11 :
マンヴァさん:
『映画とは映像と音、そして監督とスタッフ、それに観客が加わって作られる』
というのは、アルフレッド・ヒッチコックの言葉だそうです。
つまり、作品とは作り手が一方的に観客に何かを押しつけるのではなく、観客が何かを想像して心に何かを残す。
そういうものだという事だろうと思います。
極端な例を二つあげてみましょう。
少年マガジンに萌え路線を確立したヒット作、『ラブひな』
これはラブコメですが、まぁ一応扱っているテーマとして恋愛というモノもあると言えるでしょうというかそういう事にしておきます反論は却下です。
端的に言えば、これは願望を刺激する事により作品として成り立たせるという作り方です。
つまり、リアルな経験に基づいた、共感を得られる描写は必要無いワケです。
12 :
マンヴァさん:02/11/10 15:50 ID:gZLb6Iaz
内田春菊や榎本ナリコの描く恋愛描写は、一部の方々に強烈なシンパシーをもって受け入れられ、その立場を確立しました。
と、同時にまったくピンと来ない、むしろムカツク、という読者も少なくありません。
これは結局の所、作者と読者、送り手と受け手の持つ、それぞれの恋愛というものを軸とした感性、価値観の違いによるものなワケです。
例えば内田春菊の描く恋愛話は、かなり一定の法則に則っています。
話の中心に、美人で、超然としていて、バイセクシャル的に(或いは実際にトランスセクシャルな設定で)性というモノを超越しており、周りの全ての存在よりも賢く、強くい存在。
それに対してバカ丸出しなスタンスで言い寄る男。
その男に言いように扱われるバカで美人ではない女。
内田春菊の恋愛モノを好む、或いはそこに傾倒してしまう人たちの多くは、この3者のどれかに、共感をしています。
口先だけの駄目男にひっかかるバカ女に対して自虐的に傾倒し、同時に超然とした賢く強い女に憧れを抱いたりします。
ぶちまけて言えば、内田春菊の描く恋愛話は、「私は賢いから分かるけど、世の中の恋愛なんてこういうバカ男とバカ女のつつき合いでしかないわよ」 という事になります。
そこで描かれている事情に類似する経験があったり、同じような恋愛観で物事を見ているヒトには、「深く、鋭い描写」 に思え、共感されるワケです。
で。
まぁおそらくは。
『ラブひな』 の愛読者にとって、内田春菊的恋愛世界観は 「なんかワケわかんねーしウゼーすよ。つうか女が可愛くないしねゲハ」 というモノでしか無く。
内田春菊的世界観どっぷりな人にとっては、「『ラブひな』 なんて、薄っぺらでガキの考えるラブコメだし、下らないわアッハー」 という事になるでしょうと。
ゆー感じ。
13 :
マンヴァさん:02/11/10 15:59 ID:gZLb6Iaz
さてつまり、『共感とは何か』、『リアリティとは何か』 という、その部分がこのことについて考える上でひつような考察であると言えるザレム。
共感、というのは先に定義したとおり、『同一、若しくは類似経験に対する心理的傾倒』 で良いでしょう。
猫漫画がウケるのは、猫を飼っている人が多いからです。
たいていの猫漫画は、猫を飼ったことがない、それほど好きでは無いひとにとっては、まず面白くないしだからどーしたという内容のモノであるでしょう。
猫漫画を描く作者は、矢張り猫好きで猫を飼っている人が多いモノです。
だからその描写、描かれている内容、ネタの多くは、実体験に基づいた、分かる人にはよく分かる、リアリティ溢れるモノです。
というかそういう読者を相手に描いているので、そうでなければウケません。
しかしそのリアリティは、猫好きではない、猫を飼ったことがない読み手。
つまり、対象外の読者には伝わらず、そしてそういう意味で無意味なものなワケです。
『物語作品における “リアリティ” とは、ただ現実に即しているかどうかではなく、対象読者をどう納得させ、どう共感を引き出すか。その為の要素の一つである』
と、そう言えると思います。
だるくて眠くなったので、ここで打ち切り。
14 :
9:02/11/10 16:07 ID:???
>>10 殺人経験や中世で生活した経験っていうのは、
読者も作者も同じように無いのが普通なわけだけど、
恋愛経験の場合は、作者になくても読者には経験者が多いわけで、
同じ問題として語るのは、少し違うと思うよ。
15 :
頼りない翼:02/11/10 16:13 ID:C5QyF3go
>>11>>12 ありがとう。
最初のレスの「人の心を打つ」という点では、受けて側の心の琴線に
よるものがおおきいので、内田さんのような作品でも反発する人はいるということか。
やはり恋愛経験のない人は「ラブひな」のような願望を刺激するコメディは描けても、
内田作品のような複雑なものは描けないのでしょうか?赤松さんが経験ゼロというわけでもないかもしれないし、
大恋愛したからといってそういう漫画を描くわけでもないけれど。
16 :
頼りない翼:02/11/10 16:20 ID:C5QyF3go
>>14 共鳴という点で、受け手側の実体験のある、なしも大事な要素ということか。
少し考えるよ。
とりあえず、エロ漫画は童貞のほうがすげえという説がある
恋愛ネタの物語なんざこの世に腐るほどあるんだからそ、れらのストーリー展開を
分析、データベース化、再構築すれば恋愛の経験があろうがなかろうがいくらでも
作れると思うが。
19 :
マロン名無しさん:02/11/10 16:38 ID:xUwIEQxJ
内田春菊そんなにすげえか?
