裁判・司法における男性差別総合スレッド

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62傍聴席@名無しさんでいっぱい
だから
高度に純化された人類の知性の結晶である抽象的な現代数学と
単なる日常知の言語化に過ぎない法とを
一緒くたにすんなよ

虎の威を借る狐よろしく
学問の威を借る法律バカ
63傍聴席@名無しさんでいっぱい:2012/07/12(木) 03:51:40.11 ID:q5elTN6D0
>>61
どういう文脈でなぜラッセルの背理を『証明しろ』と要求し、
それを『知らなければ』"なぜ"呆れるのか、
これをまともに説明できないID:PkR7wob90=>>1

因みにラッセルの背理のstatementは
「自分自身を要素としない集合の集合は、
自分自身を含んでいるか。」であり
これは肯定も否定も出来ない、つまり証明不可能な命題なのだから
『証明しろ』と要求する方が呆れるし
かつそれを知らなければなぜ一般位相、或いは位相幾何の話に支障を
きたすのか更に意味不明。

まぁこれらの話は学問の威を借る法律バカ=>>1の妄想から出た
虚言であるから、ID:PkR7wob90=>>1がこれを説明できるはずもない
64傍聴席@名無しさんでいっぱい:2012/07/12(木) 04:17:26.86 ID:q5elTN6D0
ついでだからもう一つ言ってやる。
現代数学の真髄の一つは、真に価値のある事実のみが
美意識に導かれるままに概念が構成され得る事だ。

これはつまり何を意味するのかと言うと、ラッセルの背理のような
"病的な"現象に煩わされることなく『公理系をうまく』
選択することによって人間の知性はいくらででも
真理に近づけると言うことだ。

従って現代数学ではラッセルの背理に一切悩む必要もなければ
それを心に留めて置く必要も一切ないのである。
これこそが天才カントルの楽観かつおそるべき先見の明の
具現化である。