>>901では、
昭和の終わりそれは、ある、クレジットカードを作る事から始まった
作れてしまった喜びと信用されてると言う安心感からか、その使用金額は
瞬く間に増えていった、最初はただのショッピングだったのが、キャッシングに
手が出てしまい、しまいに、自転車をこぐようになってしまったのだ
だが、ある時点から、その返済計画は歯車を狂わしてきた、そう、バブルの
崩壊である、最初の頃は昇給がなくなる程度が、徐々に返済額に響くようになり
借入金額をどんどん減らそうと考えたその時、ボーナスがなくなったのだ。
その時に、弁護士会館などに相談に行けば借入額は少なかったのだろうが
消費者金融にまで手を出し何とかできると言う頭しかない馬鹿な俺は、借金地獄の
階段を転がるように落ちていったのだった
その時の心境は、なーに、景気がよくなりゃ、すぐにでも返せると、たかをくくっていただけの
馬鹿に成り下がっていたのでした。
そんな時、運は見捨てないもんです、交通事故で体を痛め会社を休むことになったのです
普通なら、おいおい、どうすんだ、状態ですが、なんとうちの会社はそんなときの手当が
厚い会社で、働く並みの手当金が出たのです。
そしていろいろ考える事があり今、会社を辞めれば会社に借金を知られずに、何とかできるんじゃないかと
考えるようになりました、そこで、逃亡資金が交通事故の会社からおり、準備が整ったと言うわけです。