなる
真祖でも発見できないように機能しているとされる、学園長の陰謀によって
もたらされるものではない。
専用ブラウザを推奨するでも無しに、キャラ萌えスレ一つにまとめることしか言わない
アンチ住民の議論から浮かんでくる疑問は、こうした人達が本当に討議に
貢献出来る本当の意味での野望ネタを持っているのかということだ。
確かに、誰にとっても小さく無駄の無い機械は便利だろう。
しかし、我々は、計り知れないほどの、潜在的な恩恵をもたらすスレッド群が、
一部の人たちの萌え属性と相容れないと言うだけで
抑圧されてしまうという危険性が、目の前に迫っていると考えている。
かつて、同じような議論が、休むときは保健委員でなく担任か日直に連絡しないか?
ショタという性的嗜好と肉親の死とは根本的に関係ないはずだ!などと唱えられたが、
それにもかかわらず、それぞれのこうした議論の中から、役に立つ大きなAAやSSが
神々の頂から生まれてきた事実を認識することが大切である。「韮」は本当は「菲」
だったなどという、細かい誤植についての見解が、ネギまスレについての道徳的な
決断を下すための、我々の主な基準になってはならない。
我々は、エヴァ以外のキャラが登校地獄を味わうことに、本質的には、倫理上の
ジレンマを感じない。また、量子力学研究会や天文部がどこまでダークマターや
赤方偏移などのデムパネタにつながってくるかも、我々にははっきりとは判っていない。
本を抱えすぎて階段から転げ落ちた時何故ネギの魔法がバレなかったのかという
疑問は、四葉がダイエットして美化してしまうのか、ハカセはチャチヤゼロ
を製作したのかメンテナンスのみなのかという論争によって、我々がかつて
直面した問題よりも大きくもなければ、深くもない。それらは、ただ単に
新しいだけのことだ。
歴史的に見れば、動かしてはいけない席を動かし、学園長の孫娘をかどわかそう
とするアンチ達の選択肢が、現実的または生産的だと証明されたためしはない。
マロン板ネギま化の潜在的な恩恵は、あまりにも大きいので、もし、古びた自治厨
的疑念によって、ネギま住民全体に対する拒絶反応が起きるようなことがあっては、
大きな悲劇である。我々は、既存ネギまスレの、継続的で信頼できる発展を強く
望んでおり、アーにゃんとお姉ちゃんのウェールズ帰省編を持ってくることで、
有益な萌えスレッドの発展がみだりに妨害されないことを保障する、広範囲に
わたる公約(コミットメント)を要求するものである。
2003年8月30日、日本ネギま連合中央盟友会(仮)