書きたいものを書いたっていう人にしか見えない。漫画家っつーより
小説家って感じだし
すごいかどうかじゃなくてリアリティの置き方の話かと。
アレだよ、マジンガーとガンダムどっちがリアルかって言うのと同じだよ。
21 :
マンヴァさん:02/11/10 16:44 ID:gZLb6Iaz
続きー。
まぁ些末ですが、俺はラブひなも別におもろいとは思わンし、内田春菊の漫画は糞ウゼーので読みません。
ま、恋愛モノと一言でくくっても色々あるワケです。
まず対象読者の主体をどこにおくかで一つ。
年齢層、性別。何より、どういう層のどういう共感を得るハナシなのか。
男性読者の多くは、単純に獲得欲を満たすハナシを好む事が多いワケです。
その最たる例が、本宮ピロチ的な、「旅先でおんな喰ってシアワセにしちゃうガキ大将物語」 で、その構造をパロディ的モチーフとして扱ったのが、江川達也の、『東京大学物語』 や、『ゴールデンボーイ』 等なワケです。
恋愛というモノに、ポジティヴな願望を求めている読者層には、矢張りそういうハナシを描くワケです。
萌え漫画というのは、ありゃあ記号に対する傾倒ですから、カテゴライズされた萌え記号を巧く配分する事で作ります。
恋愛に関してネガティヴな経験が多く、かつそこに自己憐憫的ナルシズムを持てる読者なら、「白馬の王子様がやってきてハッピー♪」 よりも、失恋の話や駄目恋愛の話方がウケるかもしれません。
時代的な変遷で言うなら、例えばヤングマガジンで、『花とミツバチ』 が男性読者にもウケているのは、やはり 「ダメダメな俺がモテる為に頑張る」 という部分に、共感を持つ読者が多いという事でしょう。
この読者層は、モテようと頑張っている若いオニーちゃんで、モテている人でも、頑張る以前にボンヤリと 「男らしく格好いい俺女ハメてハッピーな俺に憧れるぅー」 とかいう本宮ピロチイズムな時代の読者でもありません。
と。
こういうものはつまるとこ、彼らにそれぞれとっての 『リアリティ』 です。
「モテようと必死になる俺」 を経験していない男性読者や、そういう男性と接触の機械がない女性読者には、あまり 『花とミツバチ』 の内容はピンと来ないでしょう。
或いは、女性読者でも登場する女性キャラの心理や、主人公の不器用な必死さに自分を重ねる場合もあるかもしれません。
こういう部分を引っ張れるのは、矢張り作者の経験や力量です。
22 :
マンヴァさん:02/11/10 16:45 ID:gZLb6Iaz
もっと別の恋愛経験、恋愛観の持ち主であれば、又変わります。
『花とミツバチ』のどこかしらポジティヴな恋愛観とは逆に、モラトリアムな倦怠感と内在するエロチシズムの葛藤、とか言うとなんか文学的なオブラードですが。
まぁなんか漠然と生活に居場所が無い感じしーの、どこかで誰かと巡り会って救われると良いなとか思いつつーの、だからって自分から何が出来るわけでもないしセックスしてみたいしけどそんな都合良くねーよなー的な。
もやもやした日陰の青春を送っている方の学生さんや、そういう時代の経験者にとっては、榎本ナリコの 『センチメントの季節』 の方がリアリティを感じられるもんでありましょう多分シラネーケドヨ。
とどのつまりアレよ。要は。
読者の中にあるリアリティにもっとも符合するリアリティを持ったお話しが、その読者にとってリアルな恋愛漫画に思えるっつう事ですわな。
それを、狭くしか描けない作家は、少なくとも経験的にも、それを考察して作品として昇華するという作業枠の中でも、広く取れる作家に比べれば、達者ではないと言えますわね。
言えますが、作家ってのはポピュラリティを得ることだけがヨイコとでもないので、ま、それはそれでという事です。
つうか内田春菊なんかはアレ、狭く狭くの代表選手みたいなモンでがしょ。
変にマスコミ露出したりしてるから、作品は知らなくても存在は知っている的な社会性はあるけれど。
俺はあのヒトの書くハナシは、登場人物が全部ムカツクので嫌いです。