少し時間は戻って、静かな東雲町に穏やかに流れる川。沈みかけた夕日。
男はもう何時間も、その場で川の流れを眺めていた。
池戸定治。人は彼をその風貌から『ゴリラーマン』と呼ぶ。
池戸定治は川が好きだった。日々の喧噪に疲れた時、彼はいつも川を眺める。
黒服にこの町に連れて来られ、彼はまだ500mも歩いていない。
まるで川に吸い寄せられるように、そのまま河原に座り込んでしまっていた。
また、この男、池戸定治は狡猾な男でもある。
優勝賞金『一億円』が目的である以上、下手に動かず、
選手同士が勝手に潰しあってくれた方が有利な事に気付いていた。
ただ、物憂気な目で川の流れを静かに眺めている。
川から反射する光に、かつての『池戸道場』での思い出が浮かぶ。
強かった父、丁寧に指導してくれた大友師範。門下生達。
優しい姉、皮肉屋な片桐。そして……天才と呼ばれた兄、ハジメ。
池戸定治はいつも劣等感を抱いていた。
偉大なる父に、日々、父と寸分違わぬ足技を身につけていく兄。
そのそっくりの風貌からか、いつも自分が比べられてきた二人に。
だが、いくら教わっても、池戸定治の足技が成熟する事はなく、
自分自身へのイラ立ちはいつの間にか父への反発へと姿を変えていった。
………今なお、不思議な事がある。
世界中を飛び回っていた父がある日、突然、日本に定住しだした。
そして、夜中にふらっと出かけ、朝早くボロボロになって帰ってくる。
世界中の猛者を相手に闘ってきた父の顔がここまでボコボコに
腫れ上がっているのを見るのは初めての事だった。
そして、あれほど嬉しそうな父を見るのも初めてだった。
父は心配する子供達の問いには全く答える事なく、
毎月2回のペースで活き活きと夜の闇に消え、ボロボロになって帰ってきた。
もう一つ不思議な事。今まで家族の生活費、道場の運営費は
全て、父のファイトマネーで支払われてきた。
しかし、父は日本に帰ってきて以来、試合を行っているという話は聞かない。
それでも、なぜか池戸家の食卓は日に日に豪華になっていった。
そんな不思議な日々が3年ほど続き………あの日。
過度な稽古が原因で、兄、ハジメが死んだ。
失意の父は池戸定治に自分の跡を継がせようとやっきになったが、
池戸定治はそれを拒否した。誰かの代わりになるつもりはないと。
それから父は夜中に出かける事も無くなり、いつしか池戸道場は潰れた。
父は今では見る影もなく、別人のように細々と質素に、弁当屋を営んでいる。
『池戸道場』を復興させ、父を喜ばせてやりたい。
そして池戸定治自身、もう一度。
世界的総合格闘家・池戸哲治の姿を再び見たかった。
たくましかったあの頃の父をもう一度。
不思議といえばもう一つ。
なぜ父は兄・ハジメが死んだ時、自分に跡を継がせようと必死だったのか?
本来池戸道場そのものに父は固執していない。
道場の教え子達から月謝も取らず、来るものを拒まず、
自らの技を教えてきた事にもそれが現れている。
そして本当に道場を潰した理由は兄の死、だけなのか?
確かに兄の死が一因ではあるにせよ、
あの父がそれだけの理由で格闘技を捨てるだろうか?
他に何か理由があったのではないか? なにか………理由が。
しかし、今となってはもう、何も分からない。
問いつめたところで父は答えないだろう。
この場で考えたところで結論に辿り着くはずもない。
池戸、そっと自分の顔を撫でる。父と、そして兄と瓜二つの顔。
結果として、兄を殺し、自分に無理矢理に道場を継がせ、
格闘家の道を歩まそうとした父に、一時期、憎しみの感情すら抱いていた。
しかし、今はそんな確執すら捨て、父の喜ぶ顔が見たい。
そのためにも、是が非でも……『一億円』。
『戦場』にいるせいか、いつもと違って落ち着かない。
川を眺めていても、嫌な思い出ばかりが浮かぶ。
池戸、気を紛らわせるべく、懐からタバコを取り出そうとする。
池戸は味の違いが分かる男である。タバコは『リベラ』しか吸わない。
しかし、お目当ての『リベラ』。残念ながら………からっぽ。
池戸、肩をすくめ、思わずため息をつく。
ここに送られる途中、車の窓から見ていた風景の中にタバコ屋があった。
ここからなら歩いて4、5分。ちょっと歩けばすぐに着く。
池戸、面倒臭そうに立ち上がり、服についた土を払う。
滑らないよう、しっかりとした足取りで土手を登っていく。
生い茂る雑草を払っていくと土手の上に人影。
ビーーーー。
次の瞬間、池戸のブレザーから携帯がけたたましく鳴り響く。
また、土手の上にいる人影からも、戦闘開始の合図。
池戸、予想外の事態に思わず凍りつく。
池戸の視線の先に……沢渡憂作。
憂作も突然現れた男に口元からポロリとタバコが落ちる。
池戸の出現に驚いているわけではなく、池戸の顔。
驚きから思わず憂作のノドから声が漏れる。
憂作「……哲治!?」
池戸「!!!」
憂作、動けない。池戸の顔が『あの男』とダブる。
また、池戸。見知らぬ男の口から突如、発せられた、
父『池戸哲治』の名に驚きを隠せず、そのまま、動けない。
十数年前、九宝龍二に『敗北』を味あわせた男。
尚輪寺住職・前田文尊、そして………元・世界的格闘家『池戸哲治』。
――――――――― 池戸定治 VS 沢渡憂作 開始。
戻ってきてまだ二回しか書いていないのになんですが
以前に話したお休みをとらせてもらいます。申し訳ありません。
とりあえず書ける分だけ書いておきました。
だいたい2週間ぐらいで帰ってこれると思います。
保守と、できればもし途中で次スレが必要になった場合、
良ければ次スレも立ててやって下さい。お願いします。