道場の中は、一種異様な空気であった。 表情は皆一様に暗い。
その沈鬱な空気を破るように克己が口を開いた。
「以前、俺は、我が神心会は更なる高みを目指し、『中国拳法』をパクりまくる、と言った。
事此処に至っては、その言葉、撤回したい」
黒帯研究会の者達の間に動揺が走る。 克己が続ける。
「俺はもしかするとあの男はヤバいのではないか、と思っている」
確かに色グロの中国人のお陰で神心会は多大な損害を被っていた。 口にこそ出さなかったが、
此処にいる皆の共通した意見でもあった。
この一部始終を扉一枚を隔てた場所で聞いていた男がいた。 今日も道場で汗を流そうと、
道場を訪れていた烈海王である。
「いつまでも居られるわけもない・・・、か」
烈は、かつてドイルに言った言葉を思い出していた。
「いや、誤解しないで欲しい。 黒帯研究会は続ける。 神心空手を高める為に、あらゆる
格闘技の要素を取り入れる、という主旨は変わらない。 さぁ、どうぞこちらへ」
練習生などが着替えをするロッカールームから一人のアジア人が出てきた。 全身から奇怪な
オーラを漂わせている。 いや、全てが奇怪すぎた。
我々は彼を知っている。 東京ドーム地下。 しかし闘技場ではない。 選手控え室である。
そこでの前代未聞にして空前絶後のパフォーマンスを我々は忘れてはいない。
「ジャガッタさんだ」
克己が恭しく礼をする。 ジャガッタは既に戦闘体勢である。 一体、この体勢のドコを攻撃
すれば良いと言うのか。 膝の辺りまでに縮んだ身体。 全てが規格外であった。
何しろ、相手の視界にいないのである。 まさに常識外れと言えた。
「控エ室デノ出来事ハ、私ニトッテハ不幸ナ台風ノ様ナモノデアッタガ、オ陰デ、我ガ『ムエ
カッチュアー』ハ、進化ヲ遂ゲタノダ。 オーガニハ感謝シテイル」
足下のジャガッタに対して、克己はあくまでも低姿勢だ。
「サッカーボール・キック・・・ではどうだろうか」
あまりの異様な雰囲気に臆したのだろうか、空気に耐えられなくなった黒帯の1人が思わず呟いた。
サッと克己の顔から血の気が引いた。
次の瞬間、その黒帯の胸に克己のマッハパンチが炸裂する。
道場の端の壁まで吹っ飛ぶ黒帯。
後にその黒帯は神心会を退会、その経緯についてこう語っている。
「全てが恐ろしかった。 何かとてつもない世界が目の前に広がったような気がしたんです。
いや、正確には目の下かな。 考えてもみて下さい。 人が伸びたり縮んだり、あれはもう格闘技
じゃない」
「ええ、克己さんの突きを喰らった後、ぶっ倒れた私はジャガッタと目線が合ったんです。 偶然。
彼の目線は膝下ですからね。 ハハハ。 その時彼が私に背を向けたんです」
「何だ、知ってらしたんですか。 ええ、異様でしたよ。 こう・・何と言うのかな。 『Z字』、
というのかな。 うっすらとね、ジャガッタの背中に浮かんでいたんですよ」
「え? 男として? 別に憧れはしませんよ。 私は男である前に、人間ですから」