NNSの歴史(2スレ目より)
867 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/16(木) 20:19:47
少し堅いが、デジタルCX再送信につながる歴史的背景。
出典:吉田進、石黒公、「CATV その理解のために」、オーム社(1972)
昭和45年10月1日、NNSは甲府市北部に完成した設備を使って正式運営にはいった。
わが国のテレビ共聴が組合形式で運用されていたなかにあって、
営利を目的とする株式会社がCATVに乗り出した第1号であった。
(略)
NNSがさらにその成り立ちからして注目される点は、
民間放送会社が母体となっていることである。
東京のフジテレビと地元の山梨放送が中心となって
甲府市のCATVを計画したのが昭和44年10月であったが
その目鼻がついた昭和45年2月、資本金1000万円で
新会社として設立され、甲府市一円のCATV計画が緒につくことになった。
868 :867 :2007/08/16(木) 20:26:44
(続き)
甲府市内はNHK甲府局、山梨放送、テレビ山梨(UHF)のサービスエリア内にあり、
これらの地元局に関しては難視ではない。
しかし、市内のごく一部には東京キー局の電波が届く地域(図略)があるものの、
CATVとしては当面、東京の民間放送の区域外再送信をうたって加入者を集めることが
経営的に有利であった。
…CATV施設をつくるためには郵政省への届け出を必要とする。
郵政省では、放送行政上、区域外再送信CATVには難色を示したようであるが、
フジテレビの再送信同意書を得ていたことや、
山梨放送のバックアップ、担当者の熱意によって、
届け出は受理されることとなった